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December 08, 2014

滅びる技術・生まれる技術 j-fashion journal(130)

1.モノが少ない時代の技術

 限られた土地と限られた食料の中で、生存できる人口は決まる。
 国立社会保障・人口問題研究所の統計データによると、奈良時代初期の日本の人口は451万人、平安時代初期が550万人、平安時代末期が684万人、戦国時代末期が1227万人、江戸時代末期が3383万人と推移している。
 江戸時代に人口が急激に増えたのは、新田開発によるものだ。治水技術が向上し、農耕地が広がり、食料が増産され、人口は増えた。
 江戸時代までの日本は、国内生産したものを国内消費し、ぎりぎりで需給バランスが保たれていた。食料を余剰生産しても売れないし、冷害等で食料供給が不足すれば、多くの人が命を落とした。
 需給バランスという意味では、食料以外の商品も同様だったと言えよう。
 江戸時代の高度な職人仕事には、こうした背景がある。大名や豪商から注文された商品を半年かけて作っても、販売することができれば何年も生活できた。供給過剰の現在のように価格競争に陥ることはなかった。
 江戸末期の奉公人の収入は月1両程度(現在の価格に換算すると約10万円)と考えられている。当時の新品の木綿のきものも1両近かったそうだ。

 現在の衣料品は大量生産で低価格が当たり前になっているが、江戸時代の衣料品は高額であり、庶民は古着を着るのが一般的だった。また、当時のたばこ入れも1両程度であり、職人が作る商品を決して安くなかった。
 江戸時代は末期になるとインフレが進行しており、換算が正しいとは言い切れないようだが、目安にはなるだろう。
 伝統工芸は江戸時代の技術を継承することを目的としている。江戸時代の物価水準で10万円なら、現在でも10万円になる。10万円の木綿のきもの、10万円のたばこ入れが売れるのならば、伝統工芸は衰退することもないだろう。 
 
2.大量生産体制と輸入品の増加

 明治以降、日本政府は富国強兵政策を掲げた。富国の役割を担ったのが、繊維産業だった。イギリスの産業革命の技術を導入し、大量生産を行い、良質で安価な製品を欧米市場に輸出した。ここに至って、日本の製造業は国内市場の需給バランスとは縁を切り、輸出を前提にした大量生産体制に移行することになる。
 繊維製品の輸出に「待った」が掛かったのが、70~72年の日米繊維交渉決裂だった。アメリカ国内の繊維関連事業者がアメリカ政府に圧力をかけ、日本が繊維製品の対米輸出を自主規制するように迫ったのである。
 自主規制の見返りとして、設備の登録制と補助金制度が設けられた。新規参入を制限するという政策だったが、登録しなくても罰則があるわけではなかった。結局、既得権益を厚く保護したという以外には何の意味もなかったように思う。
 輸出の自主規制と共に、繊維産業は輸出から内需への転換が図られた。アメリカ型の大量生産を基本としたアパレルの企画生産手法が紹介され、同時期に大量販売を目指すチェーンストア理論も紹介された。これらによって、大量生産大量販売の仕組みが整えられたが、実際にはアメリカ式の大量生産が根付く前に、消費の多様化、成熟化が顕著となり、多品種少量生産へとシフトしていった。
 大量生産は日本市場に馴染まなかったとも言えるだろう。
 その後、日本の繊維輸出に対して壊滅的な打撃を与えたのが85年のプラザ合意だった。これにより大手縫製メーカーが海外移転を行い、紡績等の素材メーカーも続いた。
 多くの国内繊維関連企業が淘汰されたが、それ以上に海外生産商品が日本市場に投入された。
 中国の改革開放政策により、日本の商社は競い合うように合弁会社を設立し、巨額の設備投資を行った。その生産体制が軌道に乗って、90年代半ばからは激安商法が主流になっていく。
 日本の国内製造業者は、輸入品との価格競争を余儀なくされ、更に淘汰が進んで行った。国内生産が空洞化しても、輸入品が増加するので、供給過剰の状態は常に維持されている。供給過剰は価格競争を招くが、消費者にとって悪いことではない。常に、安い商品が供給されるからだ。
 国内製造業の賃金水準が上がらないので、若者の就業は減少し、後継者難と高齢化が進んでいる。
 最早、多少為替が円安に振れたとしても、繊維関連の国内製造業が復活するのは難しいだろう。

3.伝統的手工業は生き残れるのか?

 先日、注染や長板染めなど、浴衣に関する染色技術が生き残れるか、というトークショーがあった。注染も長板染めも伝統的手工芸だが、手描き友禅などに比べれば、合理的な大量生産が可能である。
 そもそも、手描き友禅という技法も、分業化することで大量生産を可能にした技法である。一人の職人が最初から最後までの工程を行うのではなく、生地の段階でも、撚糸、整経、機織、整理等が分業化されている。染色過程でも同様だ。図案制作、糸目描き、地入れ、彩色、糊伏せ、引き染め、蒸し、水洗、湯のし、仕上げというように、数多くの工程をそれぞれの職人の技術によってリレーのように制作されていく。産地が巨大な工房なのだ。
 こうした分業により、大量生産が可能になり、分業化したことにより、各工程でより深い技術が磨かれていく。それらの結晶が伝統工芸なのだ。しかし、分業体制はある程度の生産量が維持できなければ崩壊してしまう。分業が崩壊することは、各工程の技術が絶えることでもある。
 それでも生産を継続しようとすれば、分業から統業へと向かうほかはない。自社で全ての工程を行う内製化が必要になる。
 同時に、こうした流れは手工業からアートへ向かうことでもある。前述した注染め、長板染めもアートとして生きるか、手工業として生きるかの分岐点にいる。アートとして生きるならば、技術を訴求するのではなく、デザインが重要になるだろう。古典柄ではなく、独創的な柄や色彩が求められるのだ。また、デジタルプリントの技術は、分業体制を維持できなくても、創作的な表現が可能になる。
 こうして一部の技術は滅び、新たな技術が生まれることになる。
 また、分業から個人の創作活動に移行する段階で、技術そのものの内容も変化するに違いない。
 
4.伝統工芸は過去の技術革新の集積

 日本の伝統工芸も実は技術革新の歴史であり、集積であるとも言える。たとえば、結城紬は手作業で絣の柄をつけるが、大島紬は「しめばた」と呼ばれる締め機で絣模様をつける。つまり、この部分は機械化が進んでいるということだ。
 日本の伝統工芸の多くは、このように各時代の技術革新の集大成である。技術革新が行われたということは、それ以前の技術で捨てられたものがあるということだ。したがって、現在の伝統工芸士のように技術革新ではなく、古い技術を継承するだけの資格認定制度は、かえって日本の伝統文化の進化を損なう恐れさえ感じるのである。
 技術とは時代と共に変化するものである。職業や技能も時代と共に変化しなければならない。
 前述したデジタルプリントやCGを活用した技術は、過去にない表現を可能にするだろう。しかし、こうした新しい技術を開発する仕組みはない。古い技術を継承する仕組みはあっても、新しい技術を開発するのは市場原理に任されている。
 新しい技術を開発し、ビジネスの条件を満たすまでの期間は、どうすればいいのか。私はここにもアートの存在意義があると思う。 つまり、古い技術の伝承も、新しい技術の開発もアートがその役割を担うべきなのではないだろうか。
 そう考えていくと、技術の保護と商談の有無ばかりに価値を認めるのではなく、デザインやアートの振興に対しても、積極的に価値を認めるべきだと思うのだ。
 継承という意味では、家元制度は非常に良くできた制度と言える。市場原理に流されることなく、技術を後世に残そうとすれば、技術そのものに精神的な意味を持たせ、それを世襲のリーダーを中心に独自の集団を作り、技術を伝承していく。外部に頼らず、市場に頼らず、継承そのものを目的としたシステムだ。
 前述した、伝統工芸士は官製家元制度かもしれない。

*有料メルマガj-fashion journal(130)を紹介しています。本論文は、2014.5.19に配信されたものです。リアルタイムでの講読をご希望の方は、http://www.mag2.com/m/0001355612.htmlよりお申し込みください。


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