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October 10, 2016

生き甲斐マーケティング j-fashion journal(217)

1.多様化する生き甲斐

 あなたの人生の目的は何か。昔は、世間が人生の目的を与えてくれた。学校で良い成績を取って、良い企業に就職して、結婚して、家庭を持ち、マイホームを建て、車を持ち、子供を教育し、成人させ、定年まで一生懸命に働いて、退職金をもらって、悠々自適の生活を送る。そんな人生コースが漠然と見えていた。それが幸せなことなんだと思えた。
 しかし、終身雇用が崩壊し、個人と企業の関係も崩れた。一部の大手企業や公務員は例外だが、一般の企業に勤めている会社員は定年まで働ける保証はない。
 私が驚愕したのは、「入社して働いたら負けだ」という言葉だった。なるべく働かない。一度、正社員で入社してしまえば、解雇されることはない。安定した給料をもらいながら、いかに自分の自由な時間を確保するかを優先するか、が重要だというのだ。ある意味、見事なライフワークバランスである。

 最早、会社に採用されたことに恩義を感じる人は少ない。個人の生活を犠牲にしても、会社のために一生懸命働くという「滅私奉公の精神」も存在しない。勿論、非正規雇用社員が滅私奉公の精神を持つのは不自然だ。会社が個人の生活を保証してくれるからこそ、会社に恩義を感じるのであって、いつクビになるか分からないのでは、会社のために働くという発想も持つことはできない。
 それでは、私たちは何のために生きているのだろうか。生き甲斐も多様化しているのだ。
 
2.生き甲斐の分類

 生き甲斐はいくつかに分類できる。
 経営者や起業家は「会社が生き甲斐」と考えかもしれない。会社は自分の子供のようなものであり、会社を成長させることが自分の生き甲斐と考える。
 しかし、会社を設立しても、高く売却することを目的とするのであれば、マネーゲームが目的となる。「マネーゲームが生き甲斐」とする代表は、株や為替の投資家である。かぎられた資金を、いかに増やすか、を追求している。
 「仕事が生き甲斐」という人も存在する。職人やクリエイター、ミュージシャン、役者等は、一生をかけて自分の技術を磨き、いかに高い位置まで上れるかを目指す。ある意味でゴールのない世界であり、常に上を目指すことが生き甲斐になっている。
 最近は、「社会活動が生き甲斐」という人も増えている。特に、若い世代はソーシャルという言葉に魅力を感じるようだ。会社に勤めながら、ボランティアが生き甲斐という人もいる。世の為、人の為に生きるという行為は美しいし、皆から感謝される。そのことに喜びを感じるのだ。
 「家族が生き甲斐」という人もいる。仕事は生活の手段、趣味も特にない。家族を愛し、家族と共にいる時間が生き甲斐という人である。
 「オタク的な生き甲斐」を持っている人も増えている。かつて、オタクは世間一般には認められない偏った趣味嗜好を持つ人というイメージがあった。最近は、一つのことを深く掘り下げ、探求する人というようなプラスの意味が強くなっている。

3.経済成長を共有できない時代

 高度経済成長時代の日本は、国家も企業も個人も経済成長という目標を共有していた。会社が生き甲斐、仕事が生き甲斐というのが当たり前だった。当時は、社員のモチベーションを上げるために悩む経営者はいなかったと思う。仕事へのモチベーションを持つことは当たり前であり、常識だったからだ。
 しかし、現在の生き甲斐を考えると、経済成長への共有は既にない。
 経営者、起業家は自分の会社の利益を考えているか、個人の利益を追求しているのであり、それが国家につながっているのではない。
 マネーゲームを生き甲斐と考えている人も個人の利益を追求している。
 社会活動を生き甲斐にしている人は、経済成長を目指しているわけではない。むしろ、コミュニティやボランティアなど、経済的な利益以外の価値観を感じている。
 家族が生き甲斐という人も経済的成長を追求しているわけではない。オタク的な生き甲斐は、完全に個人の楽しみであり、仲間と趣味や嗜好を共有することはあっても、経済的共有など考えていないだろう。
 つまり、現在では、個人の生き甲斐を追求しても、直接、経済成長にはつながらないということだ。もし、日本が経済成長するとすれば、それは個人の生き甲斐とは関係ない場所で経済活動が行われている比率が高いのかもしれない。
 経済成長を共有できない社会になって、「ブラック企業」という言葉が生まれた。ブラック企業は、企業の目標と個人の生き甲斐がリンクしていない。個人は企業に搾取されているという実感を持っている。
 極論すれば、個人の生き甲斐にリンクしない企業は、ブラック企業的要素を否定できない。仮に、日本国内の事業がブラックではなくても、海外工場で低い工賃で重労働を強いれば、ブラックと認定され、不買運動が起きるかもしれない。
  
4.市場主義経済からの脱却

 一人一人の気持ちは世の中の「気」になる。高度経済成長の時代は、経済成長の気にあふれていた。
 現在、高齢化が進み、介護が大きなビジネスになっている。介護付き有料老人ホーム、高齢者専用賃貸、サービス付き高齢者向け住宅。デイサービスに、宅食サービス。訪問介護や訪問看護。様々な高齢者向けサービスが拡大し、街中に高齢者向けサービスの車が走り回っている。
 私の知人友人にも、仕事を辞めて、親の介護に専念するという事例が増えている。これらが日本中で起きているのだ。
 現在、日本人の気は経済成長を向いていない。税金を投入して高齢者を介護している国である。それでも、日本という国が急激に貧しくなっているわけでもない。
 現在の経済はシステムで動いている。最近話題になっている「Fin Tech(フィンテック)」が進化すれば、人工知能が自分の資産を自動的に管理し、投資するようになるかもしれない。
 大企業も従業員の働きで利益を上げるより、ICTや仕組みで利益を上げているのだ。逆に言えば、個人が努力するだけで経済成長を達成できる時代は終わったのかもしれない。
 日本は産業革命以降の資本主義経済、市場主義経済から逸脱しようとしているのではないか。そして、伝統的、宗教的、象徴的、精神的な文化に回帰しようとしているように感じる。

5.脱経済的経済を目指そう

 大企業が展開するグローバルビジネスは別にして、ローカルビジネスで最も影響を強めているのが、インバウンド消費である。加えて、日本文化や日本独自コンテンツの輸出である。
 これらのビジネスは売上拡大や利益拡大を目指しても成長できない。むしろ、経済成長に反する姿勢を保つことで魅力を訴求している。
 たとえば、原宿のストリートファッションは売上拡大戦略から生まれたものではない。若者が好き勝手なファッションを身につけ、集まっているだけだ。効率追求から生まれたファッションはコモディティ商品としては価値があるかもしれないが、独自性もなければ文化性もない。外国人観光客にとっては、効率を追求していないからこそ価値があるのだ。
 また、日本の職人仕事も経済成長を志向していない。経済成長の波に乗れず、生産高が減少し、後継者も育っていない。しかし、そんな職人の仕事に対して、世界は評価している。決して、合理的な最新鋭の機械による大量生産を評価しているのではない。
 日本という国は、最新鋭のハイテクと伝統的なローテクが同居している。グローバルとローカルが同居している。経済的価値観と文化的価値観が同居している。そして様々な生き甲斐が同居している。
 もし、日本が高齢化社会を克服するとすれば、人口減少社会でも対応できる知識産業を育成することではないか。つまり、インバウンド消費、コンテンツ輸出、ICTを活用したシステム収入等である。加えて、日本独自の食品食材輸出、機械や部品、道具の輸出、ノウハウの輸出等が有望だろう。
 それらの税収を国内に回し、福祉や介護の仕事で個人や地域経済が活性化し、そのゆとりと精神性により、更なる魅力を訴求するのである。
 最早、成長戦略は経済成長を意味しない。脱経済的経済を目指すべきだと思う。 

*有料メルマガj-fashion journal(217)を紹介しています。本論文は、2016.1.11に配信されたものです。リアルタイムでの講読をご希望の方は、http://www.mag2.com/m/0001355612.htmlよりお申し込みください。

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