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January 01, 2011

2011年新年のご挨拶

あけましておめでとうございます。
昨年中にお世話になった方、ありがとうございました。昨年中にお世話にならなかった方、今年こそはお世話になります。いずれにせよ、本年もよろしくお願いします。
 ここ数年、私は中国ビジネスについて研究して参りました。東レ経営研究所主催の「中国ビジネス研究会」主幹として、日本ファッション協会主催の「80後研究会」コーディネーターとして、多数の中国人の方々と対話を進めながら、中国に対する理解を深めて参りました。最近では、中国の市場の成熟度、中国ビジネスの構造、中国人経営者の発想等が理解できるようになり、同時に日本企業が失敗する理由も分かってきました。
 日本人社会は信用を前提にしています。名刺交換した瞬間から相手を信用することが暗黙の了解です。そして、ビジネスとは企業と企業で行われるものであり、個人はその一部に過ぎません。しかし、中国人社会は個人と個人の信用の上にビジネスが構築されます。企業は個人が利益を得るための装置に過ぎず、全ては個人同士の関係がベースになっています。

 しかし、大多数の日本人、特に組織人は個人同士のコミュニケーションに慣れていません。パーティーの会場でも、知り合い同士が固まって話をしているだけで、知らない人と話をすることはほとんどありません。コミュニケーションが取れないのでは、ビジネスが成立しようがありません。日本企業が中国ビジネスで苦戦しているのは、嗜好や商品の問題以前にコミュニケーションの問題だと思います。
 コミュニケーションの問題は、中国ビジネスだけではなく、政治の世界でも共通の課題になっています。過日の尖閣問題でも、日本の政治家の対応は、日本国内の暗黙の了解を前提にしたものであり、堂々と自分の意見を表明しないことが海外の人々の不信を煽る結果となっています。
 日本企業、日本人は自分のやり方を変えないという意味ではとても頑固です。自分のやり方を変えないで、中国を変えようとしても無理な話です。中国ビジネスは中国企業、中国人が主役であり、中国ビジネスに参入しようとするなら、自分から中国に歩み寄らなければなりません。どんなに中国の本を読んでも、中国ビジネスのセミナーを聞いても、自分が変わらない限り、中国ビジネスは成功しないのです。
 2010年は、グローバルの波が国内にも押し寄せた年でした。ファストファッション企業の上陸と中国企業による大手アパレル企業の買収がその典型と言えるでしょう。海外市場に進出する企業はもちろんですが、国内市場だけで戦う企業にとってもグローバルに通用する企業、個人になることが求められています。グローバル企業と言っても、公用語を英語にすればいいわけではありません。むしろ、日本語が話せれば、国籍、性別、年齢等を問わず、優秀な人材を採用できる企業になることではないでしょうか?日本人に英語を覚えさせて海外に派遣するのではなく、社員構成を多国籍化し、世界から人材を集めること。必要であれば、優秀な外国人経営者を迎えることを考えるべきだと思います。
 グローバルな市場で戦うのであれば、日本人、日本企業のアイデンティティが重要になります。欧米のコピーは日本国内では通用しますが、グローバル市場では価値がありません。欧米コンプレックスやアジア蔑視は論外です。欧米のキャッチアップから脱し、日本オリジナルのデザイン、ブランドを構築していかなければなりません。日本には、優れた要素や技術が数多く存在します。しかし、それらの要素や技術を組み合わせ、一つのブランドや製品としてプロデュースする能力が弱いのです。
 また、日本の素晴らしい要素や技術は海外からは全く見えていません。日本企業は、自社のビジョン、技術、製品を、海外の人に真剣に伝えようとしていません。日本語のホームページを英語に翻訳しただけでは海外には伝わりません。日本語のホームページは、日本国内の常識を前提に構成されています。日本の業界を全く知らない人、日本の商慣習を全く知らない人に向けては書かれてはいません。どの会社も横並びの内容であり、それだけで会社の違いを判断することはできません。日本企業のWEBサイトは、不思議な言葉で書かれた巨大なブラックボックスに見えています。
 海外展示会に出展する企業も国内展示会と同様のチープで同質化した展示を行っています。製品や技術は素晴らしいかもしれませんが、ブースを見ただけでは中国や東南アジアの企業と区別がつきません。「ボロは着てても心は錦」「技術者だから格好など気にしない」という美意識も海外では通用しません。外見、演出、主張が必要です。日本人のように、些細なタッチの差や仕様の差にこだわる人はごく一部の特殊な顧客です。多くは、外見と価格を重視します。従って、世界でファストファッションが売れているのです。

 私の2011年の活動方針は、この状況を打破することです。これまでは、繊維産地のビジョン策定、繊維政策に関する調査及び提案、ジャパンクリエーションの立ち上げ等、大きな枠組みの仕事が中心でしたが、今後は発想を転換し、個人、ベンチャー企業、中小企業等の具体的な支援を行っていきたいと考えています。そして、グローバルに通用するビジネスモデル、ブランドをまず日本で構築して、その後、世界市場に飛躍することが重要だと考えています。
 
 現在の繊維ファッション業界は、既存の補助金事業の全面的見直しを余儀なくされ、既存の団体、組合等も弱体化しています。一方で、自分磨きを志向する個人が増え、繊維ファッションビジネスにも固定観念に捕らわれない若者達が参入しようとしています。クールジャパンについても、既存企業ではなく、個人やベンチャー企業が中心になって発信を強めていくことでしょう。
 また、ICT(情報通信技術)の発達により、ツイッター、ユーストリーム、フェイスブック等の新しいSNS(ソーシャルネットワーキングサービス)が次々と誕生しており、新しい個人ネットワーク、コミュニケーションサービス、コンサルティング、教育プログラム等が生まれつつあります。これまでは、団体、組合等に加入しなければできなったビジネスマッチングやプレゼンテーションも個人単位で行うことが可能になってきました。
 私は、企業という組織そのものが変革しなければならないと考えています。複雑なヒエラルキー組織、意志決定システム、無駄な会議や資料つくりが企業の仕事だと勘違いしていると、効率の良い個人ネットワークとの競争力を失うことになるでしょう。

 私は、2011年から、ベンチャーの時代に突入すると考えています。あらゆる既存のビジネスシステムの変革が求められています。そのための技術やインフラも整いつつあります。日本の資産である個別の優れた技術、埋もれている優れた人材をつなぎ、変化するグローバル市場に対応した商品開発を行い、ブランドという形でプレゼンテーションすることが重要になります。私は、そのためのプログラムをいくつか作っていきたいと考えています。
 その最初のプレゼンテーションとして、1月15日(土曜日)、日本ファッション協会会議室において50名限定の新春セミナーを行います。(詳細は、http://j-fashion.cocolog-nifty.com/jfashion/2010/12/post-1dbc.html)

 ご興味のある方は、ぜひ、ご参加ください。(出席される方は、上記のサイトにコメントしてください。よろしくお願いします)

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Comments

英語圏に行けば、片言の英語でも通じる。暮らしてゆける。
完全な英語でなくても、英語環境がととのっているから通用するのである。
英語環境がととのっていれば、そのうちに、英語も上達する。

我が国においては、どんなに英語が堪能であっても就職先に困る。
それは、人々が英語を使わないからである。これでは、暮らしがなりたたない。

日本の学校で6年間英語の授業を受けてもまず話せるようにならないのは、英語環境がととのはないからである。
一歩学校の外に出ると英語を使わないのでは、せっかく習った英語も錆ついてしまう。
日々の学習努力も賽の河原の石積みとなっている。

日本の学生のために英語環境を整えることが、語学力を増すことにつながると考えられる。
それには、英語を我が国の第二公用語にするのがよい。
国民も政治指導者も、英語の使用を日本人のあるべき姿と考えることが大切である。

国際社会において、我が国を代表する政治家にも英語の堪能さが見られない。
日本語のみを使用する社会において、実用にならない言語の学習は空しいばかりである。それにもかかわらず、我が国においては英語教育に名を借りた序列争いばかりが激しく行われている。
英語の学習を民間に奨励するだけでは充分ではなく、英語を習得したことに対する国家の強力な報奨(incentive)が必要であります。
英語を実用の言語とする政治指導者のさきを見据えた努力が大切です。
たとえば、公務員採用試験に英語の能力にすぐれた人物に優遇処置を施すなどの法的裏づけなどが効果的でありましょう。

英米人には、手先・目先の事柄に神経を集中する特技は得られないようである。かれ等は、生涯、歌詠みにはなれないでしょう。
日本人には、英語を使って考えることはきわめて難しい。しかし、これは不可能ではない。全員ではないが、知識人には為せばなる学習であると私は考えています。
わが国民の作る細工物は出来栄えが良い。なおその上、英米流の哲学にも良き理解を示す民族となれば、未来の日本人は鬼に金棒ということになるでしょう。
だから、英語を我が国の第二の公用語とすることには大きな意義があります。実現の暁には、我が国民のみならず、世界の人々に対しても大きな未来が開けることと考えられます。

一見我が国は教育大国を目指しているようであるが、大人の教育はない。つまり、子供が大人になるための教育はない。
我が国においては、教育といえば子供の教育のことを指している。目先・手先のことのみを述べる人は、子供のようである。
大人には考える教育が必要です。一人一人に哲学が必要です。
現実と非現実の間に区別を置くことなく語る人の内容には意味がない。だから、日本の知識人には価値がない。

「感情的にならず、理性的になれ」と国民に訴える指導者がいない。
「国民の感情に反する、、、、、」と言うのでは、主張の論拠にならないが、それのみを言う。
感性 (現実) あって理性 (非現実) なし。我が国は、一億総歌詠みの国にとどまっている。

大学生は入学しても、キャンパスで4年間遊んで過ごすことになる。
無哲学・能天気の大学生は、平和ボケ・太平の眠りの中にいる。
「入学を易しく、卒業を難しく」というような教育方針は現状を観察すれば空しい限りである。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812


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