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April 16, 2024

精神の価値とモノの価値 j-fashion journal(551)

1.なぜ勉強して名門校を目指すのか?

 世間でいうところの理想の人生とは、どんな人生でしょうか。
 まず、名門幼稚園に入り、名門小学校、名門中学校へと進む。名門高校から名門大学に進学し、その間、ずっと学業優秀。できれば、スポーツもできて文武両道が理想です。
 就職は、官庁か一流企業。そこからは出世競争に邁進します。官僚なら次官、企業なら社長を目指す。
 途中で競争に破れると、出世コースから外され、左遷されたり、子会社に出向されたりします。それでも、生活の心配はないし、十分に幸せに暮らすこともできるはずですが、多く場合、ストレスを抱えるようです。
 でも、親や先生はそこまで考えてくれません。そんな心配する前に勉強しなさい。働きなさいと言うのです。
 勉強ができる方が幸せになる可能性は高い。働き者の方が幸せになる可能性が高い。常に可能性を言っているのであって、結果を保証しているわけではありません。
 経済的成功を人生の目標とするなら、自分の能力を見極めた将来設計が必要です。勉強が嫌いなのに、良い大学、良い会社への就職を目指すのは無理があります。むしろ、学歴に左右されずに、経済的成功を目指せる職業を選ぶべきでしょう。個々の能力を考えずに、全員を同じコースへと駆り立てるのは本人のためになりません。
 結局、学校では、規則に従い、命令に従うこと、つまり服従するトレーニングを優先していると思います。自分で考え、自分で行動してはいけない。自分の好きなことを、自分のやりたいことをやってはいけない、という訓練が徹底的に行われ、同調圧力を生み出す集団の一員になることが求められているのです。
 
2.競争の果てに幸せはあるか?

 偏差値の高い学校に進学し、偏差値の高い就職先に就職すること。それは競争に勝つことです。多くの人は、競争に勝てば幸せが待っていると信じています。
 しかし、クラスの競争に勝っても、学年の競争があり、学年の競争に勝っても、学校間の競争が待っています。偏差値の高い学校に進学すれば、更に多くのライバルが出現します。
 そう考えると競争に勝つとは、どの時点の話なのでしょうか。どこかで妥協しない限り、競争は永遠に続きます。
 そもそも競争が起きるのは、多くの人が同じ方向を目指しているからです。もし、競争相手のいない分野を選べば、競争はありません。
 人生には、競争を勝ち抜く道だけでなく、競争から降りてオンリーワンを目指す道もあります。競争で幸せになれる人は少数です。しかし、各自が個性を発揮すれば多くの人が各分野でオンリーワンになれるかもしれません。
 テレ朝の「博士ちゃん」という番組では、特定の分野に精通している子供たちを紹介しています。好きなことをとことん追求しているので、多くの博士ちゃんは大人の専門家に匹敵する知識や見識を持っています。
 そのまま育てば、十分に専門家として通用するし、経済的にも安定するでしょう。学校の先生が苦手な科目の勉強を強制し、凡人への道に引き戻さないことを祈るばかりです。
 
3.「いろいろなこと」が幸せ

 学校で真面目に勉強すること。就職したら会社で真面目に仕事をすること。これが悪いと言う人はいないでしょう。
 でも、そのまま定年になったらどうでしょう。終末医療の現場の人の話では、人生の最期に「なぜ、もっといろいろなことをやらなかったんだろう」と後悔する人が多いそうです。
 学生時代の幸せな時間と言うと、クラブ活動、体育祭、文化祭、遠足や林間学校、修学旅行など、比較的自由な時間ではないでしょうか。授業の時間が幸せだったという人は少数派です。
 就職して社会人になってからの幸せな時間とは何でしょうか。多くは仕事以外のプライベートな楽しみ、恋人とのデート、友人との会食や旅行等に幸せを感じると思います。
 「いろいろなこと」とは、「幸せを感じる時間」を意味しているのではないでしょうか。
 「遊びや恋愛は無駄なこと」と考えている人は勉強や仕事だけに集中してしまいます。そのときは褒められても、人生の最期になると後悔するようです。
 無駄を排除して、真面目に働き、定年を迎えれば、退職金と年金で安定した老後を過ごすことは可能かもしれません。時間もたっぷりあります。
 ところが現実はどうでしょうか。定年になった途端に気力が萎えて、ダラダラと過ごす人が意外と多いのです。あまりにも忙しく働き過ぎたために、趣味もなければ、会社以外の友達もいない。お金の使い方も分からないし、何をしたらいいのか分からない。「いろいろなこと」をしていないからです。

4.お金があっても買えないもの

 お金があれば何でも買えるということも疑ってみたいと思います。
 私はアパレル全盛期を経験しています。3億程度の会社が数年で百億の規模になった現場に居合わせました。当然、幹部社員の生活も変わりました。スーツ、靴や時計が高級ブランドになり、車も高級車に、お酒を飲む場所も安い居酒屋から高級クラブへと変わりました。でも、基本的な行動は変わりません。貧しくても、金持ちになっても、酒を飲んでナンパに励む。そんな人もいるのです。
 お金持ちになったから、茶道を始めるとか、油絵を始めるとか、チェロを習うという人には会ったことがありません。茶道も油絵もチェロも楽しむためには、まず努力が必要です。お金で楽器は買えても、それを演奏して楽しむことはできません。茶器も同様です。買うことはできても楽しめない。だからお金があっても買えないのです。
 食事も同様です。高い料理を頼むことはできても、正しいマナーを身につけ、リラックスしながら、高級な料理に相応しい友人との優雅に会話を楽しむことはできません。
 人生を彩る時間は真面目に勉強したり、仕事をするだけでは手に入りません。お金を稼ぐ行動だけでは入手できないことが意外に多いものです。しかし、それに気がつくことなく、一生を終える人も多い。そして、最期に後悔するというわけです。 

5.自給自足で家族と過ごす幸せ

 テレビ番組で自分で家を建てた女性が紹介されていました。自分で土地を買い、大工の専門学校に通い、文字通り自分の手で家を建てたのです。なぜ、そんなことをしたのかというと、小さい頃からの夢だったから。それを20代になって思い出したのです。
 そこからアルバイトをしてお金を貯め、土地の購入費と学費に充てました。現在は、ほぼ自給自足の生活をしていて、畑で野菜を作り、鶏を飼い、子育てをしています。月10万円程度の収入でも十分にやっていけるとのこと。旦那さんは建築助手のアルバイトとして来てくれた優しい人で主に主夫業を担当しています。
 この女性は完全に自分の人生を自分で設計し、自分で実現していました。多分、優等生やエリートには考えられない人生、考えられない幸せを体験しています。
 もし、食料危機や金融危機が到来しても、この女性は生き残るでしょう。
 自分のやりたいことに忠実に生きること。それは、決して不可能なことでもリスキーでもないことを証明しています。
 我々は、知らないうちに多数派の人の意見にしたがって生きています。そして、お金を稼ぎ、貯めることだけに興味を集中してはいないでしょうか。幸せな時間を優先にするだけで、別の人生が見えてくるはずです。

*有料メルマガj-fashion journal(551)を紹介しています。本論文は、2022.6.13に配信されたものです。リアルタイムでの講読をご希望の方は、http://www.mag2.com/m/0001355612.htmlよりお申し込みください。  

郊外SC立地アパレルショップの生き残り策 j-fashion journal(550)

1.最終形態のアパレルショップ

 最適なアパレルショップの広さはどの程度だろう。
 小売店に卸売をするアパレル製造卸は、生産効率を上げるためにアイテムを限定していた。ブラウス専業アパレル、ボトム専業アパレル、ドレス専業アパレル等である。
 アパレル製造卸の直営店では、アイテムを限定したシングルライナー型か、コーディネートを重視したトータルコーディネート型かを選択する。現在、シングルライナー型ショップは少数派だ。メンズのシャツ専門店は存在しているが、レディースはほとんどがトータルコーディネート型である。
 アパレル製品の量産は、常に生産ロットが課題となる。生地を織る生産ロット、生地を染色する生産ロット、製品を縫製する生産ロット等だ。オリジナル商品の展開には生産ロットが大きなハードルなのた。
 サンプル帳が用意されている生地問屋から生地を仕入れる場合も基本的に1反(50m)単位だ。カット販売ではカット料金が発生する。
 オリジナル商品だけで展開するショップの場合、生産ロットに見合った店舗数が必要になる。初期のデザイナーブランドは小さい面積のショップを多店舗展開した。
 価格が高い商品を扱う店は、面積も在庫数量も少なくて良い。しかし、低価格の商品を扱う店は、大量の商品を陳列できる広い面積が必要になる。
 アパレルショップは、低価格化と共に面積が拡大し、丁寧な接客からセルフ販売へと移行した。そして、オリジナル企画の商品だけでなく、仕入れ商品、雑貨小物の比率が増えていった。
 店舗の大型化のメリットは、より多くの商品を展開し、売上を上げることだけではない。どんなに小さな店舗でも、ローテーションを考えると最低でも3人の販売員が必要になる。5坪の店を3人で回すより、15坪の店を3人で回した方が効率的だ。店舗の大型化は効率の良い店舗運営の手法でもある。
 現在、郊外SCに並ぶアパレルショップは、バブル崩壊以降の安価な商品を扱う専門店の最終形態と言えよう。
 
2.サプライチェーンの変化

 特定のビジネス環境で最適化した最終形態ショップは、環境が変化すれば最適化できなくなる。
 まず、コロナ禍と戦争によって商品のサプライチェーンが変化した。日本のアパレル製品の7割程度は中国生産だ。
 中国生産はゼロコロナ政策によって大きな痛手を受けている。ロックダウンにより、工場は稼動できないし、物流も止まった。ようやく動き出しても、いつ再びロックダウンが始まるか分からない。外資企業は次々と中国から撤退している。
 また、西側諸国はウイグル人の人権弾圧に対抗する手段として、新疆綿の使用制限を行っている。日本では海外展開をしているユニクロ、無印良品だけが批判の矢面に立たされているが、ほぼ全てのアパレルブランドが新疆綿を使っている。現在のところ、日本国内では新疆綿製品のボイコットは起きていないが、不安材料ではある。
 円安の問題も深刻だ。最早、中国生産が安いとはいえない状況である。といって、国内生産ではこれまでの価格を維持できないし、そもそも生産スペースが足りない。
 加えて、原材料の価格も暴騰している。糸、生地、付属だけでなく、ダンボールやビニール袋等も全て値上がりしている。
 このままいけば、次第に安価な商品を大量販売するというビジネスモデルが崩壊するだろう。
 そもそもアパレル企業がSCに大量出店するのは、薄利多売を目指したからだ。生産数量を増やすことで商品のコストダウンを図り、大量生産大量販売することで市場シェアを確保する。しかし、サプライチェーンの変化により、商品を確保すること自体が困難になった。勿論、工賃や生地値を値切るのも難しい。
 「仕入れ先なんていくらでもある」という常識も変わっていくだろう。今後は、工場が小売店を選ぶようになるかもしれない。
 
3.ファッションに対する意識の変化

 更に、アパレル製品に対する消費者意識も変化している。コロナ禍で自粛していた期間が長かったため、消費者はファッションの熱から冷め、冷静さを取り戻した。
 家の中の不要な商品が目につき断捨離した人も多い。無駄なモノを捨てて、シンプルな生活を志向する人が増えたのだ。こうなると、量より質が重要になり、安ければ売れるというセオリーも崩れる。
 また、季節の切り替えと共に新しい服を買うという習慣も薄れている。ある意味で、シーズン毎に新しい服を買うという行為は惰性だった。
 コロナ以前は主に店頭で購入していた消費者も、自粛期間中はネット購入を試した。アマゾンの売上は市場最高を記録している。
 アパレル製品に対する意識、アパレル製品を購入する方法、アパレル製品に求める価値等々の全てが2年間で変化してしまった。最早、コロナ以前のアパレルビジネスに戻ることはあり得ない。コロナ以前と同じ商品と同じ売り方をしている限り、ジリ貧になるだろう。
 
4.アフターコロナの方向性は?

 ビジネス環境は激変した。アパレルビジネスも根本から見直しが必要だ。
 その方向性について、いくつか示唆したい。
 まず、薄利多売の安売り商法を見直すことだ。単価を上げて、数量を減らす。これが真の意味でのサスティナブルなビジネスである。安い人件費を求めて、次々と生産拠点を変えるのはサスティナブルではない。
 この30年間、アパレル企業はいかに安く生産し、安く販売するかを追求してきた。今後はいかに高い価格の商品を販売するか。高くても顧客が満足するか。商品以外の環境やサービスも含めて高くても納得できる商品とサービスを提供しなければならない。
 次に、店舗数を絞り、在庫数を減らし、商品を売り切る体制を組むことが求められる。オーダーメイド、カスタムメイド、刺繍やプリントの後加工、ハンドクラフトのオプション等、工場から納品された商品を店頭にそのまま並べるだけではなく、更なる加工を行うのも良いだろう。
 また、アパレル製品を販売するだけでなく、魅力的で映える写真を撮るところまでをサービスとして考えたい。更には、その画像を編集し、共有するメディアの整備も必要になる。
 不要になった商品を買い取り、リメイクし、再販するサービスもサスティナブルである。
 メタバースが普及すれば、リアルなスタイリングだけでなく、アバターのスタイリングも必要になる。購入したリアルな商品をデータとしても提供できれば面白い。
 オーダーメイドやカスタムメイドに取り組むのなら、サイズの管理が重要になる。変化する3D体型データの計測をフィッティングルームでできないだろうか。
 中国を軸としたグローバリズムが崩壊すると、人々はローカルなコンセプトを求めるだろう。店頭販売からネット販売へと比重が移れば、東京や大阪の大都市発のブランドではなく、地方文化やアイデンティティをコンセプトにした地域発のローカルブランドも面白い。
 いずれにしても、規格化された商品を規格化された店舗にマニュアル通りに陳列し、マニュアル通りの接客をしているだけでは、顧客を店頭に呼び戻すことはできない。商品の購入だけなら、ネットで十分なのだから。

*有料メルマガj-fashion journal(550)を紹介しています。本論文は、2022.6.6に配信されたものです。リアルタイムでの講読をご希望の方は、http://www.mag2.com/m/0001355612.htmlよりお申し込みください。  

「3Dプリンターの家」による新しいライフスタイル j-fashion journal(549)

1.3Dプリンターの家「Sphere(スフィア)」の革新性

 2022年3月、愛知県小牧市に3Dプリンターの家、「Sphere(スフィア)」のプロトタイプが完成した。広さ10平米の球体状の構造で、広さは10平米、完成までの所要時間が合計23時間12分で300万円で販売が予定されている。
 まずは、グランピング用途として10棟を建設し、2022年8月には一般向けの販売もスタートさせる見込みだ。10平米を超えない場合、現行の建築基準法外の建物と扱われ、水回りの設備はない。一方で、スマートロック、ヒューマンセンサーといったIoT、オフグリッドの電力システム、個人用ロボット等の最先端技術が多数導入されている。
 このプロジェクトを手がけているのは、兵庫県西宮市にある企業、セレンディクス(COO飯田国大氏)である。
 飯田氏は「100平米で300万円の家を実現すること」を目指している。これが実現すれば、住宅ローンがなくなるかもしれない。
 海外の3Dプリンター住宅とスフィアの違いは以下の通りだ。
 第一に、「鉄筋などの構造体が必要ない」こと。鉄筋を使わなくても、壁厚30cm以上、10平米で重さ22トンのコンクリート構造にすれば十分な強度が得られる。しかも、単一素材で建設することで資材コストを抑え、3Dプリンター活用により人件費を抑えている。
 第二に、3Dプリンター建設にマッチしたデザイン開発である。レンガ、木造といった既存の建設手法を3Dプリンターに落し込むのではなく、素材や3Dプリンターの特性を生かしたデザインを開発することで、資材コスト・人件費・施工時間を抜本的に改革した。その結果、施工時間を計24時間以内に抑え、既存住宅の10分の1の価格を実現することが可能になったのである。
 セレンディクスは、「Sphere(スフィア)」に続き、通称「フジツボハウス」のプロジェクトも進行している。「フジツボハウス」は、建築基準法に準拠し、鉄筋構造を含めた49平米の平屋で、慶應義塾大学の研究機関と共同開発したもので、2023年春までに500万円以下の価格で販売する予定だ。

2.工法、素材を生かしたデザイン

 私は3Dプリンターによる球体の住宅を見て、蜂の巣を思い出した。鉢の巣も3Dプリンターのように蜂が口から液体を吐き出し、それが固まって形作られる。その結果、六角形のハニカム構造を構成し、ハニカム構造が強度を高めているのだ。同様に、3Dプリンターに相応しい形状があるだろうし、コンクリートを使用する場合は球体なのかもしれない。
 海外の3Dプリンター住宅を動画で見たが、それはレンガを積んでいくように見えた。レンガの壁が建造物を支えているイメージだ。
 日本の木造軸組構造を基本に考えれば、3Dプリンターを使って固い素材で柱を立てようとするかもしれない。それでは効率が悪くなってしまう。やはり、3Dプリンターに相応しい形状があり、それは素材によっても変化するだろう。
 デザインと素材、工法は密接に関係しており、我々の発想の基本になっている。
 3Dプリンターはより生物的であり、昆虫の巣の作り方や貝殻の形状が参考になるかもしれない。
 更に、外壁の塗装に遮熱塗料を使えば、省エネになるだろうし、外壁のカラーリングを周辺の環境にマッチした迷彩柄にすることで、環境に溶け込むような建造物もできるだろう。
 また、球体の建造物を地下に埋めることで、更なる形状や用途が開発されるかもしれない。
 不安定な形状の岩石の形状を3Dスキャナーで測定し、その形状にマッチした3Dベタ基礎を作れば、その上に既存の建造物を乗せることもできる。そうなれば、傾斜地の建設もより低コストかつ安全になるのではないか。
 3Dプリンターという技術はまだ発展途上であり、これからコンテンツが追いついて行くようになる。今回の「Sphere(スフィア)」はそのキックオフとも言える。
 
3.安価な住宅による新たな生活スタイル

 次に、住宅が大幅にコストダウンすることにより、我々の生活がどのように変化するのかを考えてみたい。
 前述した「フジツボハウス」は49平米の平屋で500万円という設定だが、定年後の老夫婦の住宅としては十分である。田舎の広い土地を購入し、そこで野菜や花を作りながら、暮らすというライフスタイルはある意味で理想的だ。
 過疎化が進んでいる行政が「農地付き住宅団地」を開発するのはどうだろう。団地と言っても密集しているわけではない。十分なプライバシーを確保できるように農地と住宅のレイアウトを考える。そして、行政サービスとして農業指導や農機具のレンタル、農産物の販売等が行うというものだ。 
 500万円なら、セカンドハウスとしても購入しやすい。ある意味で車を買うような気持ちで家が持てる。
 週末を過ごす田舎の家ならば、自然環境を守ると共に、自然景観にも配慮した住宅が望ましいだろう。
 また、戦争等の不安を感じている人には、核シェルター付きの地下住宅も良いかもしれない。安心安全をコンセプトにした住宅。独自の水源を確保し、小規模の水力発電、風力発電、太陽光発電等を組み合わせてエネルギーも自立していること。食料の自給自足ができる農地を確保できれば完璧だ。これらを全て完備して、トータルで一億円程度ならば、購入する人もいるだろう。
 これまでの住環境は家だけを考えていた。家の立地、間取り、日当たり等々である。今後は自然環境や庭、農地、自給できる設備等のトータルな住環境が問われるのではないか。それを実現するにも、家のコストは下げたいと思う。
 
4.GDPは減少しても幸せな人生を

 住宅価格が劇的に下がり、更にテレワークの定着で通勤が必要なくなれば、人口は分散していく。
 都心に企業が集中し、そこに通勤する人々がその郊外に住み着くというのが、これまでの生活スタイルの主流だった。
 しかし、全国に人口が分散すれば、過疎化の課題は改善される。たとえば、行政が中心となって「農業を副業にする若者を増やすプロジェクト」「農業を趣味とするリタイヤ生活プロジェクト」等を展開していく。その中で核となるのが、3Dプリンターによる安価な住宅提供である。
 そして、住宅、通勤等の支出が減少すれば、その他のことに支出が回るようになる。
 これまで余暇と言われてきたスポーツや趣味がメインの生活になる。余暇という発想は、仕事こそが重要であり、スポーツや趣味は余った暇な時間に行うべきだ、という考え方に由来している。
 そうではなく、むしろスポーツや趣味が人生のメインであり、余った暇な時間に働くという発想にするべきではないのか。そうすれば、スポーツや趣味を通じて恋愛も生まれ、そこから結婚も増えるだろう。
 仕事に消耗しない生活。そして、自然環境を守りながら生活しているだけで、日本は新たなサスティナブルな魅力を獲得していくだろう。そして、それを体験したい外国人が観光に来る。
 自給自足が増えれば、GDPは減少するかもしれない。しかし、確実に幸せな人々は増えるだろう。

*有料メルマガj-fashion journal(549)を紹介しています。本論文は、2022.5.30に配信されたものです。リアルタイムでの講読をご希望の方は、http://www.mag2.com/m/0001355612.htmlよりお申し込みください。  

「カナ刺し」のすすめ j-fashion journal(548)

1.刺し子とは?

 刺し子(さしこ)とは、二枚の布を重ねて、太い糸で全体を埋めつくすようにステッチする技法で、保温、補強、硬化等を目的にしたもの。
 江戸時代の火消し装束、手刺しの胴衣等では、ステッチ糸を引き締めることで、布に細かな凹凸のしぼを作り、厚みを出し、強度と硬度を増し、身体を保護する機能を高める。また、刺し子によるしぼが空気を含み、保温性も高まる。これが本来の刺し子の特徴である。
 現在は、刺し子に似せた「刺し子織」を「刺し子」と呼んでいる。刺し子織は、糸を引き締めることができないので、平らな生地に仕上がる。
 刺し子織が一般化したため、本来の刺し子が持つ、複数の生地を強く縫い合わせ、引き締め、生地を凹凸にすることは忘れられている。
 複数の布を重ねるので、藍染めの無地の布を表に使い、裏布に捺染の生地や縞の生地を使うこともできる。あるいは、表は綿で裏に絹、あるいは麻を使うことも可能だ。そう考えると、刺し子とは複合テキスタイルを作る技法であり、刺し子生地と言っていいのかもしれない。
 刺し子の糸は、織物を構成する糸と考えることもできる。多重組織の織機がない時代には、布の強度を増すために、タテヨコに太い糸を手で刺した。
 手芸の刺し子は、刺繍の一つのジャンルとなっている。伝統的な幾何柄を、装飾的に表現する技法だ。そのため、刺し子の風合いとか強度に関係なく、幾何学的な美しさを重視する。
 最近、刺し子の技法でオリジナル作品を創作するクリエイターも出てきた。工業製品である服やスニーカーに手で刺し子をすることで、手作業の痕跡を残し、手のぬくもりを表現している。更には、不規則で揺らぎのあるステッチが、何とも言えない独特の表情を見せている。

2.カタカナは古代文字が由来?

 私も、自分のシャツの衿とポケットのフラップに刺し子をしてみた。3ミリ程度の間隔に二本取りの糸を刺してみると、たちまち手作りの表情が出てきた。
 もっと面白い表現はないだろうか、と考え、カタカナを刺すことを思いついた。
 カタカナは、外来語や読み仮名に使われることが多い文字。カタカナの由来は、漢字の部首とされているが、個人的にはこの説には無理があると思っている。
 最近の研究では、縄文時代には世界最古の高度な文明が存在した可能性が指摘されている。以前は、縄文時代は狩猟採取が主で、弥生時代に稲作が大陸から伝来したと言われていたが、実は縄文時代から大規模な稲作が行われていた。
 遺伝子分析からも日本人の遺伝子は、中国や朝鮮に由来するものでない独自のものであることが明らかになった。
 また、ペトログラフ(古代人が岩石に刻んだ文字や文様で原初文字とも言われる)は世界各地で発見されているが、日本でも多くのペトログラフが発見されている。少なくとも6,500年前には、文字を使う人々が日本列島に存在していたことが明らかになっている。それが事実なら、縄文時代には文字がなかったという説も疑わしい。
 伊勢神宮の神宮文庫に収められている奉納文は神代文字で書かれている。宮司によると「太古日本の神々は外来の宗教と外来の文字を嫌われたので、神前への奉納文は神々の好まれる神代文字で書かれるのが慣例だった」とか。神代文字には、いくつかの書体があるが、稗田阿礼、後醍醐天皇の奉納文は短い直線で構成されたもので、カタカナの形状に近い。
 ということで個人的には、カタカナは神代文字から発展した日本独自の文字であり、漢字より古いのではないか、と考えている。
 カタカナは短い直線で構成されている。刺繍で刺すのにも適した形状だ。
 
3.カナ刺しをやってみた
 
 そこで、実際にカタカナの文字をシャツのカフスに刺すことにした。カタカナで書かれた詩で最も有名なのは、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」だろう。漢字部分もカタカナにして、刺していく。糸は一本取りで直線を一画とする。ヒは三画、ムも三画とする。
 下書きもせずに、直接布地にカタカナを刺していく。これが意外と難しい。思った箇所に針を刺し、思った箇所に針を出すという単純なことだが、1ミリ外れただけで文字が壊れてしまう。文字が読めなくても、それが味だということにして、とにかく刺す。
 カタカナはタテヨコだけでなく、斜めの線も加わるために、全体に見ると不規則でバラバラに見える。しかし、カタカナを知っている人間ならば、いくつかのカタカナが浮かんで見えるに違いない。そして、意味を追いかけていく。
 シャツのカフスに「雨ニモマケズ」を刺しただけで、そのシャツが特別なものに思えるから不思議だ。意味を持たない服に意味が付加される。
 別のシャツの前立てには、長唄「松の緑」の歌詞を全てカタカナで刺してみた。松の緑はめでたい曲とされているが、厳格な松のイメージと華やかな花魁のイメージが重ねられた洒落た曲である。その歌詞がシャツに付加されただけで、日本の伝統文化を身につけているように感じるから不思議だ。
 この気持ちは、幾何学的な刺繍文様では感じられない。文章には意味があり、イメージがある。カタカナそのものは幾何学的な文字だ、それが並ぶことで心情が表現される。
 私は勝手に、カタカナ刺しを「カナ刺し」と名付けることにした。
 
 
4.言霊を刺すカナ刺し

 小さな縫い目が集まることで、そこに刺した人の気持ちがこもる。ある意味で、呪術的な効果が生れる。
 戦争中、出生する兵士に「千人針」をお守りとして持たせた。千人針とは、家族が道行く人に針と赤い糸を渡し、玉留めを千個作ってもらうもの。
 玉留めは「弾を止める」、返し縫いは「無事に帰る」の意味がそれぞれ込められている。赤は神社の鳥居の色、破邪の色でもある。
 カナ刺しは、柄を刺すのではなく、文字を刺す。言葉を刺し、意味を刺す。一文字一文字を手で刺すところに意味がある。
 日本には「言霊」という信仰があった。 古代日本人は言葉に宿る霊力が,言語表現の内容を現実に実現すると信じていた。
 不思議なことに、戦後の進駐軍も言霊の力を抑えるためにいくつかの漢字を改定している。有名なのは、「気」という文字で、旧字は「〆」が「米」であった。米は四方八方に気を発散する意味があるが、それを気の発散を抑えるために「〆」に変えたのだ。
 それほど文字の力を信じていたのならば、日本古来の神代文字に由来するカタカナの使用も制限したかもしれない。現在、カタカナが外来語とヨミガナ程度しか使われていないのは、逆にカタカナが強い力を秘めている証ではないか、とも思える。
 我田引水ではあるが、カタカナを一針一針刺すという行為が強い言霊につながるのではないか。
 それほど強い力を持つのであれば、どんな言葉を刺すのかが重要になる。特に、自分が身につける服に刺すのであれば尚更だ。
 カナ刺しの楽しみの一つには、どんな文章を選ぶのかを探すことだ。
 万葉集や古今和歌集の歌を選ぶか。平家物語や方丈記を選ぶか。長唄や小唄から選ぶか。あるいは、好きな歌謡曲、J-POPの歌詞を選ぶか。勿論、自分の創作文章を刺すのもいい。
 刺す文章によって、刺された布、服の意味が変わってくる。命が吹き込まれるとも言える。カナ刺しとは、言霊を吹き込む行為なのかもしれない。

*有料メルマガj-fashion journal(548)を紹介しています。本論文は、2022.5.23に配信されたものです。リアルタイムでの講読をご希望の方は、http://www.mag2.com/m/0001355612.htmlよりお申し込みください。  

July 31, 2023

地域社会に貢献する商業を目指そう j-fashion journal(547)

1.高度経済成長は「三方よし」から

 仕事をする目的は何でしょう。
 日本では「三方よし」といって、「売り手良し」、「買い手良し」、「世間良し」の三つの「良し」が目的とされていました。売り手と買い手がともに満足し、また社会貢献もできるのがよい商売ということで、近江商人の心得になっています。
 ここには、「株主良し」とか、「資本家良し」はありません。考えてみれば、日本が高度経済成長を維持していた時代は、銀行との株の持ち合い等により、日本企業は海外資本家の支配から独立していました。しかし、国際標準の名の元に、日本企業は防御の鎧を剥がされ、海外資本の支配を受け入れることになりました。
 その他にも、様々な法律、政策により日本企業は弱体化しました。
 こうして多くの大企業は海外資本の搾取の対象となりました。次のターゲットは、上場していない中小企業です。
 デービッド・アトキンソン氏は、かねてより中小企業の生産性の低さを問題視し、合併・買収(M&A)などによる企業規模拡大の必要性を訴えています。
 しかし、商売の目的が「三方良し」ならば、生産性が低いことに何の問題もありません。また、生産性を高めて、資本家に多くのリターンをもたらす必要もありません。
 
2.トータルな国益を考える

 生産性が低くても、社員を雇用し、社員の生活を支えることには、大きな価値があります。会社の生産性が低くても、仕入れ先、販売先、関係先の国内企業に利益をシェアしているのなら、日本の国益に貢献していることになります。
 逆に、海外生産によるコストダウンで利益を上げた企業は、生産性が高くても、日本国内の従業員や関係先企業には貢献していません。更に、人件費の低い海外生産による薄利多売のビジネスモデルは、単価の下落による市場収縮を招き、デフレスパイラルの元凶となりました。これは日本経済の大きな損失です。
 この矛盾は、「グローバリズムこそ正義だ」、という思い込みによって隠されてきました。
 日本の失業者が増えても、中国の雇用が増えればいい。日本人の所得が減少しても、中国人の所得が増加すればいい。地球は一つなんだから、人種で差別するのはおかしい。それがグローバリズムだというのです。
 本当にそうでしょうか。我々は大きな犠牲をはらいながら、グローバリズムの社会実験を行ってきました。そして、結論が出ました。
 中国生産と資本の自由化を軸としたグローバリズムは、日本経済を成長から衰退へと転換させました。そして、世界の中で日本だけが所得が上がらず、貧困化が進みました。これは明らかに経済政策、金融政策の失敗、あるいは悪意だと思います。
 

3.グローバリズムの終了

 幸いなことに、グローバリズムは崩壊しつつあります。そもそもグローバリズムは、持続可能で安定した世界を目指していません。
 グローバリズムでは、ごく一部の巨大なグローバル企業が世界市場を独占的に支配することを理想としています。世界各国の製造業は、巨大なグローバル企業の下請けとして生き残るしかありません。また、世界各国の独自の文化を持つ消費者も、グローバル企業が供給する画一的な商品を購入するしかありません。これがグローバリズムの完成形です。
 グローバリズムは自給自足経済の対極にあります。完全な自給自足生活は、多くの貨幣を必要としません。お金を稼ぐための仕事ではなく、生活を維持するための作業が主な仕事になるからです。自給自足経済に国際金融資本は必要ないのです。
 地域毎の経済が自立し、地域通貨や物々交換で商業活動が機能し、地域内で資金調達ができれば、国際金融資本は必要ありません。
 1970年代までの日本の国内経済はほぼ自立していました。資源は海外から輸入しても、輸出に依存せず、国内需要で経済が回っていました。
 グローバリズムを推進した結果、国単位の自立経済は失われ、相互依存を高めました。経済はグローバル化したものの、自由主義と共産主義、独裁主義と民主主義という対立は残されたままです。
 その上、グローバル経済は米国の金融バブル、中国の不動産バブルを育てました。
 そして、矛盾と対立を抱えたまま、コロナ禍で世界は止まったのです。強制的にグローバリズムは終わりを迎えました。そして、グローバルなバブルが弾けようとしています。
 
4.地域コミュニティと新しい商業

 グローバリズムを動かす原理は、貨幣と資本による支配と利己的な利益追求です。その手段として、世界的な大量生産・大量販売があります。
 それらの弊害として、貧富の格差、環境汚染、人権侵害等が起きました。この原理を逆転すれば、世界は良い方向に改善されるでしょう。
 たとえば、大量生産・大量販売から、注文生産、少量生産に移行することです。注文生産は、消費者と生産者の距離が近いことが条件です。そうすれば、物流のエネルギー消費を減らすことができます。また、少量生産なら廃棄も少なくなります。無駄が減るので、利益率も高くなります。
 大量生産大量消費を想定すると、大規模な工場で集中的に生産することになります。しかし、地産地消を原則にすれば、地域ごとに分散して生産すればいいのです。
 そして、チェーン店ではなく、個店で販売します。地元の市場とか商店街のイメージです。商店街の良さは、商店主が地域社会に密着していることです。一つのコミュニティの中で顔見知り同士が、互いに供給と消費を行います。酒屋は電気屋から家電製品を購入し、電気屋は酒屋からお酒を購入する。商店街の中で商品とお金が交換され、商売そのものが地域貢献になるのです。
 そして、日々の買い物を通じて高齢者の見守りや、地域の治安維持にも貢献します。災害時には地域コミュニティの拠点としても機能します。
 チェーン店は、経営者の顔が見えません。多くの従業員は外部からの勤め人です。チェーン店の売上が上がっても、その利益は本社が吸い上げます。当然、地域活動への参加も期待できません。
 ビジネスだけを考えるならば、大企業の方が生産性は高いかもしれません。しかし、地域社会活動全体を考えると中小企業、商店主の方が、貢献度は高いでしょう。中小企業を潰すことは、行政コストが上がり、税金が上がることにつながります。中小企業を判断する場合、生産性だけでなく、社会貢献のコスト負担を考える必要があります。
 かつての日本企業は、複雑な流通構造を通じ、利益を配分し、雇用を確保し、社会の安定に寄与していました。ですから、効率追求で問屋無用論を振りかざすことは短絡的だったと思います。
 経営者である前に地域コミュニティのメンバーであることを認識しましょう。生産性よりも地域安定性を優先しましょう。自分だけ儲かればいいのではなく、地域のお客様や仕入れ先にも貢献することです。これが実現すれば、新たな社会的役割を担う、新しい商業が生れると思います。

*有料メルマガj-fashion journal(547)を紹介しています。本論文は、2022.5.16に配信されたものです。リアルタイムでの講読をご希望の方は、http://www.mag2.com/m/0001355612.htmlよりお申し込みください。  

July 30, 2023

戦争の時代と「鬼」コンセプト j-fashion journal(546)

1.異界から鬼門を通じて鬼が来る

 鬼について考えてみたいと思います。鬼の姿の特徴は、頭に「角」が生えていて、「虎」の腰布を身につけています。
 この姿は鬼門に由来しています。鬼門とは、北東(丑と寅の間)の方位・方角のことで、日本では古来より鬼が出入りする方角であり、忌むべき方角とされています。艮が鬼を象徴する方角なので、鬼の姿は牛の角と虎の腰布ということになりました。
 古来、都の鬼門と裏鬼門、つまり、北東と南西の方角には、鬼が侵入しないように寺社が設置されていました。
 平城京では鬼門の方向に東大寺が、裏鬼門の方向に植槻八幡宮、平安京では大内裏から鬼門の方向に比叡山延暦寺、裏鬼門の方向に石清水八幡宮、鎌倉では幕府から鬼門の方向に荏柄(えがら)天神社、裏鬼門の方角に夷堂、江戸では江戸城から鬼門の方向に東叡山寛永寺、裏鬼門の方向に増上寺が設置されています。
 ここでイメージされる鬼は異界からの侵入者です。異界とは、地獄、あるいは怨霊の住む霊界を指します。
 時代と共に異界のイメージも変化しています。地球以外の星も異界であり、宇宙から地球に侵入してくる攻撃的な生命体も鬼といえます。そういう意味では、エイリアンもプレデターも鬼です。
 仮面ライダーや戦隊ものは、外部から侵入した鬼と戦うために、人間が鬼に変身する物語ともいえるでしょう。

2.隠れて生きる鬼

 日本語の「おに」は、「おぬ(隠)」が転じたものと言われています。元来は姿の見えないもの、あるいは、人里離れた場所に住む者を指しました。
 平安時代の鬼は、大きな身体、一つ目、大きな口、角、赤い褌、手足が三本指などの特徴が示されています。これは仏教経典に描かれた鬼の図像の影響が大きい、と指摘されています。一つ目の鬼は「たたら製鉄」に従事していた者を象徴するという説もあります。鉄の温度を判断するために、高温の炎を凝視することが多く、そのため片目になる人も多かったということです。
 更に、鬼は白人であったという説もあります。現存、最古と言われる絵巻、大江山絵巻に登場する酒呑童子は、髪は茶色で、眼も明るい色です。赤い肌は日焼けの比喩と考えられます。体格も非常に大きく描かれています。
 古代日本は、現代人が想像する以上にグローバル社会でした。髭と揉み上げと帽子という典型的なユダヤ人の埴輪が発掘されていることも偶然ではありません。
 これらを総合して考えると、古来の日本は外国人も数多く生活していて、その中の一部でたたら製鉄の技術を持つ職業集団が、人里離れた山中にいたのではないか、とも想像できます。これはアニメ「もののけ姫」の世界観とも共通しています。
 そして、彼らもまた「鬼」と呼ばれていました。鬼は隠れて生きている。姿が見えないからこそ、恐怖は増大される。それが鬼の怖さです。 
 
3.現代における鬼とは?

 鬼はルールを守りません。平気で人を殺します。場合によっては、人を食べます。鬼の姿は、筋肉隆々のマッチョで、武器は原始的な金棒です。
 鬼は力、暴力への信仰を象徴するものです。話し合いなんて関係ありません。力づくで相手を屈伏します。鬼は理不尽な存在です。しかし、自然界にも理不尽が存在しています。弱肉強食という悲劇の中で、生態系は循環し、生命を維持しているのです。
 デジタル化が進む中で、筋トレやボディビルディングには根強い人気があります。ある意味で、人は鬼の肉体に憧れているのかもしれません。
 戦争は、古代から現代まで続いています。戦争には、弱肉強食に通じる普遍的な要素が含まれています。
 異界からの侵入者が鬼ならば、ウクライナ人に侵入してきたロシア軍は鬼ということになるでしょう。
 現代人は戦争を通じて、原初的な存在である鬼を思い出しているのかもしれません。
 
4.あらゆる商品の鬼化を考える

 戦争の時代は鬼の時代です。鬼という言葉が接頭語に使われる時、そこには「大きい」「強い」という意味が付加されます。オニヤンマ、オニユリ、オニアザミなどです。
 最近のギャルも、オニという接頭語を使います。オニムカ(凄く腹が立つ) オニウマ(凄く美味しい)などで、こちらは「超」「凄い」という強調の意味を持たせています。
 アニメ「鬼滅の刃」の大ヒットも、鬼という文字をタイトルに入れることにより、レトロだが新鮮で強烈な印象を与えることに成功したのだと思います。
 鬼というネーミングやコンセプトは、現在の世相に合っています。あらゆる商品に、鬼を付けると、新しいコンセプトになるかもしれません。
 「鬼せんべい」といえば、厚く大きく固いせんべいになります。「鬼饅頭」は、大きくてごつごつと尖った形状でしょうか。鬼うまい棒は、大人向けのスパイシーなうまい棒。俺のステーきではなく、鬼のステーキの方がパンチがあるかもしれません。
 鬼Gショック、鬼スマホ、鬼バイクはどうでしょう。
 ファッションなら、鬼パーカ、鬼ブルゾン、鬼パンツ。鬼デニム、鬼スウェット、鬼Tシャツ。
 平和な時代には、ソフトで洗練された商品が求められますが、戦争の時代には無骨で荒々しく強い商品が求められるのではないでしょうか。

*有料メルマガj-fashion journal(546)を紹介しています。本論文は、2022.5.9に配信されたものです。リアルタイムでの講読をご希望の方は、http://www.mag2.com/m/0001355612.htmlよりお申し込みください。  

July 29, 2023

グローバル経済から御用達経済へ j-fashion journal(544)

1.グローバリズムは儲からなかった

 バブル経済がピークだった1980年代末から90年代初頭、既に日本は閉塞感に覆われていました。人件費と不動産価格の上昇により、新たな国内工場を建設することが難しくなっていたのです。
 そんな状況の中で、中国はフロンティアに見えました。豊富な労働力と安い地代。「日本国内ではできなかった理想の工場が、中国ならできる、と思ったのです。
 90年代半ばになると、中国からの輸入品が加速度的に増え、国内製造業の淘汰が始まりました。単価の下落は、市場の収縮につながり、デフレスパイラルに陥ったのです。なぜ、こんなことになったのでしょうか。
 中国生産を開始した当初、日本企業は中国工場で「安くて品質が良い商品」を大量に生産すれば、売上が増大し、儲かると考えていました。しかし、生産した商品を全て日本市場に持ち帰るのでは、限られた市場の中でシェアを食い合うだけです。しかも、食い合う相手は国内生産の商品でした。その結果、国内製造業の淘汰が始まったのです。
 もし、中国生産の商品を第三国に輸出できれば、市場規模は広がり、売上も伸びたでしょう。あるいは、中国市場で販売できれば、その分だけ売上は伸びたはずです。
 アパレル業界で、販路拡大に成功したのは、ユニクロと無印良品くらいのものでした。多くのアパレル企業は、第三国の市場を開拓することができず、中国市場で勝ち抜くこともできなかったのです。
 国内では、デフレスパイラルが始まり、消費者の所得は上がらず、益々安い商品しか売れなくなりました。結局、儲かったのは、商社と中国企業だけでした。
 中国生産で、安く作れば利益が上がるというのは、国内生産と同じ価格で売れる前提です。全ての会社が中国生産を行い、低価格商品を市場に出せば、価格競争が起こるのは必然です。
 所得と生活水準が上がった日本国内の生産者が生き残るには、価格競争に陥らずに、付加価値の高い商品やサービスを提供する以外に道はありません。もし、価格競争の激しいコモディティ商品を扱うなら、新興国の企業にはできない独自のビジネスモデルの開発が不可欠です。
 
2.「見ず知らずの人との商売」と「顔見知りの商売」

 日本企業も、一度は海外市場開発の夢を見ました。しかし、資本力のない中小企業が海外市場開拓を行うのは困難です。成功例もありますが、ほんの一部の企業に過ぎません。大多数の中小企業は国内市場で生きており、海外で成功することはできないのです。
 そもそも海外ビジネスとは、見ず知らずの他人、しかも外国人を相手に商売することを意味します。日本の商売は、信用できる人との取引でした。飲食店でも「一見さんお断り」の店は多かったし、多くの商店街の商店主は顧客と顔見知りでした。
 問屋との商売でも「そうは問屋が卸さない」というように、誰かの紹介、つまり身元保証や、厳しい与信審査があって初めて取引可能になったのです。
 見ず知らずの人との商売が成長したのは、大量販売のチェーンストアからです。消費者の買物は、顔見知りと商店街から、見ず知らずの大手量販店に転換しました。
 知らない人との商売が更に発展し、海外にまで拡大したのがグローバルビジネスです。そして、大資本の企業が勝ち残り、中小零細企業が淘汰されました。

3.購買はサプライチェーンの選択

 昔の商店街では、生産者と消費者が、時と場合によって入れ代わっていました。酒屋さんのお客さんは電気屋さんであり、酒屋さんも電気屋さんも畳屋さんの顧客でした。商店街と周辺の住民は、ゆるやかな地域コミュニティで結ばれていたのです。互いに商店街で買物をすることで、地域コミュニティ全体が潤うのです。
 一方、大手量販店で働く人はサラリーマンです。その地域で生活しているとは限りません。また、大手量販店で販売している商品も、消費者にはどこの誰が作っているのか分かりません。安くて良い商品を世界中から調達し、販売しています。
 消費者として考えれば、どこで生産していようが、品質が高くて安い商品ならいいでしょう。しかし、生活者として考えると、地域コミュニティの関係性の中で購入する方が良いことになります。
 我々は、お金で商品を購入しています。商品の代金には小売店の利益、問屋の利益、工場の利益が含まれています。その利益の中には、小売店経営者の家族、小売店従業員の家族、問屋の家族、工場で働く人達の家族の生活費が含まれています。
 海外生産の商品には、海外の工場の利益、商社の利益、貿易の費用に加えて、国内の流通企業、物流センター、大手量販店の利益等が含まれています。こちらは、見ず知らずの人の生活を支えています。
 いずれにしても、買物をすること、消費をすることは誰かの生活を支えているということです。商品の選択は、サプライチェーン全体の選択を意味しています。サプライチェーンの選択は、支援する地域を選択しています。商品を購入するとき、目の前の商品を見るだけではなく、その背景のサプライチェーンのことを考えていただきたいと思います。
 
4.御用達経済の可能性

 大手量販店のバイヤーは、不特定多数の顧客のために商品を調達します。良質で安価な商品を豊富に品揃えすることがミッションです。良い商品を調達するために新規取引先を開拓し、一方で、実績のあるメーカーでも、取引を打ち切ることがあります。関係性より商品本位で判断するのが、プロのバイヤーなのです。
 
 「国内サプライチェーンを選びたい気持ちはあるけど、所得が低いので、安い海外製品しか買えない」という人も少なくないでしょう。
 そういう人も、その人にとって特別な商品だけは国内生産のものを購入して欲しいと思います。それが御用達です。皇室御用達とは、皇室が優先的に購入する特定の商店や企業を指す言葉です。皇室が指定したことに価値が生じ、ある種のブランド価値が生れます。皇室が購入している商品なら間違いないという信用と、皇室と同じ商品を使ってみたいという憧れが、皇室御用達という言葉に含まれています。
 昔は、百貨店にも御用達の価値がありました。高島屋謹製の緞帳とか、三越お誂えの着物は、百貨店の目利きが選んだ逸品です。
 しかし、百貨店は委託で預かった商品を販売するだけとなり、百貨店御用達の価値は失われました。そして、百貨店ののれんの価値も失われました。
 私たちは、国内経済を自立させ、日本企業のため、日本の国益のために商品を購入すべきではないでしょうか。商品を購入することは、消費者が商品を入手するということではなく、サプライチェーン全体を支持するということです。
 たとえば、神田明神は江戸総鎮守です。神田明神御用達の商品を、神田明神の氏子、産子が関係する企業から選び、それを氏子、産子の人々が優先的に購入する。こういう総鎮守ならではの、互助会的な御用達があってもいいでしょう。
 こうしたささやかな試みが、グローバリゼーションとは異なる、持続可能で地域コミュニティ優先の健全な経済活動を生み出すと思います。

*有料メルマガj-fashion journal(544)を紹介しています。本論文は、2022.4.25に配信されたものです。リアルタイムでの講読をご希望の方は、http://www.mag2.com/m/0001355612.htmlよりお申し込みください。  

July 11, 2023

地域ブランドと神様の商売を考える j-fashion journal(543)

1.ローカルビジネスの拠点

 神様のビジネス、神社のビジネスについて考えてみたいと思います。
 その前提は、グローバリズムの終焉です。。時代は対極から対極へと動きます。グローバルの対極はローカルです。ローカルのビジネス、ローカルなブランド、ローカルなサプライチェーン。ある意味で、地域の経済的自立であり、生活産業全体の地産地消化です。
 ローカルブランドの構築には、ローカルな歴史、文化、風土等に根ざした、コンセプトやストーリーが必要です。その中核の役割を、神社に担っていただくことはできないでしょうか。
 勝手ながら「神社の新しいビジネスモデル」について考えてみたいと思います。
 
2.J2B(神社toビジネス)の神社

 一般の神社は、個人を対象する、「J2C、(神社toコンシュマー)の神社」です。お参りするのも、御神籤やお守りを買うのも個人です。
 それに対して、「J2B(神社toビジネス)の神社」という考え方はどうでしょうか。
 仕事に関係する団体は、商工会議所、協同組合や工業組合、商業組合等があります。しかし、地元の組合も、業務が地元に根ざしているとは限りません。大企業の下請け、海外メーカーへの素材や部品の供給、様ざまな分野の委託加工、海外製品の販売等、地元以外の地域や企業と結びついている企業の方が多いでしょう。特に、グローバルビジネスが増えるにつれ、企業と地元とのつながりは希薄になっています。
 コロナ禍、戦争、経済制裁等により、グローバルビジネスは停止し、グローバルサプライチェーンは分断されました。
 トレンドは対極に振れます。グローバルの次は、その対極であるローカルが注目されるでしょう。地球は多様性に満ちています。地域単位で経済が自立すれば、余計な運送費や燃料費は掛かりません。GDPは減少するかもしれませんが、貧富の格差は縮小し、人々の幸福度は上がるはずです。
 ローカリズムが主流になる未来を想定すると、地域の中核にあった鎮守の神社が新たな機能を果たすのではないでしょうか。
 
3.神社を核としたクラウドファンディング

 クラウドファンディングは、プロジェクトを提示し、出資(予約購入)を募る仕組みです。ローカルなプロジェクトも数多く紹介されています。地場産業に根ざしたもの、伝統工芸的なもの、地域の歴史や文化をコンセプトにしたものなどです。
 クラウドファンディングで重視されるのは、つながり、関係性です。
 例えば、デザイナーと工場が新製品を作るとします。そこに、神社の要素が加われば、よりインパクトが上がるでしょう。神社は地域の歴史であり、地域コミュニティの核となる存在です。例えば、プロジェクトの成功祈願を神社で行うことで、地域性が明確になります。
 クラウドファンディング限定で、神社とのコラボ商品を販売することも可能です。神社名は、地域ブランドになり得ます。
 無病息災、家内安全、交通安全、疫病平癒等の祈願文と神社の名前、神紋等が商品に入っていれば、それが魅力にもなり得ます。
 ブランドヤイヤリティのように、売上の一部を寄進する、という条件をつけてもいいと思います。

4.新しい市(いち)の開発

 神社の境内では様々な市が行われます。例えば、ほうずき市、酉の市、羽子板市、だるま市、朝顔市等々です。
 市は地域イベントであり、神社の境内が使われました。神社は地元の人が集まる場として定着していたからです。これらの市で売られるものは、生活必需品ではありません。縁起物、飾り物が中心です。
 毎日使う日用品は商人から購入します。神社は氏子、産子(うぶこ)の商売の邪魔をすることはありません。それで、年に一回だけ縁起物を売る、市ができたと思います。
 これは百貨店の催事イベントに似ています。逆に言えば、百貨店の催事イベントで扱っている商品は、神社の市にもなり得るものです。
 例えば、伝統工芸品の販売。伝統工芸の販売は、全国の百貨店を巡回して行われます。 神社も単独で市を開催するのも良いが、全国の神社が連携し、巡回できる仕組みがあれば、神社の販売だけで生活できるようになるでしょう。そして、神社にとっても参拝客を増やせます。
 地元の行政機関や商工会議所と組んで、地場産業活性化の市を企画するのはどうでしょうか。境内にテントを張って販売し、テントと一緒に全国を巡回するという企画です。
 
5.神社をブランドと考える

 地域ブランドとして神社をブランド化することも考えられます。
 例えば、神社の書体やシンボルのデザインを新たに設定します。元からある神社の書体をなくすという意味ではありません。新たな用途に使うデザインを開発するということです。
 あるいは、神社オリジナルの文様をデザインします。これらをコンペ方式にして公募することも可能でしょう。
 優秀作品を展示するのも、イベントになります。
 これまでの地域ブランドでは、「ユルキャラ」が有名でした。例えば、「クマモン」です。但し、かわいらしいキャラクターは、子供向け商品になりがちですし、キャラクター性が強いほど相性の悪い商品も出てきます。
 現在、神社で購入できるは、お守り、御札、御神籤、破魔矢、干支の土鈴、根付、お土産の饅頭、お神酒等です。
 これらは何年も商品開発が行われず、マンネリ化してます。勿論、伝統を守ることは大切ですが、そこに新しいものが加わってもいいし、限定販売のものがあってもいいと思うのです。
 例えば、御札なら、企業向けにインテリアにマッチする大型で高級なイメージのものがあってもいいでしょう。
 お守りも同様です。だれもが購入できる安価なお守りも重要ですが、高級なものがあってもいいと思います。例えば、本金糸(化粧まわしに使われる金箔を和紙に漆で貼り付け、裁断し、糸にしたもの)を丹波ちりめんに刺繍したお守り袋を完全オーダーメイドで作るのはどうでしょうか。
 オーダーメイドならば、結婚指輪等も可能です。結婚式を行う神社なら、神社名と結婚の日を刻印したオリジナルリングを開発できます。
 干支にちなんだ手作り工芸品の作家を集めて、予約即売会を行うことができれば、新たな商品開発にもつながります。
 これまで、手つかずだっただけに、神社のイベント開発、ブランド開発、商品開発には可能性があふれています。

*有料メルマガj-fashion journal(543)を紹介しています。本論文は、2022.4.18に配信されたものです。リアルタイムでの講読をご希望の方は、http://www.mag2.com/m/0001355612.htmlよりお申し込みください。  

July 06, 2023

健全な金権政治、健全な族議員を復活しよう j-fashion journal(541)

1.なぜ、親中議員が生れたのか?

 最近、親中政党、親中議員が増えたと言われます。昔は親中議員なんていなかったのに、なぜ、これほど多くの議員が親中になってしまったのでしょうか。
 それは親中になった方がお金が儲かるからです。例えば、日本の中小企業の成長を推進したとしても、政治家にはお金が入りません。それは、政治家や政党への企業献金が禁止されているからです。それと、企業が政治献金しても免税になりません。3割程度の寄付金控除が認められるだけです。
 欧米では、政党や政治家だけでなく、NPO、NGOへの寄付も免税になります。つまり、政府に税金で納めるか、それとも特定団体に寄付して使ってもらうかという選択肢があるのです。
 しかし、日本では選択肢はありません。全て、一度政府に納税して、政府がその中から補助金、助成金等を配布するのです。お金の流れを見ると、日本は全体主義国家です。
 したがって、中小企業の団体が、中小企業のための政策を推進してくれる政党に寄付することができません。
 一方、外国政府、諜報機関等には工作活動費があります。例えば、中国政府は中国企業や中国人に有利な法律を作ってもらうための予算を用意して、工作活動をしています。
 政治家のパーティー券を大量に購入したり、政治家を中国に招待して接待したり、名誉を与えたり、必ず儲かる商売を紹介します。つまり、中国のために働くと議員に個人的な利益を与える仕組みをつくり出すのです。
 日本企業のために働いても個人的に儲からない。でも、中国企業のために働くと個人的に儲かる。そうなると、日本の議員でありながら、中国の利益のために働くようになります。
 
2.アメリカは健全な金権政治?

 マスコミは常に「政治と金」問題に敏感に反応します。しかし、それは日本国内の利権に限定されています。海外政府の利権に関しては、「政治と金」と言わないのです。
 政治と金の問題が最も多く出てくるのは選挙の時です。もし、金の掛からない選挙の仕組みを作れば、政治と金の問題の相当部分が解決します。最近、流行っているデジタル技術を使って、選挙DXを行えばいいのです。
 まず、ポスターをデジタル化する。デジタルサイネージげもいいですよね。そうすれば、ボスターを人海戦術で張り出す必要がなくなります。それで、各政党、立候補者には共通のフォーマットの元に、政策を掲げてもらう。また、オンライン会議の仕組みを作って立会演説、討論会の画像を公開する。
 こうすれば、選挙の経費はかなり合理化できます。しかし、これは既存の議員にとっては困った事態です。ポスターを貼るには組織力が必要であり、ポスターをなくすと組織力を持たない立候補者と同じになってしまう。これは嫌なんですね。
 しかし、選挙費用を考えても、DXを実行すれば、税金の節約になるでしょう。既存議員の便宜を図るのか、それとも税金の無駄遣いを減らすのか。新しい技術に背を向けて既得権にしがみついている人を選ぶのか、それとも新しい仕組みを理解して、新しい政治を目指す人を選ぶのか、という選択肢です。
 米国の大統領選挙は、完全に金権政治です。お金を使って、広告を出し、大規模なイベントを開催します。お金が続かなくなって立候補を断念する人も少なくありません。
 それでも、アメリカのマスコミは「政治と金」を問題にしません。資本主義の世界では能力のある人が経済的な成功を収めるものだ、と考えれば、お金のある人がお金を使って運動するのは正しい行為なのです。
 但し、様々な規則と制約があります。例えば、敵対する海外勢力とつながっている人は立候補できないというルールもあります。つまり、国益を損なうような立候補者は法律によって排除するという考え方です。
 日本は「政治と金」というイメージばかりが論じられますが、国益を損ねることや、敵対する海外勢力との交流等については管理が甘いように感じます。それだけでなく、国防とかスパイ防止等についても多くの政治家は関心を持っていません。そんなことをしたら、自分の利益が損なわれると思っているのかもしれません。
 
3.族議員はスペシャリスト

 昔は、族議員と呼ばれる議員が多く存在しました。族議員とは、特定の政策分野に精通して関連する省庁の政策決定に強い影響力を及ぼし、関連業界の利益を擁護してそれらの代弁者の役割も果たす国会議員およびその集団の俗称だそうです。つまり、特定の業界を代表するロビイストが議員になったという存在です。
 日本でもロビイング活動が行われますが、多くは陳情と呼ばれます。陳情はその業界団体等の代表者が行うもので、陳情のプロは存在しません。するのかもしれませんが、一般的でないのは確かです。
 族議員も「政治と金」を代表する存在とされました。特定の業界と癒着して、便宜を図る存在だからです。しかし、日本の国益につながる産業が存在することは当然ですし、特定の産業の振興を優先する政治家がいるのも当然です。
 地方選出の議員は地元への利益誘導を要求されます。そして、特定の産業の利益を代表する議員もいるのです。族議員のメリットもあります。それは、特定の産業や業界に詳しいスペシャリストであるということです。
 族議員も金権政治と同様、その存在が悪なのではなく、活動のルールが必要だということです。
 更に言うなら、新しい産業が生れるなら、新しい族議員の育成が必要であるということです。族議員のデメリットは、国益に貢献しない業界、既得権のある業界だけが優遇され、新しい産業、ベンチャー企業の成長を阻害する可能性があることです。
 これを改善するには、国益にかなう産業、企業等を支援する政治家が評価されるような仕組みが必要です。あるいは、政治家自身が明確な産業ビジョンを表明して、それを有権者に問うことを義務づけることです。そして、特定の産業、企業からの献金を可能にしてそれを公開することです。
 政治献金が悪いのではなく、政治献金の仕組みがオープンでないことが問題なのです。政治資金の使い途を全て公開し、政治献金についても誰がどれだけの金額を寄付したのか、その献金については、どんなことを期待するのかを公開しても良いかもしれません。少なくとも個人的な利益、私利私欲を追求するような議員を見つけ出し、落選させる仕組みは必要でしょう。
 スペシャリストの族議員が消え、同族議員が増えました。あるいは、国内産業を支援する族議員が消え、海外企業を支援する外国族議員が増えてしまいました。
 政治を良くするには、金を否定するのではなく、健全な活動ができるようなルールを明確に設定しなければなりません。
 
4.国益優先の政治を!

 今となっては、「政治と金」の問題もカワイイものでした。所詮国内の問題であり、国内の金や力を競い合っていただけです。その頃は、海外に日本の利権を売り飛ばしたり、個人の利益のために日本の国力を削ぐようなことはなかったからです。
 その国内の金の流れを止め、政治と金の問題を煽り、政治資金を税金で賄うことで、政治家は特定の利益代表から外れていきました。そして、海外の工作資金が流れ込み、国益を損なう政治が蔓延してしまったのです。
 国益とは、江戸時代に生れた言葉で、領内の自給自足経済を基本にした考えだったようです。つまり、国益という言葉には、アンチグローバリズムの意味があります。
 日本経済が低迷を続けているのは、海外投資をあおるグローバリズムが普及し、国内投資が減少し、海外生産によるデフレスパイラルと製造業の空洞化が進み、更には金融健全化の名目で市場に流通する貨幣量を制限したためです。日本は世界で唯一経済低迷を続ける国になってしまいました。
 コロナでグローバリズムが行き詰まり、中国生産の見直しが始まりました。更に、ロシアの武力侵攻で世界のエネルギー需給バランスが崩れています。そして、ロシアへの経済制裁がブーメランのようにドル危機に跳ね返ってきました。
 世界は全てが変わろうとしています。そして、世界各国は次の時代に有利な位置に付こうと考えています。軍事力の強い国は軍事力で、製造業の強い国は製造業で、金融の強い国は金融で自国に有利な世界体制を構築しようとしています。
 その中で、日本はどうすればいいのでしょう。私は、コロナ禍で日本の強みが見えたような気がします。
 それは、日本は何でも作れるということです。自動車も飛行機もロケットも工作機械もワクチンもマスクも作れます。伝統工芸からハイテク製品まで全て作れるのです。問題は価格競争力ですが、逆に言えば価格だけが課題です。もしかすると、それは為替が解決してくれるかもしれません。
 もしかすると、天然資源も本気が開発すれば海外に依存しなくても良いのかもしれません。それだけのポテンシャルがあります。
 そんな日本を欧米は常に抑圧し、日本が本来の力を発揮しないように制約をかけていました。それでも、世界が混乱すればするほど日本の強みが出てくると思います。
 問題は、日本人がその能力を国益のために使うことです。日本が自給自足できるような方向で産業を成長させることです。
 そして十分に力をつけた上で、世界のパワーバランスをコントロールしましょう。

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ファッションに「流行」は必要か j-fashion journal(540)

1.ファッションは金持ちが楽しむもの?

 ファッションを楽しむという行為、あるいは衣装を競い合うという楽しみは、もっぱら上流階級のものでした。
 ファッションは常に変化します。シーズン毎に新しいコレクションが発表され、それをお金持ちが注文します。
 高級注文服と訳されるオートクチュールがあるのは、オペラ座がある都市だそうです。オペラ劇場、オペラ歌手、オーケストラを支える富裕層が、一定以上存在するいうことです。
 かつて、多くのファッションデザイナーは、上流階級の一員でした。外交官の娘が、世界中を旅行して、世界中の文化や芸術に触れてコレクションを発表し、デザイナーとしてデビューする。こんなプロフィールを持つデザイナーが多かったのです。
 外交官は上流階級に所属しており、その親戚、友人、知人等も上流階級。上流階級が上流階級相手の商売をする。それがファッションビジネスの原点です。

2.大量生産による大衆ファッション

 西欧におけるファンションの大衆化は米国から始まりました。
 米国のアパレル産業は、パリでコレクションを買いつけ、それを大量生産し、安価な製品として販売することで成長しました。パリにとって、アメリカのバイヤーは最大の顧客であると同時に、パリのファッション産業と競合するアメリカアパレル業界の代表でもあったのです。
 米国の既製服業界のノウハウは、1970年頃に日本に伝えられました。それ以前、日本の繊維産業は対米輸出が盛んでした。しかし、日本からの輸入増加に危機感を抱いた米国政府は、日本に対して対米輸出の制限を要求し、数年の交渉を経て、日本が自主規制するという形で決着しました。
 日本の繊維産業は、輸出から内需への転換が迫られ、米国既製服産業のノウハウを導入したのです。
 ここから、日本のアパレル企業の成長が始まります。欧米のライセンスブランドを中心に、多ブランド戦略を展開し、百貨店の売場シェアを確保しました。
 欧米のコレクション情報、トレンド情報を元に、年2回のコレクションを、月毎の商品計画に組み直し、デザインバリエーションを増やし、週単位のきめ細かな商品展開計画に落しこみました。
 そして、消費者は、新しいシーズンの到来と共に、新しいデザインの商品を購入するという購買習慣を身につけたのです。
 この手法は、ファストファッションに引き継がれ、世界に拡大しました。その結果、世界的にアパレル製品の価格が下落し、人件費の低い新興国へと生産拠点が移動しました。
 これにより、国内生産のアパレル企業は淘汰され、グローバル企業による寡占化が進みました。画一的なトレンド情報に基づく同質化した商品が市場にあふれ、ファッションの魅力は希薄になりました。そして、生産数量の増加と大量廃棄が社会問題化したのです。
 
3.同じものを使い続けるスタイル

 現在のアパレル市場では、全てファッション化しているように見えます。しかし、ファッション化以前にも、アパレル製品は存在していました。
 1960年代までは、オーダーメイドが主流でした。男性はテーラーで背広を仕立て、女性は百貨店、洋装店でよそいきの服をオーダーしました。普段着は、自分で洋裁する人もいました。
 オーダーメイドでは、制作者と着用者が話し合って生地やデザインを決めます。流行よりも、顧客の嗜好が優先されました。自分の好きな色、自分の好きな素材、自分の好きなデザインの服を作ったのです。
 現在は、何も考えなくても、店頭に服が大量に並んでいます。簡単に流行の服が手に入るし、周囲から浮かび上がることもありません。
 オーダーメイドでは、最新の流行よりも、オーソドックスなデザインが選ばれました。
 男性は、常に同じメーカーの生地を選び、年に数着のスーツをオーダーしていました。
 これは家具や照明器具、食器等と同じ考え方です。壊れたら同じデザインのものを買い換える。老舗のメーカーは、変わることなく同じデザインの商品を作り続けることが求められたのです。
 消費者が同じデザインのモノを使い続ければ、メーカーも継続可能なビジネスが可能になります。オーダーメイドであれば、余剰な商品を作ることもないし、商品を廃棄する必要もありません。それが、サスティナブルな社会です。
 
4.グローバリストの発想

 貧困、貧富の格差、人権弾圧、環境破壊等々は、大量生産と市場競争から始まりました。資本力のあるメーカーは、大量生産のための大規模工場を建設し、規模の小さいメーカーは価格競争に破れ、淘汰されました。
 大量生産した商品は、大量販売しなければなりません。規格化された店舗を、多店舗化するチェーンストアの展開にも資本力が必要です。一方で、中小零細の商店と、そこに商品を卸していた卸商は淘汰されました。
 価格競争の結果、常に人件費の低い国に工場を移転することになります。工場が建設されれば、その国の所得が上がり、新たな市場が形成されます。
 その裏で、自給自足で自立していた地域も、現金収入がなければ暮らせない社会に変わっていきます。こうして貧富の格差が拡大していくのです。
 グローバルファッションが目指すのは、世界のアパレル市場を均一の市場に変え、共通のトレンド情報でコントロールし、少数の企業が世界市場を制覇することです。
 「世界が一つになる」ことは、美しい言葉のように聞こえます。しかし、それが格差を招き、環境や人権を侵害していくのです。
  
5.流行なんていらない

 コロナ禍で世界のサプライチェーン、市場、物流が止まりました。
 その中で、多くの人は、惰性のように購入していたファッション商品は本当に必要なのか、と疑問に思いました。1年間、新しい服を買わなくても困らなかったのなら、数年間は新しい服を買わなくても困らないのではないか、と。
 外出せずに、家にいると、不要なモノが見えてきます。断捨離して、シンプルな生活を取り戻したいと思った人も少なくないでしょう。
 最早、ファッションに対する憧れは消え、ファッションなんて必要ない、と考える人が増えています。
 ファッションとは変化ですが、時代が変化しないことを求めるのなら、変化しない商品を提案すべきです。あるいは、変わらないことを訴求するブランドの訴求です。
 例えば、白シャツだけのブランド。下取りを保証し、リメイクして再販するブランド。
 それらをオーダーメイドで販売する。価格は高くなりますが、少量の資源で大きな経済活動をするなら、価格は高い方が地球にも人にも優しいのです。
 既存の制度が壊れてこそ、新しい動きが出てきます。流行がなかった時代に戻ってもいいし、不変であることを訴求してもいいと思います。
 「流行を追いかけない」「流行なんて必要ない」というブランドが流行したとしても、それは良しとしましょう。

*有料メルマガj-fashion journal(540)を紹介しています。本論文は、2022.3.28に配信されたものです。リアルタイムでの講読をご希望の方は、http://www.mag2.com/m/0001355612.htmlよりお申し込みください。  

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