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July 10, 2016

ソーシャルウェアの発想 j-fashion journal(201)

1.大衆ファッションの行き着く先

 欧米社会は階層社会だ。服装は社会的な階層により規定され、一目観るだけでどんな階層に所属するかを区別することができた。
 まず、社会的階層の区別があり、その下位にブランドがある。ブランドは、勿論、特定の階層の顧客を対象にしている。そのため、好き嫌いだけで、着用するブランドを次々と変えることはほとんどない。自分に相応しいいくつかのブランドから服を選ぶのが一般的だ。
 戦後日本は一億総中流社会とされ、経済的格差が異常に少ない社会を実現した。年功序列、終身雇用という給与制度は、能力に関わりなく、身分を安定させた。
 職人の衣装などの伝統的な服装は、身分や職業を表し、スーツはサラリーマンのユニフォームとなった。サラリーマンの比率が上がるにつれ、ビジネススーツは会社勤めの男性の服装として定着した。

 一億総中流の日本において、衣装とファッションは別物だった。ファッションは新奇な風俗であり、好奇心旺盛な若者が主役だった。日本の若者にとって、ファッションのタブーは皆無に等しい。宗教的タブー、社会的タブーがなく、奇妙な格好をしても、「ファッションだから」と言えば、それですむのだ。
 高度経済成長と共に、若者の可処分所得が上昇し、ファッション消費も増加した。しかし、90年代半ばから中国製品を中心とした激安商法がブームとなり、ファッションの変化を追いかけるより低価格志向が強まった。
 同時に、アパレル製品より、デジタル機器の変化が目立つようになった。春と秋にパソコンの新モデルが売り出され、やがて、携帯電話、スマホ、タブレットへと対象は変化した。
 ファッションの対象はアパレルからデジタル製品となり、やがて、3次元から2次元へと移行していったのである。
 最早、アパレル製品はファッションではない。アパレルはコモディティであり、ティッシュやトイレットペーパー、洗剤のような存在になっている。
 
2.回転寿司と高級寿司店の違い

 日本のアパレルがコモディティになったことを嘆く声もあるが、これを元に戻すことは叶うまい。逆に言うと、一般の人々がコモディティのような服を着るようになったことで、服装を通じて、社会的なステータスを表現したり、自分の生活スタイル、主義主張、宗教的価値観等を表現することができるようになったのかもしれない。
 欧米のファッションは上流階級から始まり、次第に庶民に下りていった。そして新興工業国の中間層がファッションを楽しむようになり、ファストファッションがブームとなった。
 日本は一億総中流社会で、最初に大衆ファッションが開花した。しかし、今後は格差問題が生じ、貧富の格差が拡大していくだろう。
 日本社会は同調圧力が強いと言われる。それでも高所得者層が低所得者の風俗に水準を合わせ続けるとは思えない。一目で分かるようなラグジュアリーブランドを好む人もいるだろうが、目立たない高級品が出てくるのではないだろうか。
 回転寿司に流れてくるマグロと、高級寿司店で出てくるマグロは、明らかに異なる。しかし、マグロの握りという点では同じ商品だ。
 これをアパレルに置き換えれば、1900円の白い綿シャツと、19000円の白い綿シャツがあってもいい、ということだ。一見すると同じでも、糸や織物密度、縫製仕様が異なるのだ。
 成金趣味なら、マグロの握りに金箔を乗せるかもしれない。同様に、白いシャツにも大げさな刺繍やプリントを施すこともできる。しかし、そうではなく、一見するとユニクロの商品とほとんど同じで、実は中身が全く異なるという商品を好む人々が出てくるのではないか。これは、欧米のラグジュアリーとは全く異なる価値観である。
 
3.住宅選びのように服装を選ぶ

 服は社会的役割を果たす記号である。学生服を着ていれば学生で、ビジネススーツを着ていれば、サラリーマンだと分かる。それでは、社会人になってから、大学院に進学する場合はどんな格好をすればいいのか。あるいは、定年を迎え、リタイアした後にはどんな格好をすればいいのか。
 会社よりも、家族のつながりが重要だと思えば、家族のつながりをどのように表現すればいいのだろうか。
 生活している地域社会に誇りを持っているならば、どんな服装をすればいいのか。
 今後のファッションデザインは、顧客のアイデンティティを、どのように解釈し、それを表現する服装を提案することが重要になるだろう。
 ファッションデザインは、トレンドだけではない。むしろ、素材、仕立ての違いにより、どんなアイデンティティを表現するかが問われる。
 今後の服装は、住宅に似てくると思う。団地や建て売り住宅のように大量生産の合理的な住宅ではなく、地域や家族によって、どんな生活スタイルを選ぶかが問われる。
 自分たちの好みだけでなく、周囲の景観との調和も考えなければならない。あるいは、地域におけるその家の役割も問われるかもしれない。
 最近は、新築ではなくリノベーションを選ぶ人が増えている。新築住宅にはない時間、歴史、記憶が住宅に刻み込まれていることに価値を見出しているのである。そんな住宅を好む家族には、どんな服装が似合うのだろうか。我々はどんな服を提供すればいいのだろうか。
 
4.ソーシャルウェアという発想

 ファッションの大衆化により、誰もが自由に、個人的嗜好で服を選ぶようになった。しかし、これからの日本は、むしろ、服の役割を見直し、服を建築のように景観の一部と捉え、どんな服を着れば国が美しくなるのか、という視点が必要になるだろう。
 ファッションは個人のものではなく、社会のものだという発想。ファッションを通じて、社会をより良くするという発想が求められると思う。
 景観を守るために、建築物の色彩をコントロールしようという動きがある。同様に、ファッションも色彩もコントロールするべきかもしれない。
 江戸時代、華美な服装は禁止され、庶民が身につけられるきものは、素材は「麻」か「綿」、色は「茶色」「鼠色」「藍色(納戸色)」のみと限定された。しかし、その制限が、「四十八茶百鼠(しじゅうはっちゃひゃくねずみ)」という豊かな色のバリエーションを生み出した。
 実は、西洋でも茶とグレーは最も洗練した色彩と言われている。究極の派手さを究めた後に、こうした渋い色彩が好まれることは興味深い。
 個人の嗜好を優先させるならば、自由な色彩を使ってもいい。しかし、家族アイデンティティ、地域ナイデンティティを表現するならば、あえて色を制限することがあってもいいのではないか。
 自由から制限へ。しかし、それは不自由ということではない。更なる精神の自由を目指すために、あえて色彩やデザインを制限するという美意識があってもいいと思う。

*有料メルマガj-fashion journal(201)を紹介しています。本論文は、2015.9.21に配信されたものです。リアルタイムでの講読をご希望の方は、http://www.mag2.com/m/0001355612.htmlよりお申し込みください。

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