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April 17, 2013

グローバルなビジネスに挑戦する心構え j-fashion journal(41)

1.日本の常識を疑え
 私たちの頭の中には、日本の常識が刷り込まれている。幼稚園の頃から、小中学校、高校、大学にいたるまで徹底的に教育を受けているからだ。
 もし、あなたが日本社会に対して、批判的な視点を持っているとすれば、様々な疑問や矛盾を感じているに違いない。それでも、多くの場合は、「自分の考え方が間違っている」「自分は社会への適応性に欠けているのではないか」と自分が悪いと考えてしまう。
 しかし、外国人が日本社会や日本のビジネスに接する時も、同様の疑問や矛盾を感じるはずだ。そして、「日本の常識と世界の常識は異なっている」と思うだろう。
 もし、あなたが日本社会に何の疑問も矛盾を感じていないとしたら、海外で生活したり、ビジネスをすると強いカルチャーギャップを感じるだろう。そして、「外国人は考え方がおかしい」と思うに違いない。

 日本国内だけでビジネスをしていた企業が、最初に海外進出した国はどこだろう。多くの場合、中国ではないだろうか。そして、日本の常識が中国では通じないことを痛感する。そして「中国はおかしい」「中国人は常識がない」と言うのだ。正直なところ、最初は私もそう思った。しかし、次第に中国と欧米の類似点に気がつくようになり、「もしかして、世界の中では日本の常識が特殊なのではないか」と思い至ったのである。
 海外に行ったら「郷にいらば郷に従え」と言われる。しかし、グローバルビジネスで苦戦している企業は、驚くほど、日本の常識にとらわれている。そして、現地に適応できず、自らの能力を十分に発揮できないことが多い。
 私はまず、日本の常識を疑うべきだと考えている。日本の常識は世界の非常識であることが多いのだ。

2.主張しない者は存在しないと同じ
 日本人は、自己PRが苦手だ。自分の長所を売り込むよりも、黙々と働いていた方が評価が高くなることが多い。日本社会は、皆が互いの気持ちを理解しようとしている。だから、声高に自己主張すると嫌われる。相手はこう思うのだ。
 「そんなことを自分から言わなくても分かっているよ。それなのに、自分から自慢するのは、私が何も分かっていないと馬鹿にしているのだろう」と判断するのである。
 しかし、海外では何も言わない相手の気持ちを推し量ったり、相手の気持ちを察するという習慣がない。というより、自分の考えていることは互いに主張するのがルールなのである。主張しないことは考える必要もないし、本人が何も言わないのに、勝手に相手の気持ちを推し量ることは失礼であるという意識もある。赤ん坊ならばいざ知らず、口がきける大人であれば、言いたいたとは言うはずだ、と考えるのである。
 欧米人の女性と国際結婚した日本人は、相手が毎日「愛している」という言葉を要求するのに辟易とすることが多い。これも口に出して主張しなければ、考えていないと判断することに由来している。日本人なら、「そうなことは言わなくても分かっているだろう」と考えるのだが、それは互いの気持ちを察するという日本独特の文化に基づいた考え方であり、海外では通用しないのである。
 ビジネスの場でも同様であり、自分を評価して欲しければ、自分を売り込まなければならない。言いたいことは言う。相手と意見が異なることは当たり前であり、意見が異なるからといって不仲になったり、喧嘩になることはない。というより、意見の異なる人も差別しないというのがルールである。意見が異なる相手と口もきかなくなったり、自分の意見と異なる意見を言われて不機嫌になるようでは、「大人になりきれていない子供っぽい人」という評価になってしまうだろう。

3.場の空気を読むな
 日本では場の空気を読むことこそ、最優先とされる。場の空気を読まない人は、気が利かなくて仕事ができない人という烙印を押されがちだ。これもまた、相手の気持ちを察するという日本ならではの行動パターンであって、海外では通用しない。
 場の空気とは、その場にいるメンバーの序列を考えて、全体の意見の流れや雰囲気を指す。その雰囲気に逆らわないように、自分のポジションを考慮しながら、あくまで協調性を第一に適度な意見交換を行うというものだ。多くの場合、言いたいことを言わずに、個々のメンバーが対立しないように気を配る。
 しかし、こうした場の空気を読むあまりに、外部に対して隠蔽体質になったり、社会的には不法行為であっても、その集団の利益を優先した意思決定になってしまうことも多い。
 私が「場の空気を読むな」というのは、「日本型の調和を優先するよりも、個人としての意見をしっかりと述べるべきである」という意味だ。所属している組織や集団の共通利益であっても、社会の一員としての個人としての意見を持つことが国際的には重要であり、それが自立した大人の態度なのである。
 自立した自我を持たず、所属する組織の利害ばかりを考えるのは、成熟した個人とは認められない。精神的な奴隷になってはならないのだ。 

4.明確な目的を持って行動せよ
 日本では明確な目的を与えずに、「とにかく言われたことをやれ」という指示が多い。しかし、これは絶対的な服従を強いる態度であり、日本人以外には通用しない。個人が行動するには、その理由を知ることが重要であり、上司やリーダーはそれを説明する責任がある。
 この訓練は小中学校を通じて行われているため、目的が曖昧なままに、言う通りに行動することが当たり前と考える日本人も多いが、これはかなり異常なことだ。外国の職場で理由を説明せずに、仕事を強要しても従わない人が多いのは、彼らが非常識なのではなく、理由を説明せずに行動ばかりを命令する日本人が異常なのだ。
 上司も部下も、販売員も顧客も基本的には平等であり、どちらかがどちらかを服従させたり、従属したりしないというのが、国際的なルールである。
 上司が部下に命令するのは、それが職務であり、契約上の責任であるからだ。部下は全人格的に上司に従属しているのではなく、会社内の役割として命令に従う立場にあるということである。仕事に関係のないことを命令することはできないし、反社会的な行動を強いることもできない。あくまで契約上の立場である。 日本では、年功序列が常識として染みついており、年齢が上というだけで下の人間に対して横柄な態度を取る人もいるが、これは論外である。大学も飛び級があり、実力主義が徹底している海外では、年齢が上という理由で無条件に上位に立つということはない。
 企業に明確なビジョンが必要なのも、個人に明確な目的が必要なのも共通した常識である。彼らの発想は狩猟が基本であり、日本のように農耕ではない。従って、獲物を決めずに狩りをすることはないし、獲物を決めないのでは、何をしていいのか分からないのだ。
 日本はとにかく集団行動で種を蒔き、田植えをして、稲刈りをする。やるべきことをやれば、あとは天候次第という考え方である。従って、目的を明確にするよりも、やるべきことをやる、命令されたことをやることが重要と考えている。その違いは大きいのだ。

5.自らの判断で行動せよ
 日本の組織では、「報・連・相」が重要と言われる。報告、連絡、相談だ。しかし、この態度は、「自分で意思決定をせずに、常に上司の許可を得る」ことを意味しており、「個人が自分の判断で行動してはならない」ということである。 日本企業は厳密な労働契約、明確な役割分担と意思決定システムが存在しないことが多い。全て曖昧に、阿吽の呼吸で意思決定をしていく。前述した場の空気こそ重要なのだ。
 しかし、こうした情緒的な考え方は、外国では通用しない。個人には明確な業務上の責任が存在し、それは個人の判断で行動しなければならない。日本のように何でも会議で決定するのではないのだ。こうした企業文化の中では、自分で状況判断し、自分で考え、自分の責任で行動することが求められる。
 勿論、そのためには明確な役割分担、業務フロー、意思決定システムが必要であり、面分かされたルール、マニュアルになっていなければならない。日本企業が海外に進出するのであれば、全ての業務と組織を見直し、再構築する必要があるだろう。

6.約束は責任を持って果たせ
 あるアメリカ映画のシーン。保安官の父親が10歳くらいの娘に「この子の面倒をみてやれ」と、3歳くらいの男の子を預ける。映画の中では、火山が爆発して、その溶岩流をせき止めるために、巨大なビルを爆破しようとしている。女の子は男の子とはぐれてしまい、男の子は爆破されるビルの中に迷い込む。それを見つけた女の子が、命懸けで男の子を助ける。無事に男の子を助けた娘に、父親が「良くやったな」と褒めると、娘は「ううん、私のレスポンシビリティ(responsibility)だから」と答えるのだ。
 レスポンシビリティ(responsibility)は、日本語では「責任を果たす」という意味だが、私はそれ以上のものを感じた。まず、日本なら約束したとしても、「子供が自分の命をかけて救助するだろうか」ということである。また、その行為を父親が賞賛するだろうか。むしろ、「何て馬鹿なことをしたんだ、死んだらどうするんだ」と叱るのではないか。しかも褒められた娘は、「それは私の責任だから」と当然のように答えるのだ。「一体どういう教育をしているのだろう」と考えざるを得ない。勿論、映画だから、という意見をあるだろう。しかし、あまりに現実離れした状況を映画で使うだろうか。むしろ、観客も含めて共通の認識があると思うのだ。
 アメリカはキリスト教が中心であり、全ては神との契約と考える。日本人には神との契約という発想もないし、神との契約だから守るという発想もない。しかし、映画の中では、父親との約束が神との契約と同等の重い意味を持っていた。また、父親も保安官という職業的責任から命をかけて最前線で市民を守ろうとする。ここで言う責任とは、報酬と交換可能な労働ではない。あくまでも使命である。
 企業経営者にも社会的責任と社会的使命がある。そう言っても、それに命をかけて遵守するという文化は日本にはない。あくまで損得勘定で判断する。しかし、その常識も疑ってかかる必要がある。

7.計画は変更するためにある
 日本人は、一度決めた約束はなるべく変更しない。約束を変更するということは、約束した相手に迷惑をかけることになるからだ。従って、基本的には重要な用件も、それほど重要でない用件でも、先着順に優先することが多い。
 しかし、世界には、「相手に迷惑を掛けるということにそれほど頓着しない」人達も少なくない。重要な用件が後から生じれば、前に約束していたことでも変更を申し出る。「韓国人や中国人はすぐに予定がコロコロ変わる」と言う日本人は多いが、実は欧米人も予定はコロコロ変わる。というよりも、予定や約束を変更することを悪いとは思っていないのだ。より良くなるのなら、変更して方が良い。あるいは、更に重要な用件が入れば、それを優先するのである。日本人は「そんなことをしたら相手に迷惑が掛かる」と思うが、全員が約束や予定は変更するもの、という常識があれば何の問題もない。
 基本的に、「相手から迷惑をかけられるのは嫌だが、相手に迷惑を掛けるのは嫌ではない」というのが国際的な常識である。考えてみれば当たり前のことなのだ。

8.組織は「個人の幸せ実現」のために存在する
 欧米人、中国人等は基本的に個人主義である。韓国人は日本人に近いが、それでも、日本よりも個人主義の傾向は強い。日本は世界に類を見ないような集団主義、社会主義的な思想が行き渡っている。
 日本人は、会社等の組織を個人よりも優先する傾向が強い。「滅私奉公」の思想が染みついているのだ。会社の就業規則があっても、「組織のためには滅私奉公すべし」という暗黙の掟の方を優先する。そこでは、有給休暇を取らないことも、サービス残業も当然のこととされる。
 もう一つ、特徴的な日本人の思想は、「先代から引き継いだ組織は後世に残す責任がある」というものだ。会社を簡単に売却したり、買収するという文化ではなく、「組織とは個人を超越した価値のあるもの」と考えている。
 そのため日本社会では、個人よりも法人の方が信用がある。法人格を持たないと取引口座が開けないという会社は多い。しかし、考えてみれば、出来立ての法人の方が、身許のしっかりした個人より信用があるというのは不思議な話だ。
 海外では、日本人ほど組織に執着がない。海外では、会社組織とは「個人が利益を得るための装置」と考えている。従って、簡単に売買するし、儲からなければ潰してしまうこともある。
 現在の日本も、次第にこうした感覚を持つ人が増えている。どちらが良い悪いという問題ではなく、二つの考え方があることを理解することが大切である。

9.人種、宗教、性別、障害のあるなし、年齢で差別するな
 アメリカには公民権運動の歴史がある。人種差別をなくし、男女差別をなくし、障害者差別をなくす法律を整備してきた。しかし、日本はアイヌなどの少数民族はへ存在するが、基本的には一つの民族の国という認識が強い。そのためアメリカのような悲惨な人種差別はなかったが、それでも被差別部落や朝鮮人差別など、様々な差別は明らかに存在したと思う。
 男女差別も男女雇用機会均等法は存在するが、実質的には男女差別は存在している。同じ仕事をしても、男性の方が給料が高いことは珍しくない。また、最近では同じ仕事をしても、正社員は派遣社員よりも給料が高くて当然という差別も存在している。本来ならば、正社員もパートも派遣社員も同じ仕事には同じ給料というのが原則である。
 日本には、様々な差別が存在するが、それが明確に規定されたり、法的に取り締まることは少ない。しかし、海外では日本で当たり前のことが法律で厳しく規定され、違反した場合には罰則が適用されることも多い。
 これは私見だが、日本で最大の差別は、年齢による差別だと思う。年長者を敬うというのは儒教の教えであり、アジアでは一般的だが、欧米でそうとは限らない。精神的,観念的に年長者を敬うことと、年長者だから同じ仕事でも給与が高いということは全く異なる問題だ。
 日本では年長者に敬語を使うのは礼儀とされるが、そもそも敬語表現のない言語もあるし、年齢に関わらずファーストネームで呼び合う文化も存在する。日本社会の中では常識である年長者優遇も、海外においては必ずしも一般的ではないのだ。
 逆に、採用時に年齢を聞くこともタブーとされる国もある。若くても高齢者でも、仕事ができるかどうかが問われるのであって、年齢で差別してはならないのである。
 勿論、特定の国や宗教を侮辱するような言動は持ってのほかだ。自分と常識が異なる人々、生活習慣の異なる人々をも尊重する態度が必要である。食生活や衛生観念等も同様であり、自分が食べ慣れない食物を必要以上に嫌悪するような態度を出すことも失礼である。

10.商取引は対等な立場で行うもの
 日本では「お客様は神様」という国民的演歌歌手のキャッチフレーズが一般常識のように普及しており、そのことがクレーマーを増やす原因にもなっている。商取引とは、商品とお金を交換する行為であり、双方は対等な立場である。ヨーロッパでは、何も言わずに店に入り、勝手に商品を触ると販売員に怒られることがある。店頭に並んでいる商品の所有権は店にあり、他人が所有するものを断りもなく変わるのは失礼とされるのだ。従って商品が見たいのなら、「商品を見せてくれますか」と了解を得なければならないし、商品に手を振れるのは基本的には販売員というルールが存在する。
 これはあらゆる商行為に共通する。メーカーが小売店に卸売する場合も、小売店が消費者に販売する場合も同じである。双方の立場は対等であり、どちらかが相手より有利なわけではない。
 「お客様は神様」という常識が染みついている日本人は、手厚いサービスを受けるのが当然と考えるが、海外では手厚いサービスを受けたいならば、金を払うのが当然という文化がある。
 日本にはチップという習慣がないが、海外ではチップが実質的な給与であり、チップを受け取るのが当然の権利であるという常識が存在する。「チップなんていう習慣は日本人には関係ない」というのは、勝手な言い草であり、常識を知らない愚かな人と軽蔑されるに違いない。

*有料メルマガj-fashion journal(41)を紹介しています。本論文は、2012.9.10に配信されたものです。リアルタイムでの講読をご希望の方は、http://www.mag2.com/m/0001355612.htmlよりお申し込みください。

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