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October 14, 2013

食わず嫌いのインドの魅力 j-fashion journal(78)

1.インドは清潔だった
 
 みなさんのインドのイメージはどんなものだろうか?私のインドのイメージは、ベナレス(ワーラナシー)の沐浴だった。死体が流されるガンジス河で生きた人間が沐浴している映像が頭に浮かぶ。見るからに不潔そうだったし、映像から悪臭が漂ってくるような気がした。
 また、インドというと下痢が連想される。熱帯特有の伝染病もあるのではないか。予防注射をした方が良いのではないか。これらを総合すると、「インドは不潔なのではないか」という強烈なイメージが、私の頭の中に存在していた。
 今回の出張に行く前に、私は「予防注射は必要ですか?」という質問をしたのだが、即座に笑い飛ばされてしまった。「それは40年前のイメージです。確かに昔は100人行けば90人以上が細菌性の下痢にやられました。その場合は1週間~2週間寝込みます。現在のインドで下痢をすることもほとんどありません。あるとすれば、カレーが美味しすぎて食べすぎる。そこに睡眠不足が重なる。スパイスに慣れていない日本人が急にカレーを大量に食べると下痢しますが、それは1日程度で直ります」と言われた。もちろん、予防注射も必要ないとのこと。

 実際、私は丸1週間、インド料理だけを食べ続けたが、一度も下痢をすることはなかった。また、街で悪臭を感じることもなかった。インド人の体臭を感じることもなかった。オフィスのトイレも清潔だったし、全体的にとても清潔な印象を受けた。輪タクの自転車もハンドルからスポークまで磨かれて光っていたし、車も洗車されていた。
 もちろん、私が行ったのは清潔なエリアだったろうし、会った人々も清潔だった。しかし、それでも雰囲気というのは何となく伝わるものだ。少なくとも、私にはインドは不快ではなかったということだ。
 一緒に講師として回った人は、月のうち半分以上をバングラデシュで駐在する人だったが、いろいろなところで「バングラデシュと全く違う」と言っていた。
 全体的に、インド人の方が穏やかで、ルールを守り、洗練されているという。また、ホテル、レストラン、ショップの人達も総じて愛想が良く、フレンドリーだ。何よりもこちらの気持ちを理解しようというアイコンタクトがある。これは中国よりもはるかに洗練されていると感じた。
 セミナーの雰囲気も良かった。みなさん、とても熱心で素直だ。積極的に質問もするし、理解力も高い。今回4都市回ったのだが、どこでも一人は日本語を話せる人がいたのは驚きだった。
 ジャイプールでは主賓が挨拶の中で「我々インド人は英語が話せるからと言って、ヨーロッパばかりを見てきた。しかし、日本には独自の高い技術が存在する。もし、インド人が日本語を理解していれば、インドはもっと進んでいたかもしれない」と語っていた。
 また、最終日にショッピングモールに言ったのだが、そこで若い女性に日本語で話しかけられた。「どちらの国からいらしたのですか」と言うので、「日本です」と答えると、「遠くから見て、日本人だと思いました。私は日本に言って日本語を勉強しました」と笑顔を返してくれた。もし、日本で嫌な印象を持っていたら、日本人に話しかけないだろう。少なくとも、彼女は日本に良い印象を持っているのだ。
 
2.なぜ、日本人はインドを「食わず嫌い」なのか?

 戦前の日本の繊維関連企業はグローバルだった。世界各国に製品を輸出し、世界各国に支店や営業所を設けていた。しかし、敗戦により、それらの多くの拠点とネットワークが失われた。
 戦後になって復興するものの、1971年の日米繊維交渉決裂により、対米輸出の門が閉ざされ、オイルショック以後、大手紡績は生産拠点を国外に移転した。日本の繊維産業は国内市場が中心となり、次第にアパレル卸や小売企業がビジネスの主導権を握っていった。
 1980年代になると、日本の人件費が上昇し、アパレルはアパレル縫製やニット生産で韓国、台湾を活用するようになる。90年代に入り、中国が改革開放路線を提唱すると、中国生産が加速した。
 2010年代に入ると、中国の人件費が急激に上昇し始める。2011年、中国政府は第12次5カ年計画(2011-15年)で中国人民の所得を2倍にする方針を明らかにしている。
 また、人件費上昇に加え、尖閣諸島領有を巡る政治問題も表面化するようになった。そのため、商社、大手流通企業は東南アジア諸国への生産移転を目指している。特に、人件費の低いバングラデシュ、ミャンマーが注目を集めている。
 ここまでの経緯を見ても、インドは全く登場しない。
 日本人にとって、インドはあまりにも遠い。三蔵法師が孫悟空と共に目指したのがインドだった。そのイメージは日本人の遺伝子に組み込まれているようだ。
 また、インドはカーストの国であり、複数の宗教が混在する国。あらゆる物事が標準化されている日本と正反対の文化を持っている。
 韓国も台湾も中国も、同じ漢字(現在の韓国はハングルだが、元々は漢字文化である)を使い、お箸を使う文化だ。歴史的にもこれらの国との交流は深い。鎌倉時代以降、東南アジア諸国までは日本の武装商船も貿易で出掛けていた。そういう意味では馴染みがある。しかし、インドは全くの未知の世界だ。「食わず嫌い」でも仕方がないのかもしれない。
 
3.東南アジア進出でインドが見えてくる
 
 日本企業も東南アジア進出を余儀なくされている。中国生産で獲得した安売りビジネスを継続するには、東南アジア生産を開拓しなければならないからだ。しかし、東南アジアで中国同様に技術指導ができるのだろうか、というと疑問だ。
 日本企業が中国との合弁事業で苦心したのは、国営企業の合弁相手が日本とは正反対の経営理念を持っていたことだ。日本人は「企業は利潤の追求を目的とする」ことを共通認識として持っているが、中国側は企業は人民の生活を支えるために存在するという認識だった。無駄をなくすどころか、いかに雇用を増やし、いかに社員の生活を支えるかを優先した。
 企業経営の根本的な違いはあったものの、国営企業で働いていた中国人ワーカーは命令に従うことには慣れていた。そのため、日本人技術者の言うことに素直に従った。また、少しでも多くの収入を得ようとする向上心も強かった。これらにより、短期間で日本市場で通用する品質レベルを達成したのだ。それでも10年は掛かったのだが。
 東南アジアは対日感情が良いとされている。しかし、そのことと従順に命令に従うこととは別だ。むしろ、親日的であるということは、対等のコミュニケーションを望むということだ。それを上から目線で押しつけるような態度で臨んだのでは、反動も出てくるだろう。
 当時の一党独裁の中国は、ある意味で日本社会と同様に均一で従順であった。しかし、経済成長と共に自我が目覚め、労働争議も多発するようになった。ある意味で、中国生産が可能だったこの20年間が異常だったのだ。そして、それを東南アジアで繰り返すことはできないと理解しなければならない。
 例えば、東南アジアでは中国のように丸投げはできない。必ず、駐在員を置いて、事細かに指示を出し、チェックを繰り返さなければならない。問題はその人材だ。中国進出初期の人材は既に高齢化している。アパレル企業や小売企業は技術指導ができる人材を雇用していない。商社の若手社員は現地で頑張っているが、それほど高い技術指導はできない。
 紳士服は装置産業であり、それなりの規模と生産設備があれば問題ない。問題は婦人服である。バングラデシュ、ミャンマーでも中肉以上のボトムや単純なカットソーは問題ないが、合繊薄物を縫いこなすのは難しい。東南アジアで合繊薄物が縫製できるのはベトナムだけとのこと。しかし、インドでは可能だ。東南アジアで問題に直面して初めてインドが見えてくるのである。
 
4.生産と市場を同時に考える戦略を

 まず、アパレル企業、小売企業は自らの認識を改めなければならない。品質を問わなければ縫製工場はいくらでもある。しかし、一定レベル以上の品質管理が可能な縫製工場は世界でも数少ないのだ。そして、品質レベルの高い縫製工場の工賃は高い。それが基本である。
 したがって、自らのビジネスモデルを問い直さなければならない。多少の品質は犠牲にしても、より安い商品を扱うのか。品質の高い商品を、高い価格で販売するのか。
 「そんなの嫌だ。品質が高くて価格が安くなければ売れない」というのは子供が駄々をこねているようなものだ。そんなものはビジネスではない。最早、中国と共に歩んだ幸福な20年は帰って来ないのだ。
 日本企業は新たな局面を迎えている。上から命令するのではなく、あくまで相手と対等に付き合うこと。そして、WIN-WINの関係を提案できれば、自ずからビジネスの主導権は握れるだろう。
 中国との問題も、一方的にこちらの命令を聞いてくれないからと言って、「もう駄目だ」と諦めるのもおかしな話だ。現在、中国企業自身が大きな環境変化に直面して悩んでいる。その問題を解決するには、日本の経験が役に立つ。確かに生産だけを考えれば、中国生産の旨味は減っている。しかし、生産だけでなく中国市場を含めて見れば、そこには豊かな市場と高い縫製技術が存在している。
 日本の企業が安物商売を脱却し、高級品にシフトすれば、中国は全く別の姿を見せてくれるだろう。
 そして、生産と市場の両面を見渡し、相手と対等に付き合うという原則が身についているならば、ヨーロッパ輸出が盛んなインドもまた、別の姿を見せてくれるはずだ。
 インドの縫製工場は中国より規模が小さい。日本の生産ロットには適している。そして、コストは中国よりは安い。
 天然素材が豊富であり、オーガニックコットンの生産量も多い。ハンドクラフトが得意で手織りの織機もある。先染めも生産ロットは少ない。刺繍やビーズの手作業も得意だ。こうしたインドの特性を生かした商品開発を行い、共に、日本、ヨーロッパの市場を開拓し、同時にインド市場も狙う。そんな戦略が組めれば、インドはとても魅力的なパートナーとなるだろう。
 今回、インドに行って感じたことは、「日本企業はバングラデシュ、ミャンマーに行く前にインドに行くべきだ」ということ。コストだけを追求するビジネスモデルは継続できないのだから。

*有料メルマガj-fashion journal(78)を紹介しています。本論文は、2013.5.20に配信されたものです。リアルタイムでの講読をご希望の方は、http://www.mag2.com/m/0001355612.htmlよりお申し込みください。

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