日・米・中の複雑な関係 j-fashion journal(452)
1.日本企業は中国と付き合うべからず
米中貿易戦争が始まり、コロナ禍とマスク問題があり、中国の人権問題が明るみに出て、香港国家安全維持法による民主化デモ弾圧が起きた。
米国は中国への経済制裁や金融制裁を強めている。一方、台湾はコロナウイルス防疫でも見事な対応を見せ、日本に対する支援も行った。中国で提唱する一国二制度を拒否し、独立の姿勢を示し、米国も台湾をバックアップしている。
日本にとって米国は同盟国、中国は反日教育を行い、尖閣諸島の海域で挑発行動を繰り返す反日国、台湾は親日国というレッテルが貼られた。そして、「なぜ、日本企業は中国と離れないのだ。中国に依存することは悪だ」という論調が目立つようになった。
しかし、実際にはもっと複雑な状況である。「親日・反日二元論」の前に歴史を振り返ってみたい。
2.日米繊維交渉と日中国交正常化
1971年、日米繊維交渉が決裂し、日本政府は米国政府の圧力に屈した形で繊維製品の対米輸出の自主規制を受け入れた。
この背景には沖縄返還問題があった。ニクソン政権は、沖縄返還の代わりに繊維規制に同意するように求めたのである。この時、交渉の最前線で通産大臣として奮闘したのが田中角栄氏であり、翌72年には総理大臣に就任した。
1972年9月25日に、田中角栄首相が現職総理大臣として北京を初めて訪問し、周恩来総理と首脳会談を行い、「日中共同声明」に調印した。同時に、国交のあった台湾に断交を通告した。
日中国交正常化のシンボルとしてパンダが上野動物園にやってきて、日本中が日中友好ブーム、パンダブームに沸き返った。
しかし、この日中国交回復は、米国の頭越しに行われたとして、アメリカ政府は激怒した。そのせいかどうかは明らかになっていないが、1976年ロッキード事件が発覚し、田中角栄首相が逮捕され、田中角栄は失脚した。。
3.米中パートナーシップによる対日政策
戦後日本の高度経済成長に伴い、日本と米国は様々な分野で貿易問題を抱えていた。
日本と経済対立を強める米国政府は、一方で中国との関係を強化していった。
73年キッシンジャー大統領補佐官は「イギリスを除き、中国は国際認識で我々に最も近いのではないか」と大統領に語り、74年には中国を「暗黙の同盟国」と称するまでになった。
75年には、フォード大統領がベトナム戦争後のアジア太平洋政策を発表した。この中で、米国は太平洋国家であり、この地域における米中の「対日パートナーシップがアメリカの戦略の柱である」と語った。日米は経済的に対立し、両国とも中国と友好関係を結んだ。そして、中国は巧みに日米両国をコントロールし、両国から様々な支援を引き出した。
米国の親中政策はクリントン大統領に引き継がれた。1997年江沢民主席が公式に訪米した際、まずホノルルに立ち寄り、アリゾナ記念館に花輪を捧げた。彼はかつての米中間の同盟を想起させ、9月に成立したばかりの日米の新ガイドラインを牽制したのだ。
クリントン大統領は、首脳会談後の共同声明で米中両国の「建設的で戦略的なパートナーシップ」を強調し、会談を通じて三つのノー(台湾の独立、「二つの中国」、台湾の国連加盟を認めないこと)を約束した。
1998年、クリントン大統領は米大統領としては天安門事件後、初めて訪中したが、その前後に同盟国である日本や韓に立ち寄ることはなかった。しかも、首脳会談後の記者会見で、アジア金融危機における中国の金融政策を賞賛する一方で、日本の金融改革を促した。
クリントン大統領は中国のWTO(世界貿易機関)加盟を推進し、2000年9月までに、対中最恵国待遇の恒久的付与を盛り込んだ貿易法案を議会で成立させた。この年、アメリカの最大の貿易赤字国として中国が日本を抜いた。
4.日米は安全保障と経済の両面で協調できるか?
クリントン大統領の次の大統領、オバマ大統領は、ほとんど中国を放任した。その裏で、中国は南シナ海の領有権を主張し、ウォール街との連携を進めた。中国企業は次々とアメリカで上場し、ウォール街も莫大な利益を上げた。
しかし、トランプ政権になって、中国への対応は一変した。アメリカ第一主義を掲げるトランプ大統領は、中国や日本のせいで失った米国の製造業と雇用を復活させると語った。そして、米中貿易戦争が始まり、互いに報復関税を掛け合った。
次にファーウェイの通信機器にバックドア機能の疑いがあるとして、ファーウェイ社の通信機器を禁止する措置を打ち出し、西側諸国にも同様の措置を求めた。
更に、チベット、ウイグルにおける人権弾圧問題が浮上した。
そして、新型コロナウイルスの感染が始まった。米国は感染者が世界最多となり、最も深刻な被害を受けた。
米国政府は中国の責任を追求し、中国は米国が感染源であるという情報を流した。米国は、中国政府が感染源に関する情報を隠蔽したとして、損害賠償を求める動きに出た。同時に、中国にコントロールされているとしてWHOを非難し、脱退を決めた。
次に起きたのが、香港民主化運動の弾圧と香港国家安全維持法の制定である。そして、それら全てに対して、米国は本格的に対抗し、制裁を課す動きに出ている。
考えてみれば、今回初めて日米が協調し、中国と対峙している。長年経済的に対立してきた日米両国は、中国という共通の敵を得て、安全保障も経済も含む強固な同盟国になろうとしているのかもしれない。
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