My Photo

お知らせ

無料ブログはココログ

« 成長より継続を優先する千年ビジネス j-fashion journal(110) | Main | 内なるものを目指す j-fashion journal(113) »

June 17, 2014

ジャパンスタンダードのグローバルビジネス j-fashion journal(112)

1.ベンチャーを望まない日本社会

 「一つのことをやり続けることは美しい」「次から次へと新しいことに手を出すのは軽薄」「就職した会社を辞めて、転職するのは良くない」・・・。長年、こうした考え方が日本社会の良識とされてきた。
 「商道徳」「流通秩序」という言葉もある。「商道徳に反する」とは、約束を守らないことや相手を騙すことだけではない。そこには、互いのテリトリーを守るという意味が含まれている。すなわち、「問屋が小売店を経営すること」「メーカーが問屋を通さずに小売店に商品を卸すこと」は「流通秩序を乱すこと」とされる。
 これらの常識や道徳は、全て既得権保護につながっている。既得権を守ることは悪いことばかりではない。無用な競争を防ぐことで、業界は共存共栄が図れる。
 一方で、既得権を守ることは新規参入を妨害することにつながる。「産地の活性化」は、既存の企業の業績改善を意味する。新規参入企業を増やしたり、起業を推進するのではない。「商店街の活性化」も同様だ。既存の店舗の売上を上げることが目的であり、空き店舗の有効利用や新規参入を促進することではない。

 起業家、あるいはベンチャー企業が新規参入する場合、分厚い既得権者が存在する業界を選ぶ人は少ない。既得権者にとって、既得権は生活の糧である。多くは、長年継続してきた事業だ。それを奪われるとなれば、命懸けで抵抗するだろう。
 従って、新規参入は既得権者がいない新しい産業に限定される。ICTやバイオ、ナノテクノロジーにベンチャーが集中するのも、既得権が存在しないからだ。その中で、小資本でも始められる分野にしかベンチャー企業は参入できない。ICT関連だけにベンチャーが集中するのは、こうした理由からだ。
 日本には、起業家が資金調達するシステムも整備されていない。最近になって、ようやくマイクロファンディングやクラウドファンディングが出てきたが、投資対象になるのは、既得権を破壊するようなプロジェクトではなく、ニッチ市場を対象にしたものが多い。イノベーションにより、業界の勢力図を書き換えるような可能性を持つプロジェクト、すなわちハイリスクハイリターンのプロジェクトには投資されない。
 「ベンチャー起業が育たない」「起業家が育たない」と言う割には、誰も本気で育てようとしていない。行政の創業支援も、「のれん分け」を前提にしている。
 「日本では、ビルゲイツやスティーブ・ジョブズのような人材が育たない」と言われるが、日本社会がそれを望んでいないのだ。それどころか、本当のイノベーターは公的権力をもって潰されることさえある。もし、リクルートの江副さんやライブドアの堀江さんを許容するような社会なら、ベンチャー企業は確実に増えていただろう。
 
2.「戦争の時代」と「共存共栄の時代」

 最近の若者は、「社会起業家」を目指す人が増えている。
 ウィキペディアによると、「社会起業家(しゃかいきぎょうか)は、社会変革(英: Social change)の担い手(チェンジメーカー)として、社会の課題を、事業により解決する人のことを言う。社会問題を認識し、社会変革を起こすために、ベンチャー企業を創造、組織化、経営するために、起業という手法を採るものを指す。」とのこと。
 既得権益と戦ってイノベーションを進めるのではなく、社会に摩擦を生まず、世のため人のために役立ちたいという意志の表明なのだろう。
 本来、社会的活動は、税金を使う公務員が担っている。社会活動において、公務員は巨大な既得権益者だ。既得権益者と戦わず、行政の下請けのような活動をボランティアで行うならば、行政と共存できるに違いない。しかし、本気でチェンジメーカーになろうとすれば、行政や政治との戦いが待っている。
 既存のものを否定したり、既得権益と対立しなければ、世の中は認めてくれる。しかし、戦う姿勢を貫けば、社会から弾き出されてしまう。日本社会は、このあたりの仕組みが、非常に巧妙に出来上がっていると思う。
 戦わないということは、競争しないということだ。ダーウィンの進化論には、「生存競争」「適者生存」「自然淘汰」という思想が基本になっている。欧米には、「競争して勝ち抜かないと進化しない」という考えがあるように思う。競争は必要なことであり、競争を阻害することは悪と考えられている。
 それに対し、日本人は、大きな戦争もなく、265年間も平和を維持した江戸時代を経験している。江戸時代はある意味で、停滞の時代であり、成熟の時代である。改革や革新ではなく、改善だけを200年以上続けるという壮大な実験だった。その中で、日本人は「戦わない」という哲学を身につけた。
 明治以降、江戸の思想や価値観は全て否定された。日本は、一転して「戦う時代」を迎える。1868年から1945年までの77年間は「戦争の時代」だった。
 戦後の経済成長の原理は、「日本株式会社」「護送船団方式」「談合」「終身雇用・年功序列」が基本になっていた。経済戦争と言われるが、少なくとも、国内においては競争原理よりも共存共栄の原理が主流だった。そのシステムが実質的に破綻したのは、バブル崩壊後、大手金融機関が破綻した1997年~98年だったのではないか。1945年から52、53年間続いた「共存共栄の時代」は終焉を迎え、「グローバル競争の時代」を迎える。
 2014年現在、我々が「グローバル競争の時代」を経験したのは、わずか16、17年に過ぎない。それなのに、既に日本では「グローバル競争の時代」に対するアレルギー反応が出始めている。TPP反対、格差是正等だ。
 「原発反対」についても、「エネルギー政策や貿易赤字の実態を知らない無知な国民が反対している」という議論は的外れだろう。多くの国民はそんなことは先刻承知だ。その上で、経済成長、グローバル競争そのものを否定していると理解しなければならない。もし、「貧しくなっても不便になってもいい」という覚悟があるとすれば、どう対応するのか。それが問われている。
 
3.ジャパンスタンダードによる国際化

 私は、こう考えている。
 日本という国はグローバルには馴染まない。戦争も馴染まない。平和を目指す国家で良い。しかし、江戸末期のように一方的に侵略を受ける危険性があれば、平和は吹き飛んでしまう。
 平和を維持するために、最低限度の軍備は必要だろう。現在の自衛隊の兵力は、それに十分ではないだろうか。
 平和維持に必要なのは、軍備だけではない。国の精神力のようなものが必要だ。そして、世界との関係性を深める外交や経済的相互依存も重要である。
 そう考えると、私たち個人ができることは少なくない。日本人一人一人が確固とした思想と信念を持ち、世界の人々と堂々と対峙できるようになることが、結果的に平和につながる。
 インターネットの普及、SNSの普及により、個人の声は国境を超えて、世界に届く。ネット上で他人、他国を中傷し、身勝手で独善的な態度を取れば、その個人のみならず、企業も国も世界から孤立するだろう。最早、江戸時代のように鎖国をすることはできない。開かれた国を維持しながら、世界と付き合っていくことが必要だ。
 ビジネスの話に戻ろう。日本国内で競争原理、市場原理を高めようと思っても無理だろう。日本は既得権を大切にする国なのだ。
 勝負すべきステージは海外である。海外で勝負するには、海外を理解しなければならない。その意味でも、企業が多国籍化することは重要だろう。しかし、いわゆるグローバルスタンダードに揃える必要はない。むしろ、ジャパニーズスタンダードを基本にした多国籍化が望ましいのではないか。すなわち会社の公用語を英語にするのではなく、日本語にする。その上で、日本語が話せる外国人を社員として採用する。
 そして海外市場を攻略する。また、国内ビジネスにおいては、日本企業同士が協力する必要はないが、海外市場に対しては、積極的に企業が連携し、オールジャパンのチームとして対抗することが重要だ。
 以上のことが実現できれは、人口減少問題も解決するし、日本として経済成長を目指すことも可能になる。日本国内には外国人が多く生活するが、皆、日本語ができて、日本文化を好んでいる。そんな将来像を思い描きたいと思う。

4.世界を相手に起業しよう

 以上のような前提に立てば、目指すべきベンチャー企業像、起業イメージが見えて来る。
 起業するなら、最初から公用語を日本語にしたグローバル企業だ。本社は日本に置くが、市場は世界に求める。そのためには、日本国内の企業の力を結集してオールジャパンのチームを作る。そのプロデュースをして、ビジネスを成功させることは、日本国内の産業振興にも通じるし、雇用を増やすことにも通じる。すなわち、社会起業家的なビジネスにつながるということだ。
 日本の国内市場を対象とする限り、新しい企業連携はできない。企業連携ができなければ、シナジー効果も生まれない。国内では既得権と利害関係が絡み合っており、身動きが取れないからだ。
 ICTの普及が遅れているのも、国内市場を対象にしたビジネスだからだ。しかし、「海外市場を対象にしよう」ということになれば、ICT活用も説得力を増す。また、国内では利害が対立していても、海外ビジネスならば連携ができるのではないか。
 一時期、「日本にはプロデューサーがいない」という課題が指摘されていた。しかし、日本国内市場を対象にする限り、プロデューサーは必要とされなかった。プロデューサーという考え方そのものが、日本企業の組織に合わないのだ。
 プロデューサーが必要なのは、海外市場を対象にしたビジネスである。あるいは、海外企業との連携が必要なビジネスである。
 若者よ、日本語のできる海外の人と友達になろう。そして、世界を相手にビジネスをするからと、日本の企業やオジサンを説得しよう。

*有料メルマガj-fashion journal(112)を紹介しています。本論文は、2014.1.13に配信されたものです。リアルタイムでの講読をご希望の方は、http://www.mag2.com/m/0001355612.htmlよりお申し込みください。

« 成長より継続を優先する千年ビジネス j-fashion journal(110) | Main | 内なるものを目指す j-fashion journal(113) »

「ファッションビジネス」カテゴリの記事

Comments

Post a comment

Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.

(Not displayed with comment.)

« 成長より継続を優先する千年ビジネス j-fashion journal(110) | Main | 内なるものを目指す j-fashion journal(113) »