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July 05, 2013

百貨店の将来を考えよう(1) j-fashion journal(51)

1.日本から百貨店が消えても良いか?

 百貨店の将来について考えてみたい。その前に、百貨店は我々にとって必要なのか。それともなくなってもいいのか。存在意義がないのならば、将来を考える必要はない。
 2012年現在、我々の生活において、百貨店が消えても困ることはないだろう。「気がつけば、何年も百貨店に行っていない」という人も珍しくないはずだ。それでも何の支障もなく生活しているのだから、百貨店がなくなってもすぐに困ることはない。
 それなら、「日本から百貨店の灯が完全に消えてもいいのか」と聞かれると、「もう少し考えさせてくれ」と思う。
 たとえば、現代人はきものをほとんど着用しない。洋服だけで生活に支障はない。しかし、「日本からきものをなくしていいのか」と問われれば、「なくしてはならない」と思う。きものには、日本の文化が凝縮されている。それを失くすことは、日本人にとってルーツを失うような喪失感を感じるのだ。経済的な必然性はなくても、文化的な必然性はある。
 私は、百貨店に対して、きものほどの文化的必然性は感じない。それでも何となく古き良き時代の日本を象徴しているように思う。市場原理によって競争に破れ、特定の業態が姿を消すことは必然である。それでも、百貨店の将来について考えてみたいと思う。私にとって、百貨店とはそんな存在なのだ。

2.百貨店のルーツを考えよう

 日本の百貨店のルーツは大手呉服店である。江戸時代は日本中の人がきものを着用していたし、日本各地できもの生地(着尺の反物)を生産していた。そして、京都、大阪、江戸のような大都市で成功した大店が現在の百貨店のルーツである。
 しかし、明治になって、日本最大の小売業であった大手呉服店は存亡の危機を迎える。明治政府は日本が欧米列強の植民地になることを防ぐために、全面的にヨーロッパ文化を導入することを決めたからである。丁髷は禁止され、ザンギリ頭になり、皇室の正式な衣装も洋風のドレスコードに改められた。一般市民にも洋服が浸透することは明らかであり、呉服店は存在意義を失うことになる。まさに、大手呉服店はアイデンティティの危機に陥ったのである。
 その難題を解決するために、海外視察に出掛け、出会ったのが「百貨店」という業態だった。
 世界初の百貨店は一般に、1852年のパリに織物類を扱う店舗から発展したボン・マルシェだと言われている。ヨーロッパで百貨店が生まれたのは、産業革命により大量の商品が市場に流通するようになり、様々な専門店が誕生する中で、それらの専門店を大型店舗に集めたことに由来する。当時の百貨店は、世界の最新業態だったのだ。
 日本では、1904年(明治37年)に株式会社三越呉服店が三井呉服店を引き継ぐ形で創業され、「今後一層其の種類を増加し(中略)米国に行わるるデパートメントストーアの一部を実現致すべく」という「デパートメントストア宣言」を発表している。これは存在意義を失いかけていた大手呉服店が、前述したように海外視察で出会った百貨店という「最新業態に転換するぞ」という宣言なのだ。
 百貨店はその誕生の時から、「革新」の遺伝子を持っていた。その百貨店が、今再び、存在意義を失いかけているのも皮肉な話ではある。本来ならここで「新百貨店宣言」を出さなければならない。次なる革新とは何か。それを見出せなければ、百貨店は消えていくだけである。 

3.百貨店の経営を圧迫した地価下落、不採算地方店

 一般的に、百貨店が衰退した原因は、「委託仕入れと派遣販売員」制度と言われている。売れなければ返品すればいい、販売は派遣販売員に任せればいい、という商売を続けたため、百貨店に必要な仕入れ機能や販売機能を失ったという見方である。
 しかし、この取引条件は百貨店が一方的に押しつけられたものではない。百貨店側にも有利な条件だったはずだ。圧倒的に有利な立地に大型店舗を構え、安定した商品供給を受け、商品在庫リスクと販売管理費を大幅に縮小した。利益が出て当たり前である。
 実際、80年代から90年代中頃までは、このシステムは有効に機能していた。確かに、百貨店のバイヤー職の能力は下がっていたかもしれないが、それは量販店も専門店も同じだったはずだ。
 百貨店に陰りが見えてきたのは、バブルの崩壊で地価が下落した頃だった。バブルと共に急成長した代表的な百貨店は「そごう」だった。借入金で土地を購入する。そこに百貨店を建設すると、周囲の地価も上がり、土地の担保力も上がる。そして、その土地を担保に再び巨額な融資を受けて、次の新店舗を開発する。バブル崩壊によって、この連鎖ができなくなり、借入金だけが残った。2000年、そごうは経営破綻し、民事再生法の適用を申請している。
 バブル期は、地方自治体も地域再開発や大型商業施設を建設に積極的だった。しかし、当時の半官半民の3セクは多くが破綻している。破綻は百貨店だけではないのだ。
 もう一つ、大手百貨店の経営を大きく圧迫したのは地方店の存在である。そもそも百貨店は個店主義、店長産業と言われていた。
 しかし、70年代にアメリカのチェーンストア理論が紹介され、量販店が急成長を遂げると、百貨店も全国チェーンを目指すようになった。しかし、地域の二番店、三番店の百貨店を買収し、大手百貨店の看板に掛け替えても、黒字化することはできなかった。
 もし、百貨店が量販店のように数百店舗のスケールでチェーン展開ができれば、別の展開もあったかもしれない。しかし、結果的には中途半端で標準化されないチェーン展開しかなしえなかった。チェーンストアのメリットもなく、単純に不採算店舗を抱えるだけの結果となったのだ。

4.サプライチェーン全体の高コスト体質と価格信頼性低下

 百貨店の経営を圧迫したことと、顧客が百貨店を支持しなくなったこととは別問題である。百貨店が顧客の支持を失った大きな要因は、価格信頼性を失ったことだと考えている。これには、二つの意味がある。
 第一は、原価率が下がり続け、割高な商品ばかりになったこと。百貨店は大手アパレル問屋から商品を仕入れ、大手アパレル問屋は大手生地問屋から生地を仕入れていた。サプライチェーン全体のコストが高く、次第に割高な価格設定をせざるを得なかったのだ。経済成長が続いていた時代の顧客は、割高な商品でも購入してくれた。しかし、バブルが崩壊し、激安商法が広がるにつれ、百貨店は顧客の支持を失っていったのである。
 もっと早く、アパレル問屋、生地問屋が大規模なリストラを行い、百貨店がダイレクトな商品調達を果たすことができていれば、ここまでの凋落はなかっただろう。しかし、現在に至るまで、サプライチェーン全体の改善を図ろうという試みは見られない。
 第二は、正価販売比率の低下、つまり、バーゲンの売上が大きいことである。百貨店は限られた売場で最大の効率を図りたいと考えている。従って、欠品による機会ロスを極端に嫌う。そのため、常に売場には商品を揃えておきたい。これを実現するためには、QR(クイックレスポンス)が重要であり、アパレル問屋は多品種少量短サイクル生産で対応しようとする。
 生産のリードタイムが短くなるにつれ、オリジナル生地を開発する時間がなくなり、在庫が用意されている生地を使うようになった。このことが商品の同質化につながっていく。また、多品種少量生産、多頻度物流は、それだけコストが掛かる。
 顧客側に立てば、いつ行ってもきれいに商品が揃っているのだから、早い時期に買物をする必然性がない。ブランド商品が早い時期から売れるのは、早く買っておかないと、品切れになるからだ。品切れの心配のない売場なら、実需期のバーゲンを待って買えばいい。
 結果だけを見るならば、QRがトータル流通コストを下げることはなかった。売場の同質化と価格競争を生み出し、製造業の体力を奪い、小売店の利益率を下げ、物流費の増大を招くという結果に終わったのである。

5.不完全なシステム連携と顧客管理

 小売店がバーコードを使うのは、単品管理ができるからであり、単品管理が必要なのは、それが商品企画や品揃え計画に活かせるからだ。しかし、百貨店の場合、仕入れ先の問屋とシステム連携ができているわけではない。
 もし、百貨店の売上データが問屋と共有できていれば、自動的に商品の補充をすることが可能だ。また、サイズ別、色別等の単品データを集計することで、追加生産等の準備もできる。それこそ、販売機会ロス軽減につながるだろう。
 しかし、多くの場合、売上管理システムは百貨店の社内で完結している。問屋の営業マンは毎日売場に通って、在庫のチェックをしている。おそらく、莫大な投資をしたであろう百貨店の売上管理システムから吐き出されたデータは何の活用もされずにファイルされているのである。
 また、各百貨店は独自のハウスカードを発行し、割引サービスをしている。割引してまでカードを発行する目的は、顧客の購買履歴を知りたいからだ。顧客の購買履歴をデータ化することにより、各顧客に対応した新製品紹介のDMや電話、メール配信が可能になる。また、接客時にも、過去の購買履歴を確認することで、着回しのきくコーディネート提案等もできる。
 しかし、多くの百貨店は顧客名簿をほとんど活用していない。せいぜいセールの告知のDMを発送するくらいだ。この貴重な顧客情報や購買履歴もまた、仕入れ先の問屋と共有されない。接客時にも生かされない。ほとんど何の役にも立っていないのである。
 しかし、こうした何の活用もできていないシステムを維持するだけで、莫大な費用が発生している。それは全て百貨店の利益から支払われているのだ。
 アパレル問屋にとって、百貨店との取引では直接顧客にアプローチすることができない。売上が悪くても、来店客が少なくても、来店を促す手段がないのだ。 しかし、たとえばルミネのような駅ビルであれば、自分の店にレジを置き、独自で売上管理、顧客管理をすることができる。しかも、ルミネも様々な販促活動を展開している。顧客には、ルミネとテナントの双方からコミュニケーションが取れる仕組みになっているのだ。
 百貨店は、自分が小売店であり、顧客は自社の顧客だと考えている。従って、顧客情報を仕入れ先に教える必要などないと思う。しかし、現実には売場を課しているだけであり、売場を運営しているのはアパレル問屋である。この二重構造が顧客との距離を縮めることを阻害しているのである。

6.三重雇用の派遣販売員

 ファッション商品を販売する小売店では、同じ品揃えでも販売員によって大きく売上が変動する。そのため、SPA型アパレルではブランドイメージにあった販売員を採用し、売場では自社ブランドの製品を着用させている。販売員は単に商品と代金を引き換えるために存在しているのではない。ブランドイメージを体現し、顧客とのコミュニケーションを図り、生きた顧客情報を収集し、同時に、顧客に的確なアドバイスを行うのである。また、店頭と営業、商品企画とをつなぐ重要な役割を担っているのだ。
 ところが、百貨店の販売員は独特のシステムで雇用されている。まず、百貨店の売場で百貨店の制服を着用している販売員のほとんどが百貨店の社員ではなく、マネキン紹介所から派遣された派遣販売員だということ。しかも、その給料はアパレル問屋が負担している。しかし、日常的に接しているのは、百貨店の社員であり、百貨店の社員から仕事の指示が出される。百貨店の担当者から、派遣販売員を換えて欲しいと言われれば、アパレル問屋の営業担当者に告げられ、販売員はマホキン紹介所から別の百貨店に派遣される。
 百貨店の派遣販売員はどの会社に雇用され、ロイヤリティを感じているのだろうか。百貨店か、アパレル問屋か、マネキン紹介所か。これは非常に微妙な問題であり、かつ重要な問題である。
 こうした中途半端な身分の販売員に売場を依存していることは、百貨店にとって大きな問題だ。結果的に、百貨店の販売員は、担当するブランドの企画テーマやデザインの特徴、コーディネートの方法などを専門的に教育されることがない。しかも、そのブランドの服を着用するチャンスもない。
 百貨店は高額な商品を扱っているのだが、販売員の扱いは非常に軽く、販売員の質を高めることができない。そのことは、接客販売そのものも高度にはならないことを意味している。
 しかも、派遣販売員を希望する人は年々減少し、派遣販売員の高齢化が進んでいる。このままでは、現在の派遣販売員のシステムを維持することさえ困難になるだろう。(続く)

*有料メルマガj-fashion journal(51)を紹介しています。本論文は、2012.11.19に配信されたものです。リアルタイムでの講読をご希望の方は、http://www.mag2.com/m/0001355612.htmlよりお申し込みください。

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