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December 25, 2013

2次元からの浸食とファッション j-fashion journal(95)

1.2次元を等身大3Dで再現するコスプレ

 コスプレは、マンガ、アニメ、ゲーム等の登場人物に扮すること。多くは二次元の世界のキャラクターを、3次元の等身大で再現し、それに成りきって楽しむ。
昔から、幼児がマンガの主人公に成りきって遊ぶのは、○○ごっこ。しかし、昔は大人がそれをやることはなかった。最近になり、大人が自作の衣装やアクセサリーでキャラクターに成りきるようになった。
 私が若い頃は、コスプレはなかったが、仮装パーティーはあった。仮装パーティーでは、マンガやアニメの主人公に仮装することはなかった。マンガやアニメは子供の世界であり、仮装パーティーは大人の世界だった。両者は一線を画していた。
 海外でもコスプレは大流行している。コスプレを「日本の代表的な文化」と評価する声もある。
 ビジュアル系バンド、ゴシック、ロリータ等のファッションは、マンガやアニメの特定のキャラクターを再現しているわけではない。しかし、固有の世界観、固有のキャラクターを再現している。これらは、コスプレではないものの、特定のキャラクターを設定し、それに成りきるという意味では共通しているのではないか。

 ヨーロッパのファッションは、社会的ステイタスを表現するツールとして機能している。宗教、所得や職業によって選択するブランドは異なるし、現実とかけ離れたブランドを着用する人もいない。服装とは個人そのものを表現するメディアであり、好き嫌いで着用するものではない。ファッションは社会的な役割を担っているのだ。
 欧米の若者が日本に来ると、その自由なファッションに驚く。宗教的、社会的なタブーが存在せず、所得や社会的地位にも縛られない。純粋に好き嫌いでファッションを楽しんでいるからだ。日本では当たり前のことだが、欧米人の常識とは大きくかけ離れている。
 それが更に発展したのがコスプレだろう。マンガやアニメのキャラクターは、リアルなドレスコードに縛られない。現実社会の規制も関係ない。自由な髪の色とスタイル、誇張されたメイク、タブーのないファッション、シュールなアクセサリー。それらを身につけることで、大いなる自由を感じるに違いない。
 
2.キャラとテーマを設定したリミックス

 テレビのワイドショー等では、しばしば原宿ファッションが取り上げられる。原宿は、自由に奇抜なファッションを楽しむステージなのだ。彼らに「今日のファッションについて教えてください」とマイクを向けると、多くの若者は、「今日は派手カワイイがテーマ」とか、「ピンク色のナースがテーマ」などと、明確にテーマを答える。
 また、「友達とキャラがかぶって」とか、「いつものキャラではないんですけど」というように、キャラという言葉も使われる。
 かつて、トラッドファッションがブームになった時には、ドレスコードやセオリーが重視された。そこには、キャラクターやテーマが入り込む余地はない。全ての若者は、アメリカの「アイビーリーグの学生」というキャラクターを演じていたのであり、個別のキャラクターという発想はなかった。
 また、最新の流行やトレンドに乗ることがファッションという時代もあった。この時も、着こなしやコーディネートのパターンが問題であり、個々のキャラクターは関係なかった。
 DCブランドブーム、109ブームの時も、特定のブランドの服を、ブランドが指定するコーディネートで着ていただけだ。キャラやテーマは、ブランドが決めていた。
 ある意味で、ファッションのパワーが衰えてから、キャラクター、テーマという言葉が聞かれるようになったのかもしれない。あるいは、ファッションの主導権がサプライヤー側からユーザー側に移行してからと言った方が良いのだろうか。
 現在の若者のファッションは、リミックスが基本だ。ベーシックなカジュアルブランド、個性的なブランド、古着等が自由にミックスされている。また、一つのテイストやスタイルで統一するのではなく、あえて「崩し」を入れ、意外性を演出する。
 かつてスタジャンと言えば、50年代のアメリカンカジュアルの中心アイテムだった。しかし、現在は、フェミニンなワンピースとスタジャンを合わせ、ヘアはたて巻にカールし、ニットキャップを被ったりする。
 個々のスタイリングは、一つのショップで揃えることができない。まるで性格の異なるアイテムを見事に組み合わせている。しかも、それぞれの人がキャラとテーマを設定しているのだ。

3.3次元社会を浸食する2次元

 キャラと個性は異なる。個性表現は主観的だが、キャラ設定は自分を客観視している。キャラクターとテーマを設定し、自分が自分のスタイリストとなって、コーディネートしているのだ。ある意味では、コスプレである。但し、目指すのはマンガやアニメのキャラではなく、自分が設定したキャラであることだ。
 昔のマンガの主人公はいつも同じ服を着ていた。いつからか、マンガの主人公はシーンに合わせて着替えるようになった。そして、髪の色も自由に染められるようになっていった。
 また、昔は劇画、スポ根マンガ、ギャグ漫画というようにマンガのジャンルが明確に分かれており、それぞれに世界観とキャラターが設定されていた。たとえば、一つのマンガの中に、劇画調のキャラクターとギャグ漫画のキャラが同居することはなかった。しかし、最近のマンガは、様々なキャラクターが自由に登場する。
 私が最初にアニメ「ワンピース」をみた時には、世界観とキャラクターがあまりにシュールであり、混乱したのを覚えている。しかし、次第に慣れてくると、「何でもあり」の設定に驚かなくなった。
 コスプレは2次元を3次元に表現したものだ。考えてみれば、「ゆるキャラ」という存在も、2次元のキャラがリアルな現在に進出してきたものかもしれない。我々の意識の中で、2次元と3次元の境界線は次第に曖昧になっている。
 ネット中毒、ゲーム中毒と言われる若者は、2次元を中心に生きているのかもしれない。自分の理想の世界は2次元にある。3次元のリアルな社会は、2次元で楽しむために労働する世界だ。
 映画「マトリックス」のように二重の世界に生きていて、2次元の世界では万能の能力を発揮する。そんなイメージだ。
 現在の若者が使う「キャラ・テーマ」という言葉には、二重の世界を生きている者特有の響きがある。彼らにとって、ファッションとは自分の個性を表現するものではなく、特定のキャラのコスチュームであり、その時々で変わるテーマを表現する手段なのだろう。ある意味では、消費者がプロのデザイナーのような意識を持っているとも言える。しかも、意識の中心は2次元にあるのだ。
 
4.新しいファッションへの対応は?

 そんな消費者の変化に対し、アパレル業界は対応できているのか。
 既に、日本の消費者は独自の文化、コンテンツの中で生活している。小説、音楽、映画、マンガ、ゲーム全てにおいて、日本のコンテンツを選んでいる。
 食生活も世界中で日本食が大人気だ。和風旅館も外国人に人気がある。畳や布団を評価する外国人も多いのだ。
 そんな中でファッション業界は、未だに欧米崇拝主義から脱していない。欧米のコレクション、トレンド情報に依存し、足元の消費者の意識の変化を理解していないのだ。
 アパレルビジネスの世界では、リスクヘッジが常識となっている。個性的な色、デザインを開発するのではなく、売れる商品を追い掛ける。消費者側がリミックスするのも当然なのかもしれない。新しい商品だけでは、スタイリングが完成しないのだ。そこで古着や自作の服が加わることになる。
 コスプレは基本的には自作である。ファッションも自作の服やアクセサリーを組み合わせることが珍しくなくなっている。
 市場は新しいコンセプトのファッションを待っている。その期待に答えられるのか否か。皆がリスクヘッジしていても、消費者はファッションを楽しむ術を持っている。しかし、それで供給側としてそれでいいのだろうか。
 この新しいファッションシーンに対応することが、結果的に海外市場進出にもつながると思うのだが、いかがだろうか。

*有料メルマガj-fashion journal(95)を紹介しています。本論文は、2013.9.23に配信されたものです。リアルタイムでの講読をご希望の方は、http://www.mag2.com/m/0001355612.htmlよりお申し込みください。

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