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September 08, 2015

なぜ、人は思うように動いてくれないのか? j-fashion journal(167)

1.チームが崩壊する事件

 最近、立て続けに組織がうまく動かないという話を聞いた。
 一つは、若いデザイナーがその友人の縫製工場の二代目と組んで、展示会を行う予定だったが、搬入当日になってサンプルが全くできていなかったという事件。
 二つ目は、展示会の準備で起きた事件。準備は担当に分かれて進行していたが、自分には指示が来なかったので、誰かがやっているのだろう、と勝手に解釈し、皆が作業を進行しなかったという事件。
 二つの事件に共通しているのは、「なぜ、互いに確認しないのか」ということだ。おそらく、「自分はリーダーではないので、全体の確認をする役割ではない」と思っていたのだろう。
 もう一つ共通しているのは、結局、実質的なリーダーが不在だったということだ。前者は、互いに相手に依存していたし、後者は責任者はいたが、担当を決めることがリーダーの仕事だと認識していた。

 昔の日本企業には、「阿吽の呼吸」というのがあった。特にリーダーが何もいわなくても、プロジェクトの全体像を共有し、相手の立場に立って助け合っていた。その前提には、お茶を飲みながら、あるいは、お酒を飲みながら、互いの役割を確認し、チェックしていたことがある。
 欧米の企業なら、リーダーに責任が集中しているので、全てはリーダーの責任になる。
 しかし、リーダーもいないし、阿吽の呼吸もない。気がついたら、そんな景色が増えている。
 
2.直接民主主義的な意思決定

 最近、気になることがもう一つある。それは、30歳代の若い世代に共通しているのだが、チームで何かを決定する時に、全員参加型、直接民主主義型が多いということだ。
 私にとって、これは非常に新鮮な手法であり、参加していて楽しい。しかし、準備が大変で、必ずしも成果が出るとは限らない。参加者の満足度が高いことは確かなのだが、「それでいいのかな」とも思ってしまう。
 私のような仕事をしていると、企業内で解決しない案件が持ち込まれる。だから、独断専行でやるしかない。自分で考え、自分で計画を立て、自分で実行する。勿論、チームで動くことも多いが、基本的にはプロだけを集める。任せれば仕事をしてくれる人たちだ。それでも、彼らを100%信じるわけではない。任せてできないこともあるし、その場合は、他の人に頼むか、自分でやるしかないのだ。
 だから、私の理想は、プロジェクトの全権を委任されることだ。つまり、実質的な社長の権限を与えられること。プロセス段階で、他人の意思決定に委ねると、多くの場合、プロジェクトそのものが消失してしまうことを何度も経験している。しかし、外部のコンサルタントはあくまで相談役であり、社長にはなり得ない。そこに矛盾がある。
 そんな私の手法では、冒頭の事件が起きるはずはない。常にプロジェクト全体の進行をチェックしているし、そもそも担当者やパートナーを信じきっていない。どこかで疑っている。そもそも、プロジェクトのスタート時点で、担当者の技量を推し量り、「彼には無理だろう」と予測を立てるに違いない。そして、「こういう失敗をするだろう」という予測も立てておく。そこまでやっておけば、後になって慌てることがない。
 基本的に私は民主的な意思決定を信じていない。どちらかというと、欧米型リーダーシップを基本に動いている。だから、全員参加のファシリテーションは不思議な光景でもあるし、興味深い。しかし、その分だけリスクも高いように感じる。

3.個人主義なきファシリテーション
 
 コーチングもファシリテーションも、根本的にはアンチ西欧型組織、アンチリーダーシップ型のような思想があるのではないか。日本経済が強く、日本株式会社と言われた頃の組織をアメリカの理論を使って再構築しようとしているように感じる。
 しかし、ここで問題なのは、アメリカのようにガチガチの個人主義社会では、「個人の能力を伸ばすことが社会の役割」という思想が存在するということ。日本のような嫉妬深い社会では、才能のある人間が潰されることも珍しくない。
 才能のある個人がいて、その優れた意見を伸ばそうという社会があってこそ、ファシリテーションにより参加者意識が共有できるし、最終的にチーム全体が正しい方向に進むことができると思う。しかし、悪平等の多数派の意見が支配的になり、参加者の満足感を優先するなら、チーム全体に革新が起きることはないだろう。
 また、ファシリテーターの役割が非常に重要である。ファシリテーターは個人であり、対立する意見の狭間に投げ込まれる。その中で、より良い方向に導いていくことは容易ではない。誘導が強すぎれば、これはファシリテーターではなくなってしまう。弱すぎれば、議論を誘導したり、まとめることができなくなり、議論が漂流することになる。
 そう考えていくと、個人主義で研ぎ澄まされた個人が集まったチームを、日本人のように他人の気持ちを読み取るのが上手なファシリテーターがまとめ上げていくのが有効かもしれない。しかし、日本社会、日本の組織には、個人主義は息づいていない。そのあたりに、組織が混乱する原因があるのだろう。
 
4.プロフェッショナリズムとレスポンシビリティ

 参加者のモチベーションを上げること。参加者が満足すること。これは正しいことだが、一抹の不安も覚える。
 企業は、市場で競争し、勝たなければならない。それには、プロフェッショナリズムとレスポンシビリティが不可欠だ。レスポンシビリティは「責任」の意味だが、どうもニュアンスが異なるような気がしている。
 ある映画で見た話。10歳の女の子が3歳の男の子の面倒を見るように頼まれる。しかし、彼女たちがいる大都市で火山が噴火し、街中がパニックになる。そんな中で10歳の少女が3歳の男児を命懸けで探し回り、発見し、命を救う。父親は「良くやったな」と褒めると、少女はにっこり笑って「私のレスポンシビリティだから」と応える。
 これを単に「責任」と訳していいのか。一度、約束したことを守り、自分より弱い存在を守らなければという責任感。
 日本の親なら、「そんな子供のことは放っておいて、自分の命を守りなさい」と言うと思う。日本人の親は、娘が自身の危険を顧みずに、命懸けの行為をしたことに対して褒めることができるだろうか。
 与えられた役割を果たすという責任は、プロフェッショナリズムの基本だ。その責任を放棄すれば、一般の人が迷惑する。自分はプロフェッショナルなのだという誇りとレスポンシビリティを持って仕事をしているのである。
 個人主義の国で、社会が機能するには、個人のレスポンシビリティが存在することが条件である。個人主義でレスポンシビリティがなければ、単なる我が儘な集団に過ぎない。
 一つのプロジェクトを複数の担当者が進行する場合、このプロフェッショナリズムとレスポンシビリティがあれば、「他人が進行してくれる」という甘い期待をしたり、「自分がやらなくても何とかなるのではないか」と判断することもない。
 しかし、全員参加型のファシリテーションにおいて、参加者はプロフェッショナリズムとレスポンシビリティを持っているのだろうか。意思決定の仕組みと個人の思想がかみ合ってこそ、組織は機能する。私が感じる危うさの原因は、このあたりにありそうだ。

*有料メルマガj-fashion journal(167)を紹介しています。本論文は、2015.1.26に配信されたものです。リアルタイムでの講読をご希望の方は、http://www.mag2.com/m/0001355612.htmlよりお申し込みください。

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