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May 03, 2012

量販店と大型専門店チェーン j-fashion journal(10)

「量販店と大型専門店チェーン」

1.セルフサービスに魅せられた量販店

 スーパーマーケットのルーツは「キングカレン」である。1930年、ニューヨークでマイケル・カレン(Michael Kullen)が、スーパーマーケットの「キング・カレン(King Kullen)」を開店した。カレンは、自分が働いていたチェーンストアがもはや消費者の味方ではなくなったことを痛感し、新業態を提案したが受け入れられず、独立を決意したのである。
 カレンは、「世界一の価格破壊者(The World‘s Most Daring Price Wrecker)」をスローガンに、セルフサービスを導入し、人件費を節約、現金払いの持ち帰り(Cash and Carry)によって金利と配送費を削った。低マージン商品を組み合わせ驚異的な低価格を実現し、彼の食品スーパーは大成功を収めた。

 カレンのビジネスモデルを更に発展させたのが「ウォルマート」である。「ウォルマート」は、サム・ウォルトンにより1962年にディスカウントストアとして創業された。「EDLP(EveryDay LowPrice)」を掲げ、低価格、物流管理、コスト削減などを推し進め、急速に成長した。
 日本にチェーンストア理論が紹介されたのも1960年代だ。1962年、東京大学の林周二教授が『流通革命』を出版し、その中で「問屋無用論」が提唱された。
 同じく1962年、渥美俊一氏がチェーンストア経営研究団体「ペガサスクラブ」を設立している。設立当初の「ペガサスクラブ」の主なメンバーは、ダイエーの中内功、イトーヨーカ堂の伊藤雅俊、ジャスコの岡田卓也、マイカルの西端行雄・岡本常男、ヨークベニマルの大高善兵衛、ユニーの西川俊男、イズミヤの和田満治など30代の若手経営者が中心だった。この顔ぶれを見て分かるように、ここから日本の量販店は育っていったのだ。
 量販店が大きく成長したのは、60年代後半から70年代にかけてである。72年には、ダイエーが三越を抜き、小売業売上高日本一を達成した。量販店の急速な発展によって、伝統的な独立自営商の淘汰が進み、大型店出店の反対運動が商店街等で起きるようになった。
 そうした流れの中で、74年に大規模小売店舗立地法(大店法)が施行され、大型店は出店規制を受けるようになった。(90年代半ばになると、この法律がWTO違反の疑いがあるということになり、2000年に大店法は廃止された。そこから大型SCの時代が到来した。)
 米国流の合理的なチェーンストア理論を導入して多店舗化を急速に進めた日本の量販店だが、仕入れ面では日本型商慣行に縛られた。
 アメリカの量販店は「大量発注・大量販売を背景に低価格での買取仕入れを行い、セルフサービス、集中レジ等によりコストと利幅の低減化を図ることで廉価販売を実現」した業態である。一方、日本の量販店は、セルフサービス、集中レジは取り入れたものの、米国型のメーカーからの直接買取り仕入れ定着せず、実質的に百貨店の取引形態である問屋依存の仕入れ形態を継承した。
 当時の量販店の取引は、「上代は量販店の指し値で、百貨店並の掛け率取引、値引き要求、返品あり」だったために、初期の量販店卸は倒産や取引縮小が相次いだ。
 その後、量販店商法に対応した量販卸が参入した。それにより、アメリカの量販店が「普通の商品を安く売る」のに対し、日本の量販店は「安い価格なりの商品を売る」ことが主流となった。
 1963年、レナウンが量販店向けブランドを初めて投入し、当時のアパレル業界はこれに倣うことになった。その結果、アメリカの量販店では、PBに加えて百貨店や専門店で販売しているブランド商品を安く販売する業態だが、日本の量販店は、少なくともアパレル製品ではそれができないという慣行が1960年代半ばまでに固まった。
 結果的に、「流通革命」も「問屋無用論」も現実とはならなかった。バブル崩壊まで続いた高度経済成長により、市場は拡大し続け、量販店も消費者も「価格破壊」を切実に求めなかったのである。

2.大型専門店チェーンの台頭

 74年から2000年まで続いた大店法では、の対象となる大型店に2つの区分が設けられた。第一種大規模小売店:店舗面積3,000㎡以上(特別区・指定都市は6,000㎡以上)と第二種大規模小売店:店舗面積500㎡以上である。
 この規制の網をくぐり抜けて急速に発展したのが、500㎡未満のロードサイド型専門量販店、ロードサイド型カテゴリーキラー等と呼ばれた大型専門店チェーンである。カテゴリーキラーとは、特定のカテゴリーにおいて、規模、価格の両面で圧倒的な競争力を持つ専門量販店である。
 日本においては、大店法の制限がカテゴリーキラーを生み出したと言えるだろう。地価の低いロードサイド立地に集中的に出店することにより、低コストで標準化された多店舗展開が可能になったのである。しかも、仕入れを問屋に依存するのではなく、商社を通じて、あるいは独自に海外メーカーから製品調達した。その結果、流通コストが圧縮され、低価格商品を供給することができるようになった。
 彼らにとって、大店法とバブル崩壊は千載一遇のチャンスだった。大手流通企業は大店法で大型店舗の出店が困難になり、地価下落で大きな被害を受けた。
 一方、大型専門店チェーンにとっては、地価下落により出店コストは下がり、市場環境も低価格商品のニーズが高まっていった。同時に、中国工場のレベルが上がり、日本市場で通用する商品を中国で調達することも可能になった。
 競合他社、消費市場、商品調達、為替等、全ての条件が大型専門店チェーンに好都合だったと言えるだろう。こうした背景の元で、紳士服の青山やアオキ、婦人服のしまむら等が急成長した。
 量販店はセルフサービスと集中レジという新しいシステムに魅せられた。そして、そのシステムを食料品から衣料品、家庭用品に拡大し、高度経済成長と共に成長した。一方で、仕入れ形態は百貨店型の問屋依存を踏襲したために、圧倒的な価格競争力を持つに至らなかった。
 大型専門店チェーンは、大店法をきっかけに成長し、バブル崩壊後の低価格戦略でその地位を固めた。セルフサービスよりも、商品調達と多店舗展開を優先し、メーカーからの直接調達を実現した。また、標準化店舗のチェーン展開により、品揃えや陳列の標準化、マニュアル化による運営コストの合理化も可能になった。セルフサービスという形態にこだわらず、売場や商品に応じて柔軟に接客することで、顧客へのサービス対応も高めた。大店法が廃止されてからは、更なる店舗の大型化と都心立地への出店を強めている。、
 結果的に大手総合量販店は、食料品部門は利益を確保しているものの、衣料品、家庭用品では、大型専門量販店に対する競争力が弱く、利益を上げることが困難となっている。
 大手総合量販店が利益確保の切り札としたのがPB(プライベートブランド)である。セブンアンドアイ、イオン等の大型量販店では、PB戦略を強めている。問屋依存からメーカーからの直接調達を増やし、グループ内外の店舗にもPB商品を供給することで、展開店舗数を増やすという戦略だ。
 最終的には、カテゴリーを絞っている大型専門店チェーンとの競争力が問われるだろう。大手総合量販店は、価格で圧倒するのか。高級化を目指すのか。差別化を図るとすれば、どのように行うのか。それが問題だ。

3.大型SCという新しい商店街

 大手総合量販店は、物販よりも不動産で利益を上げている。大型SC内を開発し、自らの大型総合量販店を核に、シネコン、専門店モール等を建設する。その家賃収入が、着実な利益を上げているのだ。
 専門店モールにはテナントとして、家電量販店、大型インテリア専門店の「ニトリ」、大型カジュアル専門店の「ユニクロ」、大型婦人服専門店の「しまむら」、ファッション&雑貨の大型専門店「無印良品」等々も含まれている。これらのショップは、大手総合量販店のPBの競合相手でもあり、利益をもたらすテナントでもあるのだ。
 大型SCは新たな商店街とも言える。その商店街全体を運営しているのが、大手総合量販店を核とした大手流通資本である。日本の量販店は百貨店の仕入れ形態を踏襲したと述べたが、百貨店とは異なって不動産デベロッパー、プロパティマネジメントの業態を開発した。量販店だけをみれば安物商品を大量販売している業態に過ぎないが、専門店モールやシネコンを含めれば、多様な商品とサービスをワンストップで提供する、地域住民の生活拠点と言えよう。
 そういう視点で見ると、百貨店が衰退してしまった現在、大量生産ではない商品、国内生産のコストの高い商品、また、ラグジュアリーブランドでさえも、大型SC内に吸収しても良いのではないだろうか。
 但し、特定の富裕層を対象にした施設ではなく、一般の生活者を対象にしたアッパーゾーンである。そういう意味では、越谷レイクタウンのように、大型SC内にアウトレットモールが併設されたことは大きな意味があるだろう。

4.量販店の鍵を握るPB戦略

 日本の量販店は問屋依存の仕入れ形態であり、価格競争力がないと述べた。既に、世界の小売業はメーカーからのダイレクトな商品調達が主流になっている。一方で、全ての商品をメーカーからダイレクトに調達するには、一定以上の店舗数が必要である。ここで重要なのは、標準化された売場を多数出店することであり、店舗の大型化ではない。
 最近の量販店は、採算の低い小型店をスクラップし、大型店を増やしてきた。しかし、それでも店舗スケールにバラツキがあり、標準化とは言えない状況である。店舗の大型化すれば、簡単に出店することはできない。しかし、狭い面積でも出店できれば、店舗数を稼げる。
 ユニクロが、空港や駅構内に小型店を展開しているのも、メガストアばかりでは店舗数を増やすことができないからだ。価格訴求ができる商品でメーカーとダイレクトに取引するには、600店舗程度の店舗が欲しいところだ。ちなみに、しまむらは約1000店舗、ユニクロは約850店舗、紳士服の青山は約700店舗である。量販店のイオンは約300店舗、イトーヨーカ堂は約190店舗であり、それほど店舗数が多いわけではない。
 例えば、3000坪の店を想定する。食料品1000坪、衣料品1000坪、家庭用品1000坪。この規模の店を600店舗出店することは不可能に近い。しかし、1000坪の売場を40坪のユニットに分解すれば25ユニットになる。40坪は、少し大きめの専門店規模だ。同一テイストの商品や同一アイテムの商品を見るには、40坪程度が限界ではないだろうか。それ以上、広いと顧客は買物をする時に、比較対象がしにくくなる。日本国内で1000坪の店を600店展開するのは困難だが、40坪の店を600店展開するのであれば可能性が出てくる。
 どんなに大きな売場でも、必ず大分類、中分類、小分類のように分類することが可能である。また、商品の分類もターゲット顧客別分類、アイテム別分類、テイスト別分類、シーン別分類、カラー別分類など、様々な分類が可能だ。
 現在の量販店のPBは分類が不明確である。顧客ターゲットも商品テイストも曖昧であり、シーズンテーマ等も感じられない。結果的に、価格訴求しかできていない。今後は、PBが細分化され、更に緻密なMD政策が求められるだろう。
 しかも、今後は中国の人件費や原材料費が上がることが予想される。これまでのような価格訴求だけでは商品が売れなくなるに違いないのだ。
 私が大手総合量販店のPBに興味を持つのは、それが日本人全体の生活水準を左右するからである。日本人の生活を価格だけで切り取っていいのか。日本の産業構造、社会構造を考えた上で、国民ブランドとしてのPBはどんな哲学を持つべきなのか。そのテーマの提案を含めて、改めて考察を進めたいと思う。

*有料メルマガj-fashion journal(10)を2カ月遅れで紹介しています。本論文は、2012.2.6に配信されたものです。リアルタイムでの講読をご希望の方は、http://www.mag2.com/m/0001355612.htmlよりお申し込みください。

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