クリエーションとシステム
ドイツという国はシステム化が得意だと思う。論理的な組み立てが得意であり、ドイツ製機械の性能も良い。ドイツ人はエンジニアに向いているように思える。
反面、イタリア人は、ドイツのような規格化は苦手だし、機械の性能も不安定だが、デザインの素晴らしさと個人の手作業の確かさには定評がある。彼らは、システムよりもクリエーションが得意だ。生まれながらのアーティストの性質を持っているようだ。
日本人は、イタリア人のような無から有を生み出すようなクリエーションは弱いが、改善や改良により完成度を高めていく職人気質を持っている。ドイツ人のようなシステム的な発想はあまり得意ではないが、阿吽の呼吸による集団活動は得意だ。暗黙の了解で相手の立場を尊重し、自分のポジションを確認し、自主的に作業することが可能である。
逆に言うと、日本人はシステムとクリエーションがあまり得意ではない。システムがなくても単一民族であるために互いが理解できる。集団行動や協調性が重んじられており、学校でも団体行動の訓練だけは熱心に行っている。無から有を生み出すクリエーションも弱い。歴史的に日本では新しいモノは海外からやってくる。日本で行う作業はその新しいものをブラッシュアップして完成度を高めることだった。日本人のアーティストやデザイナーが海外が高い評価を受けるケースも多いが、その多くは個人のクリエーションというより、西欧とは異質の日本の伝統文化や美的センスがアバンギャルドなクリエーションとして評価されたものだ。
私は日本のファッションビジネスを国際的に通用させるには、クリエーションとシステムが不可欠と考えている。国際的なファッションビジネスでは、クリエーションのシステム化されたマネジメントと、クリエイティブなシステム開発が求められるのだ。
クリエーションを突き詰めていくと、飛躍や閃きにつながっていく。最もシステムとは縁遠い要素である。ある意味で、クリエーションをビジネス化するということ自体が無理なのかもしれない。ファッションはシステム化できないとする説も存在するほどだ。
それでも、ファッションビジネスではクリエーションをシステム化する試みを放棄するわけにはいかない。マーチャンダイジング企画という作業では、まさにシステムとクリエーションがせめぎ合う。クリエーションを枠組みで管理しようとする作業と、その枠を壊してクリエーションしていく作業のぶつかり合いだ。イタリアのアパレル企業を取材した時も、「最終的な企画のまとめの作業を見たら、クレイジーだと思うだろう」と語っていた。
システムが勝るとファッションビジネスは停滞する。売筋追求が過ぎると、商品に勢いがなくなり、自由な発想が阻害されていく。組織というシステムそのものでさえ、クリエーションを阻害すると言える。
反対に、システム的なマネジメントやシステム的な発想が欠如すると、ビジネスは安定しない。ビジネスは個人に依存し、企業の中にノウハウが蓄積されることもない。クリエイティブな分野を担当するスタッフは、自分の既得権を守るためにも、企業のシステム化には反対しがちである。クリエーションは個人の中に存在するし、個人が決定し、管理する以外の方法はないのも事実だ。
今後、このクリエーションとシステムについて、様々な確度から考えてみたい。◆
« 日本人は嫌われていることの自覚を | Main | 平時と非常時 »
「ファッションビジネス」カテゴリの記事
- 精神の価値とモノの価値 j-fashion journal(551)(2024.04.16)
- 郊外SC立地アパレルショップの生き残り策 j-fashion journal(550)(2024.04.16)
- 「3Dプリンターの家」による新しいライフスタイル j-fashion journal(549)(2024.04.16)
- 「カナ刺し」のすすめ j-fashion journal(548)(2024.04.16)
- 地域社会に貢献する商業を目指そう j-fashion journal(547)(2023.07.31)


Comments