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November 28, 2016

プロ意識を育てる j-fashion journal(223)

1.上手いアマチュアと下手なプロフェッショナル

 プロ意識とは技術の上手、下手ではない。上手いアマチュアは多いし、下手なプロもいる。あくまで意識の問題だ。
 プロ意識とは、職業意識である。職業とは、仕事をして報酬を受け取るということ。自分の仕事が社会や会社の中で利益をあげ、その配分を受け取るという感覚である。自分の仕事がなければ、ビジネスは回らない。自分の仕事のボジションと責任を正確に理解し、使命感を持って仕事をする。
 これはアルバイトのような時給感覚ではない。自分の時間を仕事に充てて、時間と引き換えに報酬を受け取るという発想では、仕事の内容に思いが至らない。これはプロ意識とは異なるものだ。
 これまで日本国内の企業組織では、プロ意識は必要とされなかった。終身雇用、年功序列という制度は、企業への忠誠心をベースにした団体主義の制度である。

 プロ意識は個人主義を基本にしている。プロ野球の選手はプロのサッカー選手にとって、チームは自分の仕事をする場に過ぎない。別のチームに移籍すれば、そのチームの勝利(利益)に貢献する。好き嫌いではなく、報酬に対して責任を持つという発想である。
 プロは報酬で評価される。報酬の金額は評価である。従って、プロ意識の強い人間は、年功序列給を認められない。プロとしての意識も技術も持っていない人材が、年齢や学歴だけで高額な報酬を受け取ることはアンフェアと感じるのだ。
 
2.プロ意識を教育しているか?

 日本の義務教育では、プロフェショナリズム、リーダーシップやレスポンシビリティに関する教育は行われていない。大学や専門学校でも同様である。
 「プロフェッショナリズム」は、「プロ意識、職人気質」と訳されるが、日本の職人気質は、プロ意識というよりも、「与えられた仕事をやり遂げる」というイメージがある。一方、「プロフフェッショナリズム」という言葉には、「社会的責任を果たす職業意識」という意味が潜んでいる。「職業倫理」と訳した方が良いと思う。
 両者の違いは、受動的と能動的、個人的意識と社会意識の違いではないか。
 「リーダーシップ」は、「指導者としての資質・能力・力量・統率力」と訳される。しかし、日本のリーダー像と西欧のリーダー像は大きく異なる。
 日本の組織はボトムアップである。リーダーは部下の話を良く聞き、組織のコミュニケーションをはかり、組織全体が有効に動くようにすることが重要と考えられている。また、「御輿は軽い方がいい」というように、リーダーは優秀であるよりも、度量の広い人材であることが重要とされる。
 西欧では、リーダーは戦闘の先頭に立って闘うというイメージがある。リーダーが判断し、部下に指示や命令を与え、使命を果たす。リーダーが率いる組織は、リーダーが戦略を実行するための部隊に過ぎない。リーダーは実績をあげるためには部下を解雇することもあるし、業務単位の組織を売却することもあるのだ。
 リーダーシップは、プロフェッショナリズムを伴うことが多い。アメリカでは、ヒエラルキーの底辺から出世してトップにつくことは少ない。多くは、能力のあるプロの経営者をヘッドハンティングしてくる。従って、リーダーシップもまた、プロフェッショナリズムを土台にしていると言っていいだろう。
 プロフェッショナリズムを持つ人間が、その使命を果たす責任を「レスポンシビリティ」と言う。
 会社から言われた命令を行うことがレスポンシビリティではない。
 例えば、売れる商品を作るために、上司に他社のデザインを盗用するように命令されたとする。これはデザイナーとしての職業倫理、プロフェッショナリズムに反する行為である。しかし、デザイナーのレスポンシビリティとして、売れる商品をデザインしなければならないことも確かだ。それができないのなら、他の職業に就くことを考えるべきだろう。
 デザイナーとは、会社組織の一員であると同時に社会的存在である。自分の職業が持つ社会役割を認識し、その社会的責任を果たすことがレスポンシビリティである。
  
3.ファッション専門学校の卒業制作ショーを見て思ったこと

 先日、未来のプロフェッショナルを目指すファッション専門学校の卒業制作ショーを見た。その中で違和感を感じたことがある。
 全ての作品が出終わった後、フィナーレで登場した学生が全員ステージと客席に出てきたのである。
 その後、ショーのリーダーが挨拶をして、全員が退場するのかと思ったら、グループ毎に順番にステージの正面に出てきてポーズを取り、カメラマンに写真を撮ってもらっているのだ。この時間が飽きるぐらい長かった。正直言って、僕は退場したかったのだが、それも出来ず、見たくもない学生自身のパフォーマンスを見せつけられたのである。
 私が学生のリーダーなら、フィナーレは時間をかけずに、全員退場し、観客を帰すだろう。その後で、お楽しみの時間が必要ならば、自分たちだけで写真の撮影会でもディスコ大会でもすればいい。
 少なくとも、ファッションショーは観客に見せるものでなければならない。それがプロフェッショナリズムではないだろうか。勿論、学生だからプロフェッショナルではないが、プロフェッショナルを目指しているのなら、未熟でも、気持ちはプロフェッショナルでいて欲しいと思うのだ。
 その意味で言うと、音楽の曲のつなぎ方や照明、モデルの振り付けなど、全てにプロを目指しているという緊張感がなかった。私は学生に完成度は求めない。しかし、意識の高さは見たい。自分たちはまだプロではないけれど、プロに負けるものか、という気迫が欲しいのだ。
 
4.デザイナーはクライアントのために仕事をする

 そもそもデザイナーの仕事とは、自分の好きな服を作ることではない。自分の楽しみのために、自分の好きなものを作るのは趣味に過ぎない。
 自己表現としての服ということであれば、アートとしての服である。アートと言うならば、そこには明確なコンセプトが必要だ。そしてそのコンセプトが何らかの形で時代に影響力を及ぼすことが求められる。
 プロフェッショナルのデザイナーを育てるならば、常にクライアントとしての条件を提示した上で、デザインをさせなければならない。
 「ファッションは好きでなければできない」と言われるが、「好きだから作っている」というのでは、プロとして弱いと思う。ファッションを通じて、社会に何らかの影響を与えることを目指すべきではないか。それは、「好き嫌い」ではなく、「どんなテーマを設定すべきか」という問題意識が必要なのである。
 通常、デザイナーはクライアントと契約をして、クライアントの利益のために仕事をする。これは企業に就職しても同じことだ。その企業が抱えているブランドの中で、顧客に喜ばれるような商品を提供し、最終的に企業に収益を齎すことがデザイナーの仕事なのだ。決して自分のためにやっているのではない。だからこそ、プロなのであり、プロとしてのレスポンシビリティが問われるのである。
 これは、学校の教師にも共通することだ。プロの教師ならば、プロの人材を育てることが社会的責任である。「卒業したらどうなっても知らない」というのでは、プロとは言えない。

*有料メルマガj-fashion journal(223)を紹介しています。本論文は、2016.2.22に配信されたものです。リアルタイムでの講読をご希望の方は、http://www.mag2.com/m/0001355612.htmlよりお申し込みください。


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