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June 17, 2014

シングルライナー、再び j-fashion journal(114)

1.私とベネトンの出会い

 ベネトンの歴史を簡単に振り返ってみたい。
 創業者のルチアーノ・ベネトン(Luciano Benetton)は、1935年、イタリアのトレヴィゾに生まれる。1955年、「トレ・ジョリー」を創業。当時のニットウェアは地味な色が多く、ルチアーノ・ベネトンは、カラフルなニットの生産をしようと会社を設立したという。
 65年、最初の工場を設立し、同年、初の単独ショップ「マイ・マーケット」をベッルーノにオープンし、会社名とブランド名をトレ・ジョリーから「ベネトン」へ変更した。69年にはパリにショップをオープンし、86年、ミラノとヴェネチアの株式市場に上場を果たす。
 ベネトンには、私も個人的な縁がある。1981年、私は初めての転職をした。二社目となるアパレル企業は、ベネトンタイプの新ブランド開発を計画していた。私はその企画担当者として入社した。

 当時、日本のアパレル業界でベネトンは大きな話題となっていた。ミラノ、パリに展開しているカラフルなニットショップが大人気だと言うのだ。当時、ニットだけでショップ展開する「シングルライナー」という言葉そのものが珍しかった。当時、多くのアパレル企業経営者は、「同じコンセプトの店を日本で展開すれば成功する」と考えた。そして、いくつものアパレル企業がベネトンタイプのシングルライナーのブランドを開発していた。私が担当したのは、そのうちの一つだった。
 1982年、私は単独でパリ、ミラノにベネトンショップの視察に出掛けた。パリ、ミラノの複数の店を観たが、それらの店は内装も商品の色の配列もバラバラだった。それでも、セーターとマフラー、帽子などが同じ素材、同じカラーで展開されている店は新鮮だった。
 同年秋には、私が開発したブランドが展開された。メンズ2サイズ、レディス2サイズのセーターを16色展開。素材はベネトンと同様のラムウールを使用し、10ゲージの手横編機を使った。また、オリジナル什器を開発し、専門店にコーナー展開をした。
 しかし、計画したようには売場が取れず、多量の在庫を抱えることになり、打開策を図るために外部のコンサルタントに相談した。(この出会いが、後に私がフリーランスのコンサルタントになる契機だった。)
 1984年に私は再び転職する。三社目のアパレル企業だ。今度のプロジェクトは、百貨店自主MDプロジェクトのための新ブランド開発だった。そこでは、アパレルを一人で立ち上げるような経験をした。企画スタッフの引き抜き、ニッターや縫製工場の開拓、生地の仕入れ先の開拓を一人で行った。また、商社を通じて中国生産のニット製品を手掛けた。
 その後、当時赤字が続いていたシングルライナーブランド(これもベネトンタイプだった)の担当も兼任することになった。そして、ブランドリニューアルを行い、一年間で赤字ブランドを黒字に建て直した。
 私は一人で二つの会社のベネトンタイプのシングルライナー・ブランドを手掛けたことになる。
 
2.新たなシングルライナー構想

 当時のアパレル業界にとって、シングルライナーが魅力的だったのは、「流行やトレンドと無関係でも商品が売れる」ことだった。トータルコーディネートの提案にも疲れていたのかもしれない。その中で、ニットアイテムだけを多色展開して見せたのがベネトンだった。
 視覚的にも楽しく、計画生産が可能な商品MD。アパレルにとって理想的な業態に映ったのである。
 もう一つ、注目すべきは、当時のファッションシーンには、既に「アンチモード」「チープシック」などの動きがあったということ。私自身、原宿の最先端ファッションの現場にいたが、ワーキングウェア、スポーツウェア、ミリタリーウェア、古着に魅力を感じていた。これは同世代のデザイナーとも共通している。ベネトンのシングルライナーは、アンチモードの動きにも連動していた。それも含めてベネトンは、パリやミラノで人気を集めていたのだと思う。
 その後、ベネトンはニットのシングルライナーという業態から、フルアイテム展開のイタリアンカジュアルブランドに転換する。
 同じ時期に、私自身も多色のカラー展開に限界を感じていた。むしろ色を絞り、素材のバリエーションを展開したい。あるいは、もっと高級な素材を使いたいという思いを強くしていた。世の中がバブル景気に沸き返り、ボディコンが登場した頃である。シングルライナーブームは自然に消滅していた。
 私は上質なトラッドを基本にした現代的なファッションをブランド化したいと思うようになった。現在のセレクトショップのようなテイストである。
 しかし、諸々の事情で、私はアパレル企業を退職し、フリーランスとなり、百貨店やテキスタイル産地に通うようになる。それから25年以上が経過した。
 最近、私が感じているのは、再びシングルライナーへのニーズが高まっていること。しかし、昔のベネトンのようなベーシックなデザインではなく、もっと個性的なデザインだ。
 ベーシックなら、「ユニクロ」「無印良品」がある。トレンドを追い掛けるのは、「H&M」や「ZARA」に任せておけばいい。
 現在の市場に欠落しているのは、個性的でリーズナブルな商品。その切り口として、多色のカラー展開があっても良いのではないか、と思うのだ。
 たとえば、リバーシブルの半袖シャツが多色で展開されている店。あるいは、ワンピースの多色展開。男女のショートパンツの多色展開も面白い。それらと同じ素材でトートバッグやスニーカーも展開したい。フルコーディネートではないが、服と雑貨とのコーディネート。一つ一つの単品は、完成度が高いベーシック素材で作られている。
 できれば、男女、子供から大人までのサイズ展開を行いたい。一人一人のコーディネート訴求ではなく、友人同士、カップル同士、家族でコーディネートできる服。そんなイメージだ。
 
3.シニア層に訴求できるデザイン商品

 若々しいデザインでサイズのバリエーションがあること。これは、シニア層への訴求の条件になる。シニア向けというと、いかにも年寄り臭い服が多いのだが、現在のシニア層は、気持ちが若い人が多い。高齢者であっても、年寄り臭い服は嫌がる。
 気持ちは若くても、体型は変化する。だから、デザインは若くていいから、サイズバリエーションは欲しい。これは男女に共通したポイントだ。
 デザインバリエーションは、シルエットの変化やディティールの変化ではなく、カラーの変化を重視する。カラーの変化だけでも、十分にトレンドは表現できるだろう。
 ここでも、若者からファッション上級者のシニア層までを意識したカラー、配色を心がけるべきである。
 かつてのシングルライナーは、ニットが中心だったか、ここで考えているシングルライナーは布帛アイテムが中心になる。素材は絞り込み、カラーバリエーションを増やす。シャツ、パンツ、ジャケット、ワンピース、スカート等を、色で遊ぶというコンセプトだ。カラーバリエーションと配色によって、アパレル製品と言うよりデザイン製品と思われなければならない。そして、それと共にトートバッグや服飾雑貨を共通素材で展開する。
 トートバッグ、服飾雑貨が重要なのは、売り方だ。イベント販売、ネット販売において、トータルアイテム展開によるスタイリングより、単品の魅力で訴求した方がいい。しかも、イベント販売の場合は、衝動買いができる商品を揃えておく必要がある。
 このシングルライナーへの取り組みは、アパレル製品を雑貨化できないか、デザイン商品にならないか、という実験でもある。新しい時代の商品MDの実験として、どこかで試してみたい。

*有料メルマガj-fashion journal(114)を紹介しています。本論文は、2014.1.27に配信されたものです。リアルタイムでの講読をご希望の方は、http://www.mag2.com/m/0001355612.htmlよりお申し込みください。

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