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February 10, 2016

なぜ、日本の大学教授の講義はつまらないのか? j-fashion journal(184)

1.教師は甘やかされている

 私は留学経験はないが、アメリカの大学の講義の方が日本の大学の講義より面白いと思っている。Youtubeでいくつかの公開講座を聞いたのだが、とてつもなく面白いのだ。勿論、花形講師だとは思うが、とにかく意味が分からなくても面白いのだから凄い。意味が完全に分かったら、腹を抱えて笑えるに違いない。
 ある意味で、お笑い芸人より面白い。なぜなら、意味のある笑いだからだ。「ギャグ」と称して、笑う約束を決めて演じても、ちっとも面白くない。それなら、落語の方が面白い。ストーリーがあるし、笑いもある。そう、アメリカの大学講座は落語のようだ。笑いながら飽きずに聞いていて、終わると、何かしっかりしたものが頭の中に残っている。
 自分が書いた教科書、あるいは他人が参考書籍を単純に読むだけの講義とか、何十年も変わらない板書をする講義はつまらない。いや、つまらないどころか、馬鹿にされていると感じてしまう。『お前らは、この程度の講義で十分なんだ』という暗黙の声が聞こえてくるからだ。

 また、講義に情熱を感じないのも退屈になる原因だ。自分は何十回、何百回も話しているかもしれないが、聞く方は初めてである。聞き手の興味をかきたてるような話し方をするのがプロの教授というものではないのか。
 私は、大学に限らず、小中学校、高校、大学、専門学校のいずれの教師も甘やかされていると思う。どんなにつまらない話でも、怠惰な態度でも責任を取らされることがない。チェックを受けることもないし、競争原理も働かない。従って、自らの技術を磨くというモチベーションもない。

2.なぜ、アメリカ人はジョークを言うのか?

 アメリカ人の人気講師(誰でも面白いわけではないだろう)は、ジョークを欠かさない。というより、ジョークを交えることで、講義全体のリズムを取っていることが分かる。聴衆は、緊張している。その緊張をほぐし、また緊張を与え、フッと息を抜かせる。この呼吸のコントロールが巧みであれば、聴衆は飽きないで、最後まで集中を切らせることはない。
 実は、スピーカーも同様なのだ。自分の気持ちを持ち上げるばかりでは一本調子になってしまう。少し力を抜いたり、緊張させたりというリズムが大切だ。そして、ジョークは場面転換の時にも使われる。ジョークで笑わせ、笑いが納まったところで次の話題に転換する。
 アメリカ人はジョークが好きだからジョークを言うわけではない。ジョークはスピーチ全体の中でリズムを持たせる役割を果たしている。そして、重要なことは「ジョークはアドリブではない」ということだ。思いついたから言うのではなく、最初からPPTに仕込んであることが多い。
 場合によっては、動画を使ったり、品物を持ち込んだり、様々なテクニックを使って、スピーチ全体の流れを構築しているのである。
 正に、しゃべりのプロであり、本人もそのことにプライドを持っている。
 講義をが終わると、スタンディングオベーションを受ける。聴衆はジョークを面白がっているだけでなく、内容にも感動し、一つの作品として講義を評価しているのである。
 私は、日本人の大学教授や講師も職業的なプロ意識だけでなく、「しゃべりのプロ意識」を持つべきだと思う。そして、聴衆を感動させなければならない。
 
3.日米のパワーポイントの違い
 
 まるで芝居のように、エンターテインメントのように講義を行う、アメリカ人の大学教授達。彼らのPPTと日本人が作るPPTはまるで性格が異なる。
 実は、私もそうなのだが、日本人が作るPPTの多くは印刷し、資料として配布することを想定している。
 特に広告代理店が作るPPTは、パンフレットそのものだ。あまりにも中身の濃いPPTを作るので、全てを説明できないほどだ。つまり、スピーチよりPPTが詳しいのだ。極論すれば、PPTの資料さえ貰えば講義は聞かなくても分かる。
 アメリカ人教授の作るPPTは手作り感にあふれている。特徴的なのは、自分のプライベートな写真を混ぜることが多いということである。それがジョークにつながっている。訳の分からない写真を入れたり、わざと誤字を消して修正したものを加えたりして、ジョークの種を散りばめているのである。
 それらを見せながら、講師は凄い早口でしゃべり、声色を使い、大袈裟な身振り手振りを交えながら機関銃のように言葉を連発するのだ。
 PPTは資料ではなく、講師のステージの舞台装置であり、演出小道具である。そのため、PPTを見ただけではスピーチの内容は分からないし、そもそも資料として配布することもないのだろう。
 もし、資料として配布するのならば、PDFをどこかに上げておけばいいのだ。

4.質疑応答ができる雰囲気、できない雰囲気

 日本では、大学や専門学校ばかりでなく,会社の会議でもセミナーでも挙手をして質問する人が非常に少ない。これは、日本人の性格ばかりとは言えないのではないか。
 もし、アメリカ人の人気講師のように、ジョークを交えながら、笑わせたり、緊張させたり、という授業であれば、質問も出るだろう。そもそも、質問するということは、講義を聞いて自分なりに考え、疑問が生じるから質問が出てくるのだ。講義がつまらなければ、内容が耳に入ってこない。自分の頭で考えることもない。質問など、出るわけがない。
 ジョークは、自分で考えるから面白い。ジョークは、自分の頭で考えるトレーニングの効果もあるのだろう。
 笑いは他人に移る。笑いは、精神的に同期しやすい。同じ時に、同じ話を聞いて爆笑している同士なら、心も開く。心が開くから質問が出る。心が開かなければ質問は出ない。
 質疑応答とは、「講師と話してみたい」という動機から生まれるのではないか。あるいは、「私の存在を認めてほしい」と思うから挙手するかもしれない。いずれにしても、心が通わない限り質疑応答は生まれない。
 自分の頭で考えさせることを目的とする講義ならば、リラックスさせなければならない。そして、講師と聴衆が心を通わせなければならない。その手段の一つがジョークであり、緊張と弛緩のリズムなのだ。
 もし、質疑応答が面倒ならば、講師は聴衆に対して、心を閉ざすことだ。情熱も感じさせず、自分の感動を伝えようともしない。そもそも、講師自身が感動したことがないのかもしれない。そして、ノルマを果たすように淡々と講義をする。そうすれば、誰も聞いていないし、聞いていたとしても心に響かない。勿論、質疑応答も出ないだろう。

*有料メルマガj-fashion journal(184)を紹介しています。本論文は、2015.5.25に配信されたものです。リアルタイムでの講読をご希望の方は、http://www.mag2.com/m/0001355612.htmlよりお申し込みください。

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