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June 26, 2014

ファッションのパッション j-fashion journal(116)

1.ホットからクールへ

 かつて、「ホット」という褒め言葉があった。「それはホットだね」と言えば、新鮮で出来立てな、あるいは、熱気に溢れている感じ。「彼はホットだね」と言えば、やる気満々のるエネルギッシュな男性。「ホット」は、熱、エネルギーを示す。ある意味、マッチョで、肉体的なイメージがある。
 それがいつしか「クール」が「カッコイイ」「イケテル」という意味に使われるようになった。クールには、「冷静な」「冷淡な」という語感がある。肉体ではなく頭脳。ソウルミュージックではなく、テクノミュージック。クールには、コンピュータのイメージもある。冷静に計算を続けるコンピュータはクールだ。
 ビジネスもホットからクールに変化している。精神論ではなく、データに基づく戦略論。「ノウハウさえあれば簡単に金儲けができる」というビジネス書が出てきたのもクールな事象の一つかもしれない。「無駄でホットな努力をするよりも、クールに勉強して成功しよう」という感じだろうか。

 ICTビジネスは、ある意味で「知る者が知らざる者から収奪する」ビジネスである。既得権にしがみつき、富を独占してきた既得権益者から、ICTに詳しい若者世代が富を収奪するという行為はクールなのかもしれない。
 ホットからクールの流れはファッションビジネスにも影響を与えている。かつて、ファッション業界、アパレル業界に入ってくる人間は、ホットだった。服が好きな専門学校卒のスペシャリスト志望者。何らかの理由で落ちこぼれたが、成り上がってやろうというエネルギーを持った者。ファッション業界は、ホットな人間が集まるホットな業界だったのだ。その意味で、ファッション業界は芸能界や広告関係、一部の飲食業界にも共通していた。それらのホットなコミュティがファッションをリードし、ファッションが時代をリードしていたのだ。
 90年代半ばから、バブル崩壊の影響が表面化し、ファッションビジネスは激安商法が主流となった。安くすれば売れる、という意味で、ファッションビジネスは分かりやすくなった。適度にトレンドを取り入れ、品質の良い商品を安く調達すれば成長する。ここ20年間は、その流れが主流になった。
 ファッション業界に入ってくる人材の質も変わった。高学歴で優等生の人材が集まるようになった。ファッションビジネスはクールになったのかもしれない。
 
2.クールジャパンはクールか?

 ファッションビジネスは熱を失った。ホットな業界ではなく、クールな業界になった。その中で浮上してきたキーワードが「クールジャパン」だった。
 「クールジャパン」は、外国人の日本マニアが日本独自の文化や美意識、価値観をクールと言い出したことに始まる。最初は、マンガやアニメをクールとされた。なぜ、日本のマンガやアニメはクールなのだろうか?それは日本のマンガやアニメが独特の世界観を持っているからだろう。
 その世界観はキリスト教的なタブーや、欧米の階層社会のタブーから自由だ。社会的規範が多い西欧社会からは発想できない世界観、価値観、美意識がマンガやアニメの中にあった。西欧社会の日本マニア、日本オタクは、それらをクールと感じたのだ。
 海外からクールと言われるものは、西欧の規範に対してクールという意味である。西欧の規範に対して、影響を受けないし、規制を受けないという意味だ。しかし、西欧にとって自由であっても、日本人にとっては自由ではない。そこには、日本社会独自の規範が存在する。
 日本社会の中では、マンガやアニメがクールと言われることはない。コスプレやゴスロリもクールと言われない。それらは、オタクやマニアの世界であり、一般人には関係ないと思われている。
 オタクという言葉も、西欧社会では一つのことを探求する純粋な人という意味が強い。蔑称ではなく尊称なのだ。
 最近は、クールジャパンの領域も拡大している。寿司に始まった和食ブームは、お弁当やラーメンに拡大した。これらに共通しているのは、日本独自の料理であり、西欧を真似たものではない、ということだ。
 更に、寿司やラーメンの世界には、職人気質があふれており、独自の工夫を重ねている。また、職人は顧客と直結した仕事をしており、彼らは顧客に喜んでもらいたいという情熱を持っているのだ。その姿勢は、日本人から観れば非常にホットなものだ。
 日本の百貨店や量販店、大型専門店のファッションは、欧米のトレンドを基本にしている。独自のファッションではなく、欧米の規範に基づいている。これはクールではない。
 しかし、日本人にとって、欧米のトレンドを冷静に分析し、昨年実績に基づく商品戦略はクールなアプローチと言える。そこには情熱はなく、クールな論理が展開されている。
 私たちは、クールという言葉に騙されてはならない。クールとは、西欧社会にとってクールという意味だ。彼らがクールという事象は、日本人が情熱を傾けているものだ。日本人にとってホットなものこそ、西欧人はそれをクールと感じている。
 
3.優等生によるクールなファッションビジネス
 
 最近、あらゆる事象に対して、熱く語るより、クールに語る人が増えているような気がする。情熱は暑苦しく不快なものとされているのかもしれない。
 ファッション業界もクールな優等生が増えている。偏差値の高い大学を卒業し、ビジネスとして冷静にファッションを観ている。彼らは論理的である。商品構成も商品演出も論理に基づいている。
 私自身、若かった時には、ファッションはあまりに感性、感覚に依存しており、論理が弱いと感じていた。ファッションの企画にも論理があり、科学的なアプローチが可能だと主張したものだ。商品MDは打率が勝負だ。ホームランは打たなくても、ヒットの打率を高めればビジネスが成立する。
 しかし、当時のファッション業界には、情熱が溢れていた。クールな意見は少数だったのだ。
 現在はこの状況が逆転した。ファッションビジネスの現場から情熱と熱狂が失われていった。ファッションビジネスは打率の勝負であり、ホームランを狙う人が減ってきたのだ。「ファッションビジネスは論理である」「こうすれば簡単に売れる」等の意見も増えてきた。
 マーチャンダイジング重視の商品企画はクールで良い。しかし、ブランディングとなるとどうだろうか?
 どんなブランドもスタートする時は、情熱が必要だ。商品に対する頑固な職人気質。あるいは、常識にとらわれない独創的なデザイン。それらが、市場に強烈な印象をもたらし、話題となり、人気を集め、ブランドの基盤が築かれる。ここまではホットな世界だ。
 それを発展させるには、ホットな情熱だけでなく、クールな戦略が必要になる。
 ブランド立ち上げ時の情熱の熱量が大きければ、その後のクールな戦略でも熱が冷めることはない。しかし、最初の熱量が足りないと、急速に熱量が失われる。そして、周囲と同質化し、価格競争に陥る。
 価格、数量は、計数管理ができる。しかし、感性や情熱は数字だけでは表せない。現在の日本のファッション市場を観ていると、クールなアプローチをしているブランドは面白くない。ホットな情熱を感じられるブランドこそ、面白いと思うのだ。
 
4.ブランディングには情熱が必要だ

 時代は繰り返す。あるいは、スパイラルのように同じ軌道をたどりながら、高みを目指していく。
 現在は、クールが限界に近づいているのではないか。私は、「クール」に閉塞感を感じている。この閉塞感を突破するには、クールなアプローチではなく、ホットな情熱が必要になると思う。
 美味しい苺やトマトを栽培している農家の人達は、土づくりに情熱を傾けている。同じようなことがファッションにも言えるのではないか。
 たとえば、自社のアパレル製品のために、テキスタイル作りに情熱を傾けることが必要ではないだろうか。良いテキスタイルができれば、良いアパレル製品ができる。それなのに、最初に小売価格を設定して、原価率から原価を弾き出し、それに見合う価格のテキスタイルを探すという手法では、土はやせるばかりだ。現在のファッション業界は、やせた土地に化学肥料を大量に投与し、無理やり作物を収奪しているように感じる。
 ファッションを生み出すには、豊穣な土壌が必要である。それを作るためには、クールな論理ではなく、ホットな情熱が必要だ。クールジャパンの背景には、ホットな職人気質がある。それに対して、敬意を評しているのであり、計数管理に感動しているわけではない。ファッションビジネスとは感動を生み出すビジネスである。感動を生み出すためには、「顧客を簡単に感動させる方法」などという本を読んでも意味がない。顧客の喜んでいる顔を想像しながら、仕事に情熱を傾けることではないだろうか。
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*有料メルマガj-fashion journal(116)を紹介しています。本論文は、2014.2.10に配信されたものです。リアルタイムでの講読をご希望の方は、http://www.mag2.com/m/0001355612.htmlよりお申し込みください。

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