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December 20, 2013

ラグジュアリーブランドの系譜 j-fashion journal(90)

1.宮廷内の貴族のお抱え仕立て師

 ラグジュアリーブランドのルーツの一つは、オートクチュールのメゾン。オートクチュールのルーツは、フランス貴族のお抱え仕立て師だ。フランス革命で貴族階級が消滅し、宮廷内にいた仕立て職人は街に出てメゾンを構えた。新たな顧客となったのは裕福なブルジョアジーである。
 オートクチュールのメゾンでは、顧客のボディを作成し、それに合わせて帽子、イブニングドレス、コートなど、全てのアイテムを制作する。オーダーの靴屋が顧客毎に木型を作るように、一人一人の顧客の体型に合わせたボディ(人台)を制作し、それにフィットさせて服を作る。
 当時は、「いかに安く作るか」という発想はなかっただろう。貴族のお抱え仕立て師という立場は、生活を保証される代わりに最高のモノを作る仕事である。顧客がプルジョアジーに替わっても、基本的な姿勢は変わらなかったはずだ。職人は商品を売っているのではなく、自分の技術を売っていた。いかに、技術の粋を凝らすかを競い合っていた時代である。
 オートクチュールの時代は、手工業の時代でもある。ドレスは縫い子が手縫いで縫っていた。現代で言う、伝統工芸である。
 現代人がブランド商品に憧れるのは、貴族の時代、上流階級の時代、手工業の時代のモノ作りのイメージが重なっているからとも言えるだろう。大量生産の時代には手に入らない精神と製品がそこにはある。
 
2.シャネルとディオール

 現代まで続く、オートクチュールブランドを代表するシャネルとディオールについて簡単に解説したい。
 ココ・シャネルは、1910年に帽子の店を開き、1913年にドーヴィルにモードドブティックを開いた。1915年にメゾン・ド・クチュールを開き、オートクチュールデザイナーとして本格的にデビュー。翌1916年に第一回オートクチュール・コレクションを発表している。
 現在の「シャネル」は、保守的なエレガンスを代表するブランドのイメージが定着しているが、当時のココ・シャネルは革新的モードの創造者だった。自立した働く女性のために機能的なジャージー素材を初めてコレクションに取り入れたのはシャネルである。機能的な紳士服のカッティングを取り入れた襟なしのツイードジャケットは「シャネルスーツ」と呼ばれ、シャネルを代表するアイテムとなった。
 有名な香水「No.5」は、1921年に発表されている。「No.19」は1970年に発表され、良く1971年にココ・シャネルは亡くなった。
 70年代のオートクチュールは、プレタポルテに押され、顧客が減少していた。オートクチュールのコレクションは香水のプロモーションに過ぎないと言われたのも、この頃だ。
 ココ・シャネルが亡くなってから、シャネルのコレクションは変化のないシャネルスーツを守り続けるだけの退屈なものになった。そのイメージを刷新し、現代的なイメージと付加価値を与えたのが、1983年からデザイナーとなったカールラガーフェルドである。
 カールラガーフェルドは、「退屈なシニア向けのコレクション」を「若々しいセレブ向けコレクション」に生まれ変わらせた。見事なブランドリニューアルである。
 もう一方の雄、クリスチャン・ディオールの特徴は、デビュー当時の様々なシルエット(ライン)とライセンスビジネスである。
 クリスチャン・ディオールが、「クリスチャン・ディオール・オートクチュールメゾン」をオープンしたのが1946年。第二次世界大戦後の殺伐とした社会に、次々と新しいファッションを発表し、世界中の女性を魅了した。
 1947年には、香水「ミスディオール」を発表し、1949年から本格的にライセンス事業をスタートしている。
 ディオール創設時にはピエールカルダンが参加していた。カルダンは1950年に独立し、1953年にオートクチュールコレクションを発表している。
 1957年、クリスチャン・ディオールが急逝し、イヴ・サンローランが主任デザイナーとなり、翌1958年にコレクションを発表している。偉大なメゾンは、新世代の偉大なデザイナーを生み出したのである。
 イヴ・サンローランは、1962年にディオール社を退社して、独立。1966年にプレタポルテの「イヴ・サンローラン・リヴ・ゴーシュ」のブティックをオープンしている。ここからモードの中心は、オートクチュールからプレタポルテへと代わっていった。

3.日本の百貨店へのライセンス

 ファストファッションのH&M、ユニクロは、デザイナーコラボによって、小売店としてのブランドイメージを高めている。その原点とも言えるのが、パリのオートクチュールメゾンと日本の百貨店とのライセンス契約だった。
 百貨店とオートクチュールメゾンとのライセンスは、1955年の大丸とクリスチャン・ディオールに始まる。
 当時の日本は、既製服産業以前で、オーダーメイド主流だった。その中で競合他店との差別化の手段として、ライセンス契約が選ばれたのである。「百貨店が、パリ・オートクチュールの看板を借りた」とも言える。
 その後、60年代に入ると、大手百貨店は次々とオートクチュールメゾンとライセンス契約を結んだ。大丸とジバンシィ、伊勢丹とピエール・バルマン、松屋・阪急とランバン、松坂屋とニナ・リッチ、高島屋とピエール・カルダン等である。
 前述したように、当時はオートクチュール苦境の時代であり、ライセンス料は魅力的だったに違いない。また、極東の島国でライセンス契約を結んでも、ブランドイメージのダウンにはならない、という判断もあったろう。
 
4.巨大ライセンスビジネスの象徴としてのコレクション

 60年代になり、パリコレの主役はオートクチュールからプレタポルテ(高級既製服)へ移ったが、バリが世界で最もクリエイティブなステージであることは変わらなかった。
 その理由の一つが、ライセンスビジネスである。多くのパリコレブランドは、純粋に服だけでビジネスをしているわけではない。オートクチュールの頃から、様々なライセンスビジネスを展開しており、パリコレクションは巨大なライセンスビジネス全体のイメージを表現しているのである。
 特に、老舗の有名ブランドほど、ブランドイメージが陳腐化するのを恐れている。若くてクリエイティブなデザイナーと契約し、アバンギャルドなコレクションを発表したとしても、ビッグネームのブランドのイメージが揺らぐことはない。普通の人が着られないコレクションを発表したとしても、ショップに行けば保守的な製品が並んでいることは衆知の事実だ。

5.高級皮革製品メーカー発のブランド

 現在、ラグジュアリーブランドと呼ばれているブランドの中で、オーオクチュール、プレタポルテのブランドと双璧をなすのが、バッグ、靴などの高級皮革製品のブランドである。
 世界のラグジュアリーブランドを支配していると言われるLVMH(モエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトン)グループの中核ブランドのルイ・ヴィトンの創業者は、スーツケース職人のルイ・ヴィトンである。1854年、世界初の旅行鞄専門店をパリにオープンしている。
 エルメスは、1837年ティエリー・エルメスがパリに開いた馬具工房から始まっている。
 プラダは、1913年にマリオ・プラダ (Mario Prada) がミラノにオープンした皮革製品店「Fratelli Prada(プラダ兄弟)」からスタートした。
 グッチは、1921年、フィレンツェに鞄工房として創業した。
 これらに共通しているのは、職人が自分の店を開き、そのユニークな製品が人気を集め、有名になり、富裕層に支持されるようになったことである。次第に事業を拡大し、最終的にアパレルを含めた総合ファッションブランドに成長したのである。
 この事実は、ファッションブランドが必ずしも、ファッションブランドからスタートする必要のないことを意味している。優れたブランドイメージと富裕層の顧客を持つことができれば、そこからファッションブランドに発展することは可能である。このことは、ラグジュアリーブランドを目指す企業に重要な示唆を与えている。

*有料メルマガj-fashion journal(90)を紹介しています。本論文は、2013.8.19に配信されたものです。リアルタイムでの講読をご希望の方は、http://www.mag2.com/m/0001355612.htmlよりお申し込みください。

 オートクチュールの時代は、手工業の時代でもある。ドレスは縫い子が手縫いで縫っていた。現代で言う、伝統工芸である。
 現代人がブランド商品に憧れるのは、貴族の時代、上流階級の時代、手工業の時代のモノ作りのイメージが重なっているからとも言えるだろう。大量生産の時代には手に入らない精神と製品がそこにはある。
 
2.シャネルとディオール

 現代まで続く、オートクチュールブランドを代表するシャネルとディオールについて簡単に解説したい。
 ココ・シャネルは、1910年に帽子の店を開き、1913年にドーヴィルにモードドブティックを開いた。1915年にメゾン・ド・クチュールを開き、オートクチュールデザイナーとして本格的にデビュー。翌1916年に第一回オートクチュール・コレクションを発表している。
 現在の「シャネル」は、保守的なエレガンスを代表するブランドのイメージが定着しているが、当時のココ・シャネルは革新的モードの創造者だった。自立した働く女性のために機能的なジャージー素材を初めてコレクションに取り入れたのはシャネルである。機能的な紳士服のカッティングを取り入れた襟なしのツイードジャケットは「シャネルスーツ」と呼ばれ、シャネルを代表するアイテムとなった。
 有名な香水「No.5」は、1921年に発表されている。「No.19」は1970年に発表され、良く1971年にココ・シャネルは亡くなった。
 70年代のオートクチュールは、プレタポルテに押され、顧客が減少していた。オートクチュールのコレクションは香水のプロモーションに過ぎないと言われたのも、この頃だ。
 ココ・シャネルが亡くなってから、シャネルのコレクションは変化のないシャネルスーツを守り続けるだけの退屈なものになった。そのイメージを刷新し、現代的なイメージと付加価値を与えたのが、1983年からデザイナーとなったカールラガーフェルドである。
 カールラガーフェルドは、「退屈なシニア向けのコレクション」を「若々しいセレブ向けコレクション」に生まれ変わらせた。見事なブランドリニューアルである。
 もう一方の雄、クリスチャン・ディオールの特徴は、デビュー当時の様々なシルエット(ライン)とライセンスビジネスである。
 クリスチャン・ディオールが、「クリスチャン・ディオール・オートクチュールメゾン」をオープンしたのが1946年。第二次世界大戦後の殺伐とした社会に、次々と新しいファッションを発表し、世界中の女性を魅了した。
 1947年には、香水「ミスディオール」を発表し、1949年から本格的にライセンス事業をスタートしている。
 ディオール創設時にはピエールカルダンが参加していた。カルダンは1950年に独立し、1953年にオートクチュールコレクションを発表している。
 1957年、クリスチャン・ディオールが急逝し、イヴ・サンローランが主任デザイナーとなり、翌1958年にコレクションを発表している。偉大なメゾンは、新世代の偉大なデザイナーを生み出したのである。
 イヴ・サンローランは、1962年にディオール社を退社して、独立。1966年にプレタポルテの「イヴ・サンローラン・リヴ・ゴーシュ」のブティックをオープンしている。ここからモードの中心は、オートクチュールからプレタポルテへと代わっていった。

3.日本の百貨店へのライセンス

 ファストファッションのH&M、ユニクロは、デザイナーコラボによって、小売店としてのブランドイメージを高めている。その原点とも言えるのが、パリのオートクチュールメゾンと日本の百貨店とのライセンス契約だった。
 百貨店とオートクチュールメゾンとのライセンスは、1955年の大丸とクリスチャン・ディオールに始まる。
 当時の日本は、既製服産業以前で、オーダーメイド主流だった。その中で競合他店との差別化の手段として、ライセンス契約が選ばれたのである。「百貨店が、パリ・オートクチュールの看板を借りた」とも言える。
 その後、60年代に入ると、大手百貨店は次々とオートクチュールメゾンとライセンス契約を結んだ。大丸とジバンシィ、伊勢丹とピエール・バルマン、松屋・阪急とランバン、松坂屋とニナ・リッチ、高島屋とピエール・カルダン等である。
 前述したように、当時はオートクチュール苦境の時代であり、ライセンス料は魅力的だったに違いない。また、極東の島国でライセンス契約を結んでも、ブランドイメージのダウンにはならない、という判断もあったろう。
 
4.巨大ライセンスビジネスの象徴としてのコレクション

 60年代になり、パリコレの主役はオートクチュールからプレタポルテ(高級既製服)へ移ったが、バリが世界で最もクリエイティブなステージであることは変わらなかった。
 その理由の一つが、ライセンスビジネスである。多くのパリコレブランドは、純粋に服だけでビジネスをしているわけではない。オートクチュールの頃から、様々なライセンスビジネスを展開しており、パリコレクションは巨大なライセンスビジネス全体のイメージを表現しているのである。
 特に、老舗の有名ブランドほど、ブランドイメージが陳腐化するのを恐れている。若くてクリエイティブなデザイナーと契約し、アバンギャルドなコレクションを発表したとしても、ビッグネームのブランドのイメージが揺らぐことはない。普通の人が着られないコレクションを発表したとしても、ショップに行けば保守的な製品が並んでいることは衆知の事実だ。

5.高級皮革製品メーカー発のブランド

 現在、ラグジュアリーブランドと呼ばれているブランドの中で、オーオクチュール、プレタポルテのブランドと双璧をなすのが、バッグ、靴などの高級皮革製品のブランドである。
 世界のラグジュアリーブランドを支配していると言われるLVMH(モエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトン)グループの中核ブランドのルイ・ヴィトンの創業者は、スーツケース職人のルイ・ヴィトンである。1854年、世界初の旅行鞄専門店をパリにオープンしている。
 エルメスは、1837年ティエリー・エルメスがパリに開いた馬具工房から始まっている。
 プラダは、1913年にマリオ・プラダ (Mario Prada) がミラノにオープンした皮革製品店「Fratelli Prada(プラダ兄弟)」からスタートした。
 グッチは、1921年、フィレンツェに鞄工房として創業した。
 これらに共通しているのは、職人が自分の店を開き、そのユニークな製品が人気を集め、有名になり、富裕層に支持されるようになったことである。次第に事業を拡大し、最終的にアパレルを含めた総合ファッションブランドに成長したのである。
 この事実は、ファッションブランドが必ずしも、ファッションブランドからスタートする必要のないことを意味している。優れたブランドイメージと富裕層の顧客を持つことができれば、そこからファッションブランドに発展することは可能である。このことは、ラグジュアリーブランドを目指す企業に重要な示唆を与えている。

*有料メルマガj-fashion journal(90)を紹介しています。本論文は、2013.8.19に配信されたものです。リアルタイムでの講読をご希望の方は、http://www.mag2.com/m/0001355612.htmlよりお申し込みください。

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