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January 01, 2014

階層なき日本の八百万(やおよろず)市場 j-fashion journal(96)

1.2次元世界と3次元世界の市場

 若者は一日のうち、どれだけの時間を仮想空間の中で過ごしているのだろう。空いている時間のほとんどが、スマホやSNSに釘付けという人も少なくない。
 電車の中で平気で化粧をする女性は、自分の目の前の景色を単なる画像として見ている。自分が相手を見ているだけで、相手が自分を見ているという意識はない。あるいは、見られていても気にならない。目の前にテレビのモニターの映像が流れているような意識。「同じ次元の世界に共存している」という意識が欠如している。こうした人達も2次元に生きている、と思う。
 スマホのゲームは、無料あるいは一カ月に数百円使う人が大半だが、一部に10万以上使うヘビーユーザーがいる。ヘビーユーザーはゲームの世界では圧倒的な強さを手に入れることができる。そういう一部のヘビーユーザーにゲーム業界は支えられている。
 これは、音楽にも共通している。CDからダウンロード中心になり、音楽市場は凄い勢いで収縮した。音楽を楽しむ人は、CDを一枚買うか、好きな曲をダウンロードすればいい。しかし、AKBなどのアイドルのファンは何枚もCDを購入する。音楽を聞くためではなく、好きなアイドルを応援したり、握手会参加の権利を取得するためにCDを購入するのだ。

 デジタルの世界では、フリー革命が進んでいる。あらゆるものが無料で提供される。一方で限定された特別なサービスは有償だ。デジタルな2次元に生きる若者は、リアルな生活もデジタル世界と同様に考えているのかもしれない。「最低限の生活経費は政府が支給すべきだ」という意見が根強いのも、同じ論理かもしれない。
 2次元の異性に恋して、2次元の世界で生きがいを得る。2次元の仮想社会が自分の本当の世界であり、現実の3D世界が仮の世界だという意識が芽生える。自分は3次元のアバターであるという意識だ。
 2次元に住む者と、3次元の住む者。そして、2次元世界の消費と3次元消費。現在の日本社会は、二つの世界を内包している。
 
2.階層なき市場が目指すもの

 欧米諸国も中国も階層社会である。日本も次第に階層社会に近づいているが、歴史的に見ても、欧米と日本の市場は性格が大きく異なっている。
 江戸時代、日本社会は士農工商の封建時代だったが、武士は貨幣経済社会の中で困窮し、農民は土地に縛りつけられていた。最も身分の低い商人が富を握り、工でも、腕のよい職人は尊敬の対象となった。つまり、身分制度は存在するものの、身分と経済は一致せず、明確な序列というより混沌とした市民社会が構成されていたのだ。現在も、その文化は根強く残っている。
 一方、欧米社会や中国の階層社会には絶対的序列が存在している。中国は歴史上、優秀な者が科挙制度を通じて役人になり、役人になることが富と身分を保証するものだった。その伝統は今も続いている。競争に勝ち抜いた者が国のトップに上りつめるシステムだ。
 欧米社会も人種や宗教を含めた序列が存在している。人々は上を目指しており、上の階層に所属していることを表現するために、ラグジュアリーブランドを身につける。
 欧米、中国の階層社会は、一神教のように価値観が明確である。その中で、日本社会は多神教のように多様であり、統一された基準が存在しない。
 日本のマンガやアニメが海外で受けるのも、マンガやアニメが独自の世界観を持っているからだ。そして、日本社会そのものも、マンガと同様に欧米社会から見れば異質である。
 「クールジャパン」を評価する人は、所属する階層とは無関係だ。セレブだろうが、貧しかろうが、「日本が好き」「マンガが好き」ということについては完全に平等だ。日本文化には階層が感じられない。ショップでは貧しい顧客にも丁重に対応してくれるし、差別的な態度も取らない。
 日本のデザイナー、特に若いデザイナーは高額所得者を対象にしていない。ファッションセンスの良い人を対象にしている。そのため、彼らがデザインする服がリッチ層にアピールしないのも事実だ。基本的にリッチ層を対象にしている欧米ラグジュアリーブランドとは全く異質である。
 日本市場において、アメリカ流のチェーンストアは十分に機能しない。最近では、こだわりの高級食材を扱う食品スーパーが人気を集めているが、これは当然のことだ。高級食材は高額所得者だけが購入するのではない。他の商品の消費は徹底的に合理化しても、食生活には徹底的にこだわるという客層が存在している。
 同様に、80年代までは、所得に関係なくファッションにこだわる客層が存在していた。今は、こだわる対象が更に細分化している。個人により、こだわりの内容は異なり、アイテムにより支出のパターンも異なっている。
 
3.男子市場、女子市場

 私は、「女子・男子」という言葉が気になっている。なぜ「女性・男性」ではなく、「女子・男子」なのか。女性は、50になっても60になっても「女子」と言いたいらしい。これは日本特有のことだろう。成熟した女性ではなく、未熟な女子が尊いという感覚。成熟した女性より、若い女性に価値があるという意識。女性は「男性が若い女性を好むから」と言うが、女性自身が「女子」と自称しているのだ。
 もし、60でも70でも「女子」なら、シニア層に向けた市場戦略も「女子」を対象にしなければならない。そして、「女子」と名乗る意味を考えなければならない。そこにマーケティング戦略のコンセプトがある。
 同様に、男性を「男子」と言った方が良いのなら、「60代、70代の男子向け商品やサービス」が必要ということだ。
 かつて、「ヤング」という呼称は、はハイティーンから20代前半を意味していた。現在の「ヤング」は低年齢化が進んでいる。最早、中学生、小学生もヤングの範疇に入り込んでいる。
 こうなると、日本市場は「ヤング市場」と「女子・男子市場」に二分されたことになる。シニア市場もまた「女子・男子市場」に包含されるのだ。
 私なりに「女子・男子」という言葉を解釈すると、以下のようになる。
 「女子」とは、家に所属している主婦ではなく、「個人としての女性」を意味している。「女子」には「独身時代の自由な女性」に戻るという意味が込められているのではないか。女子会とは、女性同士でが集まって独身時代のように話し合い、食事やアルコールを楽しむという意味になる。
 同様に、「男子」は会社に所属している男性ではなく、少年時代、学生時代のような「個人としての男性」を指す。
 日本社会において成人するとは、家や社会に所属することを意味する。「女子・男子」は、それ以前の個人を意味する。そうなると、「シニアは女子・男子に戻る時間」なのかもはしれない。

4.こだわり商品とコモディティ商品

 シニアには「年長者」という意味の他に、「上級者」という意味がある。シニア市場を考える時、年長者ではなく、上級者を対象と意識しなければならない。シニアを年齢区分で捉えるのではなく、人間としてのレベルでとらえるべきではないか。知恵があり、技術があり、成熟した人間。それがシニアである。年齢は関係ないのだ。
 上級者としてのシニアが求めるのは、コモディティではない。もちろん、関心の外にあるものはコモディティで十分だ。しかし、自分の専門分野については目が肥えている。専門分野と言っても、それでお金を稼ぐわけではない。ビジネスにするわけでもない。それは趣味であり、ライフワークである。ビジネスではないからこそ、純粋で妥協できない。死ぬまでに、どこまで到達できるか。残された時間は限られている。その中で消費するのだから真剣である。
 シニア市場において、価格だけを重視して、品質に無頓着な商品など売れるはずがない。シニアの消費金額は年間100兆円を超えるが、それは平均的なものはない。「こだわりとコモディティの二極化」だ。
 平均的日本人が人生の最後に目指すものは何だろう。多分、社会的ステイタスではなく、一つのことに打ち込み、道を究める名人のような存在ではないか。あらゆる分野には名人が存在する。名人が使う道具も名人でなければ作れない。そんな連鎖により、日本の技術や文化、こだわりは伝承されてきたし、今後も継承していくのではないか。

*有料メルマガj-fashion journal(96)を紹介しています。本論文は、2013.9.30に配信されたものです。リアルタイムでの講読をご希望の方は、http://www.mag2.com/m/0001355612.htmlよりお申し込みください。

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