My Photo

お知らせ

無料ブログはココログ

« 量販店と大型専門店チェーン j-fashion journal(10) | Main | 2012年新商品開発の方向性(前半) j-fashion journal(14) »

May 28, 2012

心を動かすマーケティング j-fashion journal(13)

1.安いモノに心が動かなくなった

 日本企業、日本市場は20年近く「安くて良いモノ作り」に熱中していた。その結果が、商品単価の下落を招き、売上、利益が減少し、市場を収縮させた。しかしそれでも、その熱中は止まっていない。
 思えば、85年のプラザ合意以後の円高で、インポート商品が急激に安くなり、イタリアブーム、インポートブームが到来した時には、免税品価格で一流ブランド商品が買えることに熱中した。
 そして、バブル崩壊以降は、中国生産商品による激安商法に熱中した。代表的だったのがユニクロの激安フリースジャケットであり、駐車場に入るために渋滞が起こり、店も入場制限したほどだった。まさに日本人は心を揺さぶられたのだ。

 消費は心の動きに反応する。我々ファッション業界人は、ユニクロの快進撃を中国生産によるコスト削減、大型ショップ戦略、集中的なテレビコマーシャルと週末のチラシ連動のプロモーション戦略として解釈する。合理的な説明が欲しいからだ。しかし、消費の現場は心、気分、感情で動いている。
 ユニクロのヒートテックやドライな肌着にも心が動かされた。しかし、後発の類似商品にはそれほど心が動かない。それでも代用品としてのニーズがあることは確かだ。
 東日本大震災は世界中の人々の心を動かした。悲惨な災害をマーケティングと合わせて考えるのは不謹慎かもしれないが、様々な支援、寄付、復興イベントに人々が心を動かされたのは事実だ。その結果として経済活動が生まれた。周辺からは経済活動の自粛を求める声が大きかったが、一方で被災地の現場の人々は日常生活に飢えていた。
 その後の原発や放射能の問題も同様である。こちらは、人によって放射能の影響や行動が二分された。「必要以上に心配しても仕方がない」という考え方と、「現実の危険に目を向けて、原発を非難すべきだ」という意見がぶつかっている。
 現在は、日本全国の人々が一方で日常生活を取り戻し、一方で東海中南海地震、首都圏直下型地震の恐怖が新たに加わるいう不安な状況にいる。それでも我々は生活を維持しなければならない。節約、倹約しながらも明るく生活していかなければならない。
 そんな想いで、小売店の店頭を見る時、そこにはまるで心が動かない自分がいる。安い商品が並んでいても、それは当たり前だ。サプライヤーは安くて良い製品だと思っているかもしれないが、消費者にとっては、それなりの安物商品が安く売られているとしか感じられない。そこには発見も感動もない。
 特に、中国生産のコストは確実に上昇していく。その中で低価格戦略だけに拘泥することは、非常に危険である。東南アジアに生産をシフトしても、現状の延長の商品やサービスでは心が動かない。心が動かなければ消費は起こらない。

2.恋愛と消費の関係は?

 心が動くコトを恋愛に例えるのは無理があるだろうか。以前、「女性が下着を購入するのはどんな時か」というアンケート調査を見た。細かな数値は失念したが、「恋が始まった時」と「失恋した時」のどちらも下着の購入に結びつくという結果だった。心が動くと、何となく買物をしてしまうということ。ウキウキして買物をする。あるいは心の隙間を埋めるように買物をする。どちらも納得できる話だ。
 震災後、モノを買い占める高齢者が多かった。マイナスの方向だが、やはり心の隙間を埋める行為だったのだと思う。
 恋愛を科学的に分析すれば成功するだろうか。心の問題はデリケートで複雑だ。だから、単純な公式は当てはまらない。しかし、買物も恋愛と同様に複雑なのだ。単純に安いから買うというものではない。安いことで心が動いた時期があったのは事実だ。そして、「安いモノで間に合わせればいい」という人も増えている。しかし、日用品を安物で我慢している人も全てのモノに対して、同様の態度を取っているわけではない。
 携帯やスマートフォンが新しい機種が出ると機種変更したくなる人もいるだろう。お目当てのアイドルに関する消費ならお金を惜しまないのかもしれない。新作スイーツと聞くと,つい買い求めてしまう。深夜の通販番組で衝動的に買物をしてしまう。新作のゲームは必ず試したい・・・。人それぞれに心が動くスイッチが異なるのだ。
 統計によると、日本人は結婚率が少ないだけでなく、同棲率も少ないらしい。恋愛は、結婚というゴールのための手段であり、時間を掛ける必要はないと考えているのだろうか。恋愛というプロセスは楽しむべきものではなく、最早作業に過ぎないのだろうか。
 恋愛観の変化は、確実に生活観を変える。それと共にファッション観も買物観も変えるだろう。最近、気になっているのは、「モテ、非モテ」「モテ期」という言葉だ。なぜ、「モテる」という受動的な言葉を使うのだろうか。自分が相手を好きだと「コクる」ことが恋愛の始めではないのか。「モテ、非モテ」のように類型化して二分する考え方もおかしい。恋愛は相性ではないのか。どこかに、自分にぴったりする相手がいるという考え方は古いのか。
 「モテるようになるにはどうしたらいいのですか?」などという質問も、私には理解しがたい。モテる、モテないは結果に過ぎない。
 しかし、ジャニーズ系のアイドルのようにモテたいならば話は別だ。彼らは、ひたすらモテる役柄を演じている。どんなに頭が悪く、性格が悪くて、私生活が乱れていても、そうしたマイナス面は全て隠し、常に良い印象を与えるような服装をして、好感度を印象付ける表情を研究し、その役割を完璧に演じればいい。そうすれば必ずモテるだろう。数の多い少ないはあっても、何人かの異性からはモテるはずだ。なぜならリアルな恋愛ではなく、アイドルのような仮想恋人を必要とする人は必ず存在するからだ。心を動かしたい人がいて、心を動かしてもいいと思える対象がいる。需要と供給の関係である。
 マーケティングの分野も同様だ。「ウレる」という言葉が多用され、「売る」という言葉はあまり使わない。「ウレる」には、自然に売れるというイメージがある。棚に並べておけば自然に売れる商品。「売る」と表現すると、一生懸命売り込まなければ売れないというイメージだ。
 これもアイドルと同様である。この商品は「売れている」「人気がある」「有名だ」という情報が大量に流れれば、どんなにつまらないモノでも売れる。なぜなら、「売れるもの」は話題になる。その商品を他人に説明するだけで楽しいのだ。「やっとの思いで購入した」という体験そのものも感動を覚えるだろう。
 私はあの人(商品)に恋してしまった。でも、恋は醒めてしまう。なぜ、あの時にあんなに熱中してしまったんだろう。いつの時代も恋は盲目だ。

3.コトを始めるモノ語り

 モノ消費からコト消費へ。おそらく、30年も前から言われてきたフレーズである。そして、現在は先週のメルマガで書いたように、脳消費、情報消費の時代が始まっている。どんな消費であろうと、顧客が商品を買うのは「心が動く」ことから始まる。
 勿論、心が動かなくても消耗品は補充しなければならない。それでも、様々な種類が棚に並んでいれば、心を動かす商品を選ぶことになるはずだ。
 「へぇ、こんなに安いんだ」というのも心が動く。高級なラグジュアリーブランドのショップに入れば、「わぁ、高そうだけど素敵」と心が動く。現時点では、抗酸化に良いとしてトマトジュースが品薄になっている(メルマガ発行時)ので、トマトジュースが商品の棚にあれば「あ、トマトジュースがあった」と心が動くだろう。
 ファッションに流行があるのも、継続的に心を動かすための仕掛けである。
 「心が動く」とは、ある意味のサプライズであり、変化を意味している。勿論、千年変わらないモノに感動することはある。しかし、もし、顧客が千年間そのモノを見続けていたら感動しないはずだ。いつも新しいモノばかりを見ている日常の中で、突然、千年変わらないモノを見るから感動するのである。
 変わるとは、商品が変わるだけではない。主体となる顧客が変われば、変わらないモノでも再発見することができる。
 売れない時代に売るためには、「心を動かす」ことが必要である。「心が動く商品」「心が動くサービス」「心が動く空間や店舗環境」とは何か、を考えなければならない。
 我々が心を動かす事象は、単純なものから複雑なものまで多種多様だ。降るような星空を見上げても心は動く。美しい花を見ても心が動く。もう少し複雑になると、ゲーム、小説、映画のように「心を動かす」ストーリーや演出が必要になるだろう。
 例えば、現在の量販店で心を動かすのは難しい。安価なコモディティ商品ばかりが店頭に山積みされているだけなのだ。そこには意外性もなければストーリー性もない。人もいければ、コミュニケーションもない。モノばかりが集まっているチープな空間である。
 コモディティ商品に非常に類似しているが、全く異なる商品が「雑貨」である。コモディティ商品の売場はアイテム別に編集されているが、雑貨売場は様々なアイテムの商品がテイストやイメージ、デザインで編集されている。また、コモディティ商品は基本的に汎用品だが、雑貨は明確にターゲットが設定されていることが多い。
 欲しくても欲しくなくても必要なのがコモディティ商品であり、欲しい人はとても欲しがり、欲しくない人には何の価値もないのが雑貨と表現すればいいだろうか。
 雑貨という言葉の定義ではなく、私はコモディティ商品とは対極をなす商品として「ザッカ」を定義したい。女性を対象にするのであれば、カワイイのがザッカで、かわいくないのがコモディティ商品である、と言ってもいいかもしれない。
 また、日用品だけで編集されているとコモディティだが、プロ仕様の道具が一緒に編集されているとザッカ的楽しさが出てくる。カッパ橋道具街の食器や調理器具店は、一般人には何やらザッカ的な匂いがする。
 雑貨、ザッカを定義するのは至難の業だ。以前、ある大手小売企業から「まず全ての雑貨をマップにしてくれ」と言われ、断ったことがある。全ての雑貨とは全ての商品というのと同じことだ。コモディティ商品であっても、ストーリーや演出によっては雑貨になるのだ。
 量販店の品揃えが魅力ある雑貨に見えるならば、心が動くかもしれない。それを実現するには、既存の量販店のシステムを全て崩すことが必要だ。ドンキホーテは安売り店であり、巨大な雑貨店でもある。商品を分かり易く分類するのではなく、顧客の心を動かす編集や陳列がなされている。あるいは、結果的にそうなっているだけかもしれない。
 同じことは、ホームセンターにも言える。ホームセンターもアイテム別だが、それ以前にコトで編集されている。ガーデニング、家の手入れ、電気工事、車の手入れというように。一般のコモディティ商品だけでなく、プロユースの道具や専門的なツールがミックスされることで、雑貨的な楽しさがあるのだ。
 モノの集積と編集により、何かコトが始まる予感を感じさせること。そんな商品MDが求められているのではないか。

4.日常生活の中のコスプレ消費

 「心を動かす」ことで最も有効なのが、顧客に何らかの役割を演じてもらうことだ。日常の中で、初老のオジサンが正義のヒーローに変身すれば心は大いに動く。正義のヒーローではなくても、日曜画家、趣味の蕎麦打ち名人、ソムリエ、料理人になりきることで、日常から非日常へとワープできるだろう。
 通常のコスプレは、アニメやマンガの登場人物に扮するものだが、日常生活の中で日常以外の存在を演じる「コスプレ」があってもいいのではないか。
 そもそもサラリーマンが定年を迎えると、40年以上続けてきた役割を強制的に終了させられてしまう。次に何を演じるのか、スーツの次に何を着るのかは重要な課題である。しかし、そのことを真剣に提案しているアパレル企業や流通企業は見当たらない。
 例えば、趣味で蕎麦打ちをする場合にも、格好から入ってもらう。老舗のそば屋の親父を演じてもらえるよう、和風のユニフォームを用意する。頭には専用の帽子か手拭いをきちっと巻き付ける。綿棒、鉢、蕎麦切り包丁などにもこだわりたい。安い数百円のものから素材や加工にこだわった何十万のものまで、売場に提案されていれば、こんな趣味もいいかな、と思う人も出てくるだろう。ついでに、キッチンを本格的にリフォームする提案をしても良いかもしれない。
 顧客の心を動かすには、提案が必要である。モテるのを待つ若者のように、売れるのを待っていては何も始まらない。こちらからプロポーズするのだ。
 「あなたにはこんな生き方があります。そのためには、こんなものを揃えると楽しいですよ」
 こうしたプロポーズをする時に、価格さえ安ければ喜んでもらえるのか。そんなことはないだろう。むしろ、日常の支出を削っても、一点豪華消費をするはずである。
 企業は低価格戦略を20年近く続けた結果、提案力が弱まっている。売れ筋が出てくるのを待ち、売れている店の店頭を調査し、フォローすることだけを考えてはいないだろうか。
 モノ作り、モノ売りの立場から、世の中の人々の心を動かす努力をしなければならない。購買は感情が生み出すのだから。

*有料メルマガj-fashion journal(13)を2カ月遅れで紹介しています。本論文は、2012.2.27に配信されたものです。リアルタイムでの講読をご希望の方は、http://www.mag2.com/m/0001355612.htmlよりお申し込みください。

« 量販店と大型専門店チェーン j-fashion journal(10) | Main | 2012年新商品開発の方向性(前半) j-fashion journal(14) »

「ファッションビジネス」カテゴリの記事

Comments

Post a comment

Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.

(Not displayed with comment.)

« 量販店と大型専門店チェーン j-fashion journal(10) | Main | 2012年新商品開発の方向性(前半) j-fashion journal(14) »