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December 23, 2013

脱コモディティ宣言 j-fashion journal(92)

1.安ければ売れるという幻想を捨てよう

 価格とは不思議なものだ。私は「絶対価格」というものはないと思う。あるのは、「相対価格」だけだ。
 たとえば、2900円の商品が展開されている売場で6900円の商品は売れない。しかし、2900円の商品を売場から排除し、全ての商品を6900円以上にすれば、6900円の商品は売れる。
 生鮮食品は毎日価格が変わる。昨日38円で売られていたキュウリが、今日は58円だったりする。顧客はそれを不思議とは思わない。価格は毎日変わるものだと思っている。高いと思えば、買わない。しかし、どうしてもキュウリを食べたい顧客は58円でも購入するだろう。
 食料品は需要と供給のバランスで価格が変動する。美味しいキャベツでも豊作で市場にあふれれば安く売らなければならない。価格と味とは関係ないのだ。
 アパレル製品の価格は、天候に左右されない。したがって、価格変動も少ない。
 儲かっている農家は、皆が作る野菜を作らない。特殊な野菜を作って市場に供給すれば価格が崩れないことを知っている。反面、アパレル企業は売れ筋を追い掛ける性癖を持っている。同質化した商品を展開すれば、価格が崩れるのは当然である。特殊な商品を供給すれば、価格は崩れにくい。それなのに、なぜ、売れ筋を追い掛けるのだろうか。

 アパレル業界には「価格を下げれば売れる」と信じている人が多い。しかし、価格を下げて同じ数量を販売したのでは、売上は下がってしまう。「価格を下げれば売れる」と言う時には、売上を落とさないという前提がなければならない。
 量販店などセルフサービスの店は、商品を並べておけば自動的に売れると思っている。自動的に売れる価格と、接客して売れる価格とは違うはずだ。販売力のある販売員は、低価格商品を嫌う。同じように接客しても、単価が低い商品では売上が上がらないからだ。
 顧客は本当に低価格商品を望んでいるのだろうか。たとえば、ラグジュアリーブランドのバッグも質流れの店では安く売られている。同じバッグを安く買えるのだから、皆が質流れの商品に群がるかと言えばそうではない。高い価格であっても、正規の店で購入する人も多い。両者は、同じバッグを購入しているが、考え方が異なっている。
 高い商品は、高いがゆえに満足感を与えるということも事実だ。「自分へのプレゼント」として購入する場合も、高い商品ゆえに購入する決断も必要だし、購入した時には喜びも大きいだろう。
 我々の目的は、商品を販売することではない。それにより顧客に満足を与えることだ。使い古された言葉だが、顧客満足とは安売りだけでは解決しない。
 
2.限られた人だけに販売すること

 「薄利多売」という考え方がある。なるべく価格を抑え、大量に販売することだ。日本市場は、「一億層中流」と言われたように、巨大な中流市場であった。したがって、利益率の高い高級品を少量販売するよりも、利益率は低くても低価格商品を大量に販売した方が、最終的に生き残る、という成功体験がある。
 しかし、皆が皆、薄利多売の競争に参加したのでは、同質化による価格競争に陥ることは明白である。また、価格競争は体力がないとできない。中小企業、個人企業が大企業に価格競争を挑むのは難しい。
 中小零細企業、個人企業にできることは、差別化戦略である。大企業が扱わないような商品で勝負すること。大衆を相手にすることはできないが、一部の限られた顧客を相手に利益率の高いビジネスを展開する。たとえば、1000円のTシャツを1000枚売って100万円の売上を取るのではなく、10万円のTシャツを10枚売って100万円の売上を取る。1000円のTシャツの原価が200円ならば、2万円の原価でも良いということになる。もちろん、一般的な商品であってはならない。100人に一人しかいない変わり者向けの商品であることが必要だ。
 デザイナーならば、大企業と伍して低価格のTシャツを生産するよりも、100倍の価格の商品を開発する方が可能性が高いだろう。反面、大企業は10万円のTシャツを企画生産することはできないはずだ。少量しか売れない商品を生産することは、リスキーだと考えるからである。
 大企業と個人では戦い方が違う。個人で戦うには、熱烈なファンを10人獲得することが重要だ。大企業なら、1万人の顧客名簿を確保することが必要だ。そういう戦い方をするならば、個人が勝つ可能性も出てくる。
 
3.商品はメディアである

 ごく限定された人に、ごく変わった高価格の商品を販売する。その場合、黙って商品を並べていたのでは絶対に売れない。1時間でも2時間でも説明して、納得してもらわなければ売れない。
 更に言えば、1時間以上の有料セミナーを開いて顧客を集められるほどのコンテンツが必要であるということだ。
 商品はメディアである。顧客は商品を買うのではない。商品に込められた思想、想い、情熱、信念、哲学等を買うのだ。それがコンテンツであり、商品とはコンテンツを表現するメディアである。
 その意味で、商品は限りなく、芸術作品に近づかなければならない。芸術作品に原価を聞くだろうか。キャンバスと絵の具と、作業時間の人件費を聞くだろうか。そんなものはどうでもいい。原価がどうあれ、100万円の絵画は100万円である。
 しかも、その価格は自分で決定すれば良いのだ。売れなければ売らなければいい。死後何年か経って、100万円で購入する人が現れればその絵は100万円になる。
 問題は、「ファッションデザイナーは、ファッション商品に対して、どれだけのコンテンツを詰め込んでいるか」だ。その独自性、思想のレベルの高さがあるかが問われているのである。それができれば、高い作品が売れる。できないから、安い作品しか売れない。

4.デザイナーはブランドをデザインする

 日本のデザイナーは、商品をデザインするのがデザイナーだと思っている。しかし、欧米でコレクションを開くようなデザイナーは、ブランドをデザインするのが仕事だ。
 オートクチュールのコレクションは香水のプロモーションだと言われた時期がある。しかし、視点を変えれば、香水を売るためのコレクションを作るのは容易ではない。
 オートクチュールのメゾンは、莫大なライセンスビジネスを有している。服を売るのではなく、ブランドを売るために、クリエイティブな服を作るのがデザイナーだ。そこでは、リアルクローズなんて意味がない。
 カールラガーフェルドは、シャネル亡き後の停滞したシャネルブランド若々しいブランドとして蘇らせた。コレクションは、デザイナーの自己表現のために行うのではない。自分の好きな服を発表する場でもない。クライアントのために、ビジネスのために、ブランドをデザインするために行うものだ。

*有料メルマガj-fashion journal(92)を紹介しています。本論文は、2013.9.2に配信されたものです。リアルタイムでの講読をご希望の方は、http://www.mag2.com/m/0001355612.htmlよりお申し込みください。

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