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July 31, 2023

地域社会に貢献する商業を目指そう j-fashion journal(547)

1.高度経済成長は「三方よし」から

 仕事をする目的は何でしょう。
 日本では「三方よし」といって、「売り手良し」、「買い手良し」、「世間良し」の三つの「良し」が目的とされていました。売り手と買い手がともに満足し、また社会貢献もできるのがよい商売ということで、近江商人の心得になっています。
 ここには、「株主良し」とか、「資本家良し」はありません。考えてみれば、日本が高度経済成長を維持していた時代は、銀行との株の持ち合い等により、日本企業は海外資本家の支配から独立していました。しかし、国際標準の名の元に、日本企業は防御の鎧を剥がされ、海外資本の支配を受け入れることになりました。
 その他にも、様々な法律、政策により日本企業は弱体化しました。
 こうして多くの大企業は海外資本の搾取の対象となりました。次のターゲットは、上場していない中小企業です。
 デービッド・アトキンソン氏は、かねてより中小企業の生産性の低さを問題視し、合併・買収(M&A)などによる企業規模拡大の必要性を訴えています。
 しかし、商売の目的が「三方良し」ならば、生産性が低いことに何の問題もありません。また、生産性を高めて、資本家に多くのリターンをもたらす必要もありません。
 
2.トータルな国益を考える

 生産性が低くても、社員を雇用し、社員の生活を支えることには、大きな価値があります。会社の生産性が低くても、仕入れ先、販売先、関係先の国内企業に利益をシェアしているのなら、日本の国益に貢献していることになります。
 逆に、海外生産によるコストダウンで利益を上げた企業は、生産性が高くても、日本国内の従業員や関係先企業には貢献していません。更に、人件費の低い海外生産による薄利多売のビジネスモデルは、単価の下落による市場収縮を招き、デフレスパイラルの元凶となりました。これは日本経済の大きな損失です。
 この矛盾は、「グローバリズムこそ正義だ」、という思い込みによって隠されてきました。
 日本の失業者が増えても、中国の雇用が増えればいい。日本人の所得が減少しても、中国人の所得が増加すればいい。地球は一つなんだから、人種で差別するのはおかしい。それがグローバリズムだというのです。
 本当にそうでしょうか。我々は大きな犠牲をはらいながら、グローバリズムの社会実験を行ってきました。そして、結論が出ました。
 中国生産と資本の自由化を軸としたグローバリズムは、日本経済を成長から衰退へと転換させました。そして、世界の中で日本だけが所得が上がらず、貧困化が進みました。これは明らかに経済政策、金融政策の失敗、あるいは悪意だと思います。
 

3.グローバリズムの終了

 幸いなことに、グローバリズムは崩壊しつつあります。そもそもグローバリズムは、持続可能で安定した世界を目指していません。
 グローバリズムでは、ごく一部の巨大なグローバル企業が世界市場を独占的に支配することを理想としています。世界各国の製造業は、巨大なグローバル企業の下請けとして生き残るしかありません。また、世界各国の独自の文化を持つ消費者も、グローバル企業が供給する画一的な商品を購入するしかありません。これがグローバリズムの完成形です。
 グローバリズムは自給自足経済の対極にあります。完全な自給自足生活は、多くの貨幣を必要としません。お金を稼ぐための仕事ではなく、生活を維持するための作業が主な仕事になるからです。自給自足経済に国際金融資本は必要ないのです。
 地域毎の経済が自立し、地域通貨や物々交換で商業活動が機能し、地域内で資金調達ができれば、国際金融資本は必要ありません。
 1970年代までの日本の国内経済はほぼ自立していました。資源は海外から輸入しても、輸出に依存せず、国内需要で経済が回っていました。
 グローバリズムを推進した結果、国単位の自立経済は失われ、相互依存を高めました。経済はグローバル化したものの、自由主義と共産主義、独裁主義と民主主義という対立は残されたままです。
 その上、グローバル経済は米国の金融バブル、中国の不動産バブルを育てました。
 そして、矛盾と対立を抱えたまま、コロナ禍で世界は止まったのです。強制的にグローバリズムは終わりを迎えました。そして、グローバルなバブルが弾けようとしています。
 
4.地域コミュニティと新しい商業

 グローバリズムを動かす原理は、貨幣と資本による支配と利己的な利益追求です。その手段として、世界的な大量生産・大量販売があります。
 それらの弊害として、貧富の格差、環境汚染、人権侵害等が起きました。この原理を逆転すれば、世界は良い方向に改善されるでしょう。
 たとえば、大量生産・大量販売から、注文生産、少量生産に移行することです。注文生産は、消費者と生産者の距離が近いことが条件です。そうすれば、物流のエネルギー消費を減らすことができます。また、少量生産なら廃棄も少なくなります。無駄が減るので、利益率も高くなります。
 大量生産大量消費を想定すると、大規模な工場で集中的に生産することになります。しかし、地産地消を原則にすれば、地域ごとに分散して生産すればいいのです。
 そして、チェーン店ではなく、個店で販売します。地元の市場とか商店街のイメージです。商店街の良さは、商店主が地域社会に密着していることです。一つのコミュニティの中で顔見知り同士が、互いに供給と消費を行います。酒屋は電気屋から家電製品を購入し、電気屋は酒屋からお酒を購入する。商店街の中で商品とお金が交換され、商売そのものが地域貢献になるのです。
 そして、日々の買い物を通じて高齢者の見守りや、地域の治安維持にも貢献します。災害時には地域コミュニティの拠点としても機能します。
 チェーン店は、経営者の顔が見えません。多くの従業員は外部からの勤め人です。チェーン店の売上が上がっても、その利益は本社が吸い上げます。当然、地域活動への参加も期待できません。
 ビジネスだけを考えるならば、大企業の方が生産性は高いかもしれません。しかし、地域社会活動全体を考えると中小企業、商店主の方が、貢献度は高いでしょう。中小企業を潰すことは、行政コストが上がり、税金が上がることにつながります。中小企業を判断する場合、生産性だけでなく、社会貢献のコスト負担を考える必要があります。
 かつての日本企業は、複雑な流通構造を通じ、利益を配分し、雇用を確保し、社会の安定に寄与していました。ですから、効率追求で問屋無用論を振りかざすことは短絡的だったと思います。
 経営者である前に地域コミュニティのメンバーであることを認識しましょう。生産性よりも地域安定性を優先しましょう。自分だけ儲かればいいのではなく、地域のお客様や仕入れ先にも貢献することです。これが実現すれば、新たな社会的役割を担う、新しい商業が生れると思います。

*有料メルマガj-fashion journal(547)を紹介しています。本論文は、2022.5.16に配信されたものです。リアルタイムでの講読をご希望の方は、http://www.mag2.com/m/0001355612.htmlよりお申し込みください。  

July 30, 2023

戦争の時代と「鬼」コンセプト j-fashion journal(546)

1.異界から鬼門を通じて鬼が来る

 鬼について考えてみたいと思います。鬼の姿の特徴は、頭に「角」が生えていて、「虎」の腰布を身につけています。
 この姿は鬼門に由来しています。鬼門とは、北東(丑と寅の間)の方位・方角のことで、日本では古来より鬼が出入りする方角であり、忌むべき方角とされています。艮が鬼を象徴する方角なので、鬼の姿は牛の角と虎の腰布ということになりました。
 古来、都の鬼門と裏鬼門、つまり、北東と南西の方角には、鬼が侵入しないように寺社が設置されていました。
 平城京では鬼門の方向に東大寺が、裏鬼門の方向に植槻八幡宮、平安京では大内裏から鬼門の方向に比叡山延暦寺、裏鬼門の方向に石清水八幡宮、鎌倉では幕府から鬼門の方向に荏柄(えがら)天神社、裏鬼門の方角に夷堂、江戸では江戸城から鬼門の方向に東叡山寛永寺、裏鬼門の方向に増上寺が設置されています。
 ここでイメージされる鬼は異界からの侵入者です。異界とは、地獄、あるいは怨霊の住む霊界を指します。
 時代と共に異界のイメージも変化しています。地球以外の星も異界であり、宇宙から地球に侵入してくる攻撃的な生命体も鬼といえます。そういう意味では、エイリアンもプレデターも鬼です。
 仮面ライダーや戦隊ものは、外部から侵入した鬼と戦うために、人間が鬼に変身する物語ともいえるでしょう。

2.隠れて生きる鬼

 日本語の「おに」は、「おぬ(隠)」が転じたものと言われています。元来は姿の見えないもの、あるいは、人里離れた場所に住む者を指しました。
 平安時代の鬼は、大きな身体、一つ目、大きな口、角、赤い褌、手足が三本指などの特徴が示されています。これは仏教経典に描かれた鬼の図像の影響が大きい、と指摘されています。一つ目の鬼は「たたら製鉄」に従事していた者を象徴するという説もあります。鉄の温度を判断するために、高温の炎を凝視することが多く、そのため片目になる人も多かったということです。
 更に、鬼は白人であったという説もあります。現存、最古と言われる絵巻、大江山絵巻に登場する酒呑童子は、髪は茶色で、眼も明るい色です。赤い肌は日焼けの比喩と考えられます。体格も非常に大きく描かれています。
 古代日本は、現代人が想像する以上にグローバル社会でした。髭と揉み上げと帽子という典型的なユダヤ人の埴輪が発掘されていることも偶然ではありません。
 これらを総合して考えると、古来の日本は外国人も数多く生活していて、その中の一部でたたら製鉄の技術を持つ職業集団が、人里離れた山中にいたのではないか、とも想像できます。これはアニメ「もののけ姫」の世界観とも共通しています。
 そして、彼らもまた「鬼」と呼ばれていました。鬼は隠れて生きている。姿が見えないからこそ、恐怖は増大される。それが鬼の怖さです。 
 
3.現代における鬼とは?

 鬼はルールを守りません。平気で人を殺します。場合によっては、人を食べます。鬼の姿は、筋肉隆々のマッチョで、武器は原始的な金棒です。
 鬼は力、暴力への信仰を象徴するものです。話し合いなんて関係ありません。力づくで相手を屈伏します。鬼は理不尽な存在です。しかし、自然界にも理不尽が存在しています。弱肉強食という悲劇の中で、生態系は循環し、生命を維持しているのです。
 デジタル化が進む中で、筋トレやボディビルディングには根強い人気があります。ある意味で、人は鬼の肉体に憧れているのかもしれません。
 戦争は、古代から現代まで続いています。戦争には、弱肉強食に通じる普遍的な要素が含まれています。
 異界からの侵入者が鬼ならば、ウクライナ人に侵入してきたロシア軍は鬼ということになるでしょう。
 現代人は戦争を通じて、原初的な存在である鬼を思い出しているのかもしれません。
 
4.あらゆる商品の鬼化を考える

 戦争の時代は鬼の時代です。鬼という言葉が接頭語に使われる時、そこには「大きい」「強い」という意味が付加されます。オニヤンマ、オニユリ、オニアザミなどです。
 最近のギャルも、オニという接頭語を使います。オニムカ(凄く腹が立つ) オニウマ(凄く美味しい)などで、こちらは「超」「凄い」という強調の意味を持たせています。
 アニメ「鬼滅の刃」の大ヒットも、鬼という文字をタイトルに入れることにより、レトロだが新鮮で強烈な印象を与えることに成功したのだと思います。
 鬼というネーミングやコンセプトは、現在の世相に合っています。あらゆる商品に、鬼を付けると、新しいコンセプトになるかもしれません。
 「鬼せんべい」といえば、厚く大きく固いせんべいになります。「鬼饅頭」は、大きくてごつごつと尖った形状でしょうか。鬼うまい棒は、大人向けのスパイシーなうまい棒。俺のステーきではなく、鬼のステーキの方がパンチがあるかもしれません。
 鬼Gショック、鬼スマホ、鬼バイクはどうでしょう。
 ファッションなら、鬼パーカ、鬼ブルゾン、鬼パンツ。鬼デニム、鬼スウェット、鬼Tシャツ。
 平和な時代には、ソフトで洗練された商品が求められますが、戦争の時代には無骨で荒々しく強い商品が求められるのではないでしょうか。

*有料メルマガj-fashion journal(546)を紹介しています。本論文は、2022.5.9に配信されたものです。リアルタイムでの講読をご希望の方は、http://www.mag2.com/m/0001355612.htmlよりお申し込みください。  

魔除けマーチャンダイジング

1.お守りとは?

 神社や寺院で売られているお守りには、悪いものを遠ざける厄除け、魔除けと、福を呼び寄せる招福、開運等があります。
 人は平和な時、更なる福を呼び寄せようとします。悪いことが起きている時は、とにかく悪いものから遠ざかりたい、と願います。コロナ禍、戦争、自然災害と、悪いことが次々と押し寄せる現在は、魔除けのニーズが高くなっています。
 そもそもお守りや御札は、道教の呪符、あるいは陰陽道の護符を日本化したものとされています。世界には、様々な形態の護符やお守りが存在します。
 動植物の超常的な力をお守りにしたものとして、スカラベ(フンコロガシ)、うさぎの足、四葉のクローバーなどがあります。
 スパイスやハーブも、邪悪なものを払うと信じられています。ニンニク、トウガラシ、タイム、ヨモギなどです。
 その他にも、馬の蹄鉄、ひいらぎ鰯などがあります。
 宝石にも特別なパワーがあるとされています。アダーストーン(ケルトの祭司、ドルイドが魔除けや妖精の幻術破り等に用いた穴の開いた石・ガラス)。勾玉(曲玉)、天寿(メノウに特殊な加工を施したビーズ)。銀の弾丸は、悪魔や狼男と戦う武器であり、魔除けでもあります。
 神や宗教者の像や画像もお守りとして使われます。仏像、神像、ロザリオ、聖遺物などです。
 その他に、千人針、千羽鶴のように手間暇かけて、多くの手を経ることでお守りとすることもあります。
 
2.セーマン・ドーマン

 私が個人的に最強のシンボルと考えているのは、セーマン・ドーマンです。
 荒俣弘の「帝都物語」で、主人公加藤保憲が「ドーマンセーマン」を縫い込んだハンカチを使っていました。小説の中では、セーマンは安倍晴明、ドーマンは蘆屋道満の名に由来するとあります。
 ドーマンセーマンは、セーマンドーマンとも言われます。セーマンが五芒星、ドーマンが九字紋で、それが並んでいます。三重県志摩地方(現・鳥羽市と志摩市)の海女が魔除けとして、磯ノミ、磯シャツ(上着)、磯メガネなど、海女の用具全般に記されています。貝紫色で描くか、黒糸で刺繍するのが一般的です。
 五芒星の星形は、一筆書きで元の位置に戻り、始めも終わりもないことから、魔物の入り込む余地がなく、また海女達の口伝に寄れば元の場所に戻る、即ち、「無事に戻ってこられるように」、との祈りを込めたともいわれています。
 陰陽道において、五芒星は魔除けの呪符として伝えられています。陰陽道の基本概念となった陰陽五行説、木・火・土・金・水の五つの元素の働きの相克を表したものであり、五芒星はあらゆる魔除けの呪符として重宝されました。
 平安時代の陰陽師、安倍晴明は五行の象徴として、五芒星の紋を用いました。「安倍晴明判(あべのせいめいばん)」、キキョウの花を図案化した桔梗紋の変形として、「晴明桔梗(せいめいききょう)」とも言います。
 明治の初期から昭和の太平洋戦争直前まで、旧日本陸軍の将校、准士官が正装・礼装時に着用する正衣(大礼服)の正帽の天井には、金線(銀線)で五芒星が刺繍されていました。また陸軍軍属においても、親任官以下全ての陸軍軍属が着用する軍属従軍服(軍属服)では、五芒星を模した臂章が制式(昭和18年制)であったほか、平服着用時に佩用するバッジ型(七宝製)の徽章でも五芒星が使われていました。その起源や意味についてははっきりしませんが、桜花の萼(がく)の形を模しているとも、弾除け(多魔除け)の意味をかついで採用されたとも言われています。
 九字紋は横5本縦4本の線からなる格子形、(九字護身法によってできる図形)をしています。九字護身法(くじごしんぼう)とは、「臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前」の九字の呪文と九種類の印によって除災戦勝等を祈る作法です。これは道教の六甲秘呪という九字の作法が修験道等に混入し、その他の様々なものが混在した日本独自の作法と言われています。
 九字は、中世には護身、戦勝の利益があるとして、武人が出陣の際の祝言に用いるようにもなり、やがて忍者の保身の呪術としても使われました。
 戦場に臨む武士が行う修法「摩利支天の法」(まりしてんのほう)は、忍者が結ぶ印の基にもなりました。摩利支天は武士の守り本尊として鎌倉時代から武士に人気がありました。方法は、右手と左手の人差し指と中指をそれぞれ立て、右手を刀、左手を鞘に見立て、右手で空中を切る。空中を切った後、刀に見立てた右手指は、鞘に見立てた左手に納めます。
 
3.魔除けグッズ人気ランキング

 具体的な魔除けグッズには、どんなものがあるのでしょう。アマゾンの魔除け人気ランキングで検索すると、次のような商品が出てきました。
 アマゾンスポンサーの商品として3点紹介しましょう。
 (1)疫病退散護符(2980円)。疫病除けの白澤(はくたく)の絵姿入り。「白澤とは、古来より疫病退散に霊験あらたかな最強神」とのこと。
 (2)黒檀ウッドビーズ・六字真言・銅銭・赤いロープで作られたブレスレット(1000円)。「黒檀は厄除け、六字真言は精神生命力増強、銅銭は金運、赤いロープは幸運を導く」とのこと。。
 (3)霊能者直筆神気霊符(28000円)。「霊能者占い鑑定所代表者直筆で、自室や寝室などに張り付けて使用する」とのこと。
 一般の出展品として12点紹介したい。
 (1)白崎八幡宮の浄化神塩印籠型お守り(白)(1500円)。神社で祈願済。印籠の中にお清めの塩が入っている。
 (2)同じく白崎八幡宮の浄化神塩印籠型お守り(赤)(1500円)。
 (3)オブシディアンペンダントネックレス(1599円)。「オブシディアン(黒い天然石)は全体的に非常に強く、直接的なエネルギーを持ち、マイナスの感情や、衝動を抑え、精神的成長のサポートをすると言われる」とのこと。
 (4)マラカイト勾玉ネックレス(2999円)。「マラカイトは和名「孔雀石」といい、その美しいグリーンと、模様が羽を広げた孔雀の様に見える事から、その名前がつけられた。古くから多くの伝承が残る石で、ヨーロッパでは幼児を危険から守るお守りとして護符を作って籠に結びつけたりした記録が残っている」とのこと。
 (5)タイ王国伝統の布製護符(780円)。毘沙門天( ターオ・ウェースワン)の図像が描かれている。「魔除けのお守りとして、お店や部屋の壁や天井に貼ったり、折りたたんでお財布にしまったりすると良い」とのこと。
 (6)梵字六字真言刻印ネックレス(5990円)。ホワイトメタル製。
 麒麟像(銅製)2体セット(6950円)。「古代中国の伝説上の霊獣である麒麟(キリン)は、名君の誕生にあわせて現れるといわれる縁起の良い瑞獣。リビングや寝室・玄関などに置くと平和な生活をもたらしてくれる」とのこと。
 (7)オルゴナイトペンダント(1690円)。「オルゴナイトは(タイガーズアイ、レッドジャスパー、アメジスト、ラピスラズリ、ターコイズ、シトリン、アベンチュリン)天然石と金属、銅線などで作られたコイルをある一定の量入れて、樹脂で固めて創る。水晶は圧力によって微弱電位を発生する性質があり、この微弱電位がコイルと金属を伝って四方にマイナスイオンを放出させる仕組みになるだけでなく、宇宙と繋がるアンテナが常に立っている状態になるので、置いておくだけ、身につけているだけでその空間やその方に必要な調整をあらゆるレベルで起こしてくれて、7つのチャクラの活性化も促してくれる」とのこと。
 (8)オルゴナイト盛り塩(3980円)。特殊な製法で岩塩と水晶を閉じ込めた八角錐のパワーオブジェ。交換いらずの盛り塩。
 オニキス・ブレスレット(600円)。「オニキスは、持ち主の意志の力を強くさせ、正しい判断力を与え、他人の悪意を跳ね返して身を守る『自己防衛の石』と呼ばれる。強力な魔よけや邪気払いのパワーストーンとして、バリアを張り、害が及ばないよう持ち主を保護してくれるでしょう」とのこと。
 (9)ハートベル・キーホルダー(1950円)。ベルの中に複数の様々なハートのレリーフが浮かぶ「ハートベルのシンボルは、心やバレンタインデー、キスを表現する他、愛や恋などの恋愛感情や、対象に好感を持っている事を示すために用いられる」とのこと。
 (10)六字真言指輪(1180~1860円)。
「六字真言とは、六字大明王陀羅尼(ろくじだいみょうおうだらに)とも言う。この呪文を毎日唱えることにより、病魔や災難から逃れ、幸運が訪れると信じられている。この6つの言葉を唱えることにより、病気・苦痛・刑罰と恐怖が消え、寿命が延び、財産が増えると語り継がれている」とのこと。
 (11)生霊返し・梵字護符「迦楼羅」(1000円)。「迦楼羅(かるら)の絶大なご利益で、生霊や悪霊、貧乏神などの運気を下げる悪しきオーラや怨霊を祓い、飛ばした相手に飛ばし返す強力な護符。 呪いの苦しみから開放され、心と身体の健康を取り戻すパワーを秘めている。主なご利益は、生霊返し、怨霊祓い、悪霊退治、貧乏神退散」とのこと。
 (12)桃木の剣(899円)。「桃木剣は、悪霊を追い出すのに適している。使い方は、鎮宅、魔除けの場合、門(門の中心位置)に掛けるように。あるいは、門の後ろの壁に掛けるように」とのこと。

 かなり特殊な商品ですが、これはネット販売のアマゾン・ランキングゆえのことでしょう。多くは、アクセサリーとして身に付けられるもの、あるいは、インテリアグッズとして飾れるものです。
 その他には、神社やお寺では販売していない特殊な護符のみが販売されています。
 
4.ラッキーアイテムと魔除けアイテム

 福を招き、幸せを呼び込むラッキーアイテムは見るからに、清く正しく美しいイメージです。したがって、ラッキーアイテムの店があるとすれば、店内に入っただけで幸せな気分になるでしょう。
 しかし、悪を遠ざけ、魔から身を守る魔除けアイテムは、見るからに、おどろおどろしく、不気味で怖いイメージです。邪悪なものを退ける、つまり、邪悪なものさえ恐怖するアイテムです。魔除けアイテムは基本的に見るものを拒絶します。もし、魔除けアイテムの店があるとすれば、店内に入っただけで悪寒を感じるでしょう。
 平和な時代であれば、ラッキーアイテムだけで十分です。美しく、カワイイものに囲まれていれば、それだけで幸せになれます。そもそも、魔除けという概念そのものが、魔の存在を前提にした不吉なものです。
 不安な時代、争いや不幸があふれた時代には、魔除けが必要になります。魔物にとって、かわいく無抵抗なものは、単なる餌食です。
 そう考えると、強そうなモノは、魔除けにつながります。刃物や刀も魔を祓います。拳銃、武器、兵器も魔除けになるでしょう。アーミーファッションも魔除けファッションです。
 ハリボテのミサイルを並べて行進するイベントも、祖国を魔国から守る魔除けなのかもしれません。
 そういえば、パンクファッションもイギリスの経済が低迷し、不安に満ちていた時代に流行しました。安全ピンのピアスをして、拘束衣のデザインを取り入れ、鋲やリベット、金具で全身を覆う。パンクファッションは魔除けファッションだったのかもしれません。
 ゴシックも魔除けファッションです。教会、悪魔祓いに使う道具、十字架や杭、銀の銃弾、聖水の瓶等の聖なるモチーフも悪魔的なモチーフも全ては魔除けに通じています。
 アニメのストーリーも、聖なる者と邪悪な者との対決は永遠のテーマです。逆にいえば、アニメのキャラクターも魔除けアイテムになるのかもしれません。
 「魔除け」も、軽いモノから、ヘビーでマニアックなものまで幅広く存在します。そう考えると、魔除けマーチャンダイジングも十分に成立するでしょう。

*有料メルマガj-fashion journal(545)を紹介しています。本論文は、2022.5.2に配信されたものです。リアルタイムでの講読をご希望の方は、http://www.mag2.com/m/0001355612.htmlよりお申し込みください。  

July 29, 2023

グローバル経済から御用達経済へ j-fashion journal(544)

1.グローバリズムは儲からなかった

 バブル経済がピークだった1980年代末から90年代初頭、既に日本は閉塞感に覆われていました。人件費と不動産価格の上昇により、新たな国内工場を建設することが難しくなっていたのです。
 そんな状況の中で、中国はフロンティアに見えました。豊富な労働力と安い地代。「日本国内ではできなかった理想の工場が、中国ならできる、と思ったのです。
 90年代半ばになると、中国からの輸入品が加速度的に増え、国内製造業の淘汰が始まりました。単価の下落は、市場の収縮につながり、デフレスパイラルに陥ったのです。なぜ、こんなことになったのでしょうか。
 中国生産を開始した当初、日本企業は中国工場で「安くて品質が良い商品」を大量に生産すれば、売上が増大し、儲かると考えていました。しかし、生産した商品を全て日本市場に持ち帰るのでは、限られた市場の中でシェアを食い合うだけです。しかも、食い合う相手は国内生産の商品でした。その結果、国内製造業の淘汰が始まったのです。
 もし、中国生産の商品を第三国に輸出できれば、市場規模は広がり、売上も伸びたでしょう。あるいは、中国市場で販売できれば、その分だけ売上は伸びたはずです。
 アパレル業界で、販路拡大に成功したのは、ユニクロと無印良品くらいのものでした。多くのアパレル企業は、第三国の市場を開拓することができず、中国市場で勝ち抜くこともできなかったのです。
 国内では、デフレスパイラルが始まり、消費者の所得は上がらず、益々安い商品しか売れなくなりました。結局、儲かったのは、商社と中国企業だけでした。
 中国生産で、安く作れば利益が上がるというのは、国内生産と同じ価格で売れる前提です。全ての会社が中国生産を行い、低価格商品を市場に出せば、価格競争が起こるのは必然です。
 所得と生活水準が上がった日本国内の生産者が生き残るには、価格競争に陥らずに、付加価値の高い商品やサービスを提供する以外に道はありません。もし、価格競争の激しいコモディティ商品を扱うなら、新興国の企業にはできない独自のビジネスモデルの開発が不可欠です。
 
2.「見ず知らずの人との商売」と「顔見知りの商売」

 日本企業も、一度は海外市場開発の夢を見ました。しかし、資本力のない中小企業が海外市場開拓を行うのは困難です。成功例もありますが、ほんの一部の企業に過ぎません。大多数の中小企業は国内市場で生きており、海外で成功することはできないのです。
 そもそも海外ビジネスとは、見ず知らずの他人、しかも外国人を相手に商売することを意味します。日本の商売は、信用できる人との取引でした。飲食店でも「一見さんお断り」の店は多かったし、多くの商店街の商店主は顧客と顔見知りでした。
 問屋との商売でも「そうは問屋が卸さない」というように、誰かの紹介、つまり身元保証や、厳しい与信審査があって初めて取引可能になったのです。
 見ず知らずの人との商売が成長したのは、大量販売のチェーンストアからです。消費者の買物は、顔見知りと商店街から、見ず知らずの大手量販店に転換しました。
 知らない人との商売が更に発展し、海外にまで拡大したのがグローバルビジネスです。そして、大資本の企業が勝ち残り、中小零細企業が淘汰されました。

3.購買はサプライチェーンの選択

 昔の商店街では、生産者と消費者が、時と場合によって入れ代わっていました。酒屋さんのお客さんは電気屋さんであり、酒屋さんも電気屋さんも畳屋さんの顧客でした。商店街と周辺の住民は、ゆるやかな地域コミュニティで結ばれていたのです。互いに商店街で買物をすることで、地域コミュニティ全体が潤うのです。
 一方、大手量販店で働く人はサラリーマンです。その地域で生活しているとは限りません。また、大手量販店で販売している商品も、消費者にはどこの誰が作っているのか分かりません。安くて良い商品を世界中から調達し、販売しています。
 消費者として考えれば、どこで生産していようが、品質が高くて安い商品ならいいでしょう。しかし、生活者として考えると、地域コミュニティの関係性の中で購入する方が良いことになります。
 我々は、お金で商品を購入しています。商品の代金には小売店の利益、問屋の利益、工場の利益が含まれています。その利益の中には、小売店経営者の家族、小売店従業員の家族、問屋の家族、工場で働く人達の家族の生活費が含まれています。
 海外生産の商品には、海外の工場の利益、商社の利益、貿易の費用に加えて、国内の流通企業、物流センター、大手量販店の利益等が含まれています。こちらは、見ず知らずの人の生活を支えています。
 いずれにしても、買物をすること、消費をすることは誰かの生活を支えているということです。商品の選択は、サプライチェーン全体の選択を意味しています。サプライチェーンの選択は、支援する地域を選択しています。商品を購入するとき、目の前の商品を見るだけではなく、その背景のサプライチェーンのことを考えていただきたいと思います。
 
4.御用達経済の可能性

 大手量販店のバイヤーは、不特定多数の顧客のために商品を調達します。良質で安価な商品を豊富に品揃えすることがミッションです。良い商品を調達するために新規取引先を開拓し、一方で、実績のあるメーカーでも、取引を打ち切ることがあります。関係性より商品本位で判断するのが、プロのバイヤーなのです。
 
 「国内サプライチェーンを選びたい気持ちはあるけど、所得が低いので、安い海外製品しか買えない」という人も少なくないでしょう。
 そういう人も、その人にとって特別な商品だけは国内生産のものを購入して欲しいと思います。それが御用達です。皇室御用達とは、皇室が優先的に購入する特定の商店や企業を指す言葉です。皇室が指定したことに価値が生じ、ある種のブランド価値が生れます。皇室が購入している商品なら間違いないという信用と、皇室と同じ商品を使ってみたいという憧れが、皇室御用達という言葉に含まれています。
 昔は、百貨店にも御用達の価値がありました。高島屋謹製の緞帳とか、三越お誂えの着物は、百貨店の目利きが選んだ逸品です。
 しかし、百貨店は委託で預かった商品を販売するだけとなり、百貨店御用達の価値は失われました。そして、百貨店ののれんの価値も失われました。
 私たちは、国内経済を自立させ、日本企業のため、日本の国益のために商品を購入すべきではないでしょうか。商品を購入することは、消費者が商品を入手するということではなく、サプライチェーン全体を支持するということです。
 たとえば、神田明神は江戸総鎮守です。神田明神御用達の商品を、神田明神の氏子、産子が関係する企業から選び、それを氏子、産子の人々が優先的に購入する。こういう総鎮守ならではの、互助会的な御用達があってもいいでしょう。
 こうしたささやかな試みが、グローバリゼーションとは異なる、持続可能で地域コミュニティ優先の健全な経済活動を生み出すと思います。

*有料メルマガj-fashion journal(544)を紹介しています。本論文は、2022.4.25に配信されたものです。リアルタイムでの講読をご希望の方は、http://www.mag2.com/m/0001355612.htmlよりお申し込みください。  

July 11, 2023

地域ブランドと神様の商売を考える j-fashion journal(543)

1.ローカルビジネスの拠点

 神様のビジネス、神社のビジネスについて考えてみたいと思います。
 その前提は、グローバリズムの終焉です。。時代は対極から対極へと動きます。グローバルの対極はローカルです。ローカルのビジネス、ローカルなブランド、ローカルなサプライチェーン。ある意味で、地域の経済的自立であり、生活産業全体の地産地消化です。
 ローカルブランドの構築には、ローカルな歴史、文化、風土等に根ざした、コンセプトやストーリーが必要です。その中核の役割を、神社に担っていただくことはできないでしょうか。
 勝手ながら「神社の新しいビジネスモデル」について考えてみたいと思います。
 
2.J2B(神社toビジネス)の神社

 一般の神社は、個人を対象する、「J2C、(神社toコンシュマー)の神社」です。お参りするのも、御神籤やお守りを買うのも個人です。
 それに対して、「J2B(神社toビジネス)の神社」という考え方はどうでしょうか。
 仕事に関係する団体は、商工会議所、協同組合や工業組合、商業組合等があります。しかし、地元の組合も、業務が地元に根ざしているとは限りません。大企業の下請け、海外メーカーへの素材や部品の供給、様ざまな分野の委託加工、海外製品の販売等、地元以外の地域や企業と結びついている企業の方が多いでしょう。特に、グローバルビジネスが増えるにつれ、企業と地元とのつながりは希薄になっています。
 コロナ禍、戦争、経済制裁等により、グローバルビジネスは停止し、グローバルサプライチェーンは分断されました。
 トレンドは対極に振れます。グローバルの次は、その対極であるローカルが注目されるでしょう。地球は多様性に満ちています。地域単位で経済が自立すれば、余計な運送費や燃料費は掛かりません。GDPは減少するかもしれませんが、貧富の格差は縮小し、人々の幸福度は上がるはずです。
 ローカリズムが主流になる未来を想定すると、地域の中核にあった鎮守の神社が新たな機能を果たすのではないでしょうか。
 
3.神社を核としたクラウドファンディング

 クラウドファンディングは、プロジェクトを提示し、出資(予約購入)を募る仕組みです。ローカルなプロジェクトも数多く紹介されています。地場産業に根ざしたもの、伝統工芸的なもの、地域の歴史や文化をコンセプトにしたものなどです。
 クラウドファンディングで重視されるのは、つながり、関係性です。
 例えば、デザイナーと工場が新製品を作るとします。そこに、神社の要素が加われば、よりインパクトが上がるでしょう。神社は地域の歴史であり、地域コミュニティの核となる存在です。例えば、プロジェクトの成功祈願を神社で行うことで、地域性が明確になります。
 クラウドファンディング限定で、神社とのコラボ商品を販売することも可能です。神社名は、地域ブランドになり得ます。
 無病息災、家内安全、交通安全、疫病平癒等の祈願文と神社の名前、神紋等が商品に入っていれば、それが魅力にもなり得ます。
 ブランドヤイヤリティのように、売上の一部を寄進する、という条件をつけてもいいと思います。

4.新しい市(いち)の開発

 神社の境内では様々な市が行われます。例えば、ほうずき市、酉の市、羽子板市、だるま市、朝顔市等々です。
 市は地域イベントであり、神社の境内が使われました。神社は地元の人が集まる場として定着していたからです。これらの市で売られるものは、生活必需品ではありません。縁起物、飾り物が中心です。
 毎日使う日用品は商人から購入します。神社は氏子、産子(うぶこ)の商売の邪魔をすることはありません。それで、年に一回だけ縁起物を売る、市ができたと思います。
 これは百貨店の催事イベントに似ています。逆に言えば、百貨店の催事イベントで扱っている商品は、神社の市にもなり得るものです。
 例えば、伝統工芸品の販売。伝統工芸の販売は、全国の百貨店を巡回して行われます。 神社も単独で市を開催するのも良いが、全国の神社が連携し、巡回できる仕組みがあれば、神社の販売だけで生活できるようになるでしょう。そして、神社にとっても参拝客を増やせます。
 地元の行政機関や商工会議所と組んで、地場産業活性化の市を企画するのはどうでしょうか。境内にテントを張って販売し、テントと一緒に全国を巡回するという企画です。
 
5.神社をブランドと考える

 地域ブランドとして神社をブランド化することも考えられます。
 例えば、神社の書体やシンボルのデザインを新たに設定します。元からある神社の書体をなくすという意味ではありません。新たな用途に使うデザインを開発するということです。
 あるいは、神社オリジナルの文様をデザインします。これらをコンペ方式にして公募することも可能でしょう。
 優秀作品を展示するのも、イベントになります。
 これまでの地域ブランドでは、「ユルキャラ」が有名でした。例えば、「クマモン」です。但し、かわいらしいキャラクターは、子供向け商品になりがちですし、キャラクター性が強いほど相性の悪い商品も出てきます。
 現在、神社で購入できるは、お守り、御札、御神籤、破魔矢、干支の土鈴、根付、お土産の饅頭、お神酒等です。
 これらは何年も商品開発が行われず、マンネリ化してます。勿論、伝統を守ることは大切ですが、そこに新しいものが加わってもいいし、限定販売のものがあってもいいと思うのです。
 例えば、御札なら、企業向けにインテリアにマッチする大型で高級なイメージのものがあってもいいでしょう。
 お守りも同様です。だれもが購入できる安価なお守りも重要ですが、高級なものがあってもいいと思います。例えば、本金糸(化粧まわしに使われる金箔を和紙に漆で貼り付け、裁断し、糸にしたもの)を丹波ちりめんに刺繍したお守り袋を完全オーダーメイドで作るのはどうでしょうか。
 オーダーメイドならば、結婚指輪等も可能です。結婚式を行う神社なら、神社名と結婚の日を刻印したオリジナルリングを開発できます。
 干支にちなんだ手作り工芸品の作家を集めて、予約即売会を行うことができれば、新たな商品開発にもつながります。
 これまで、手つかずだっただけに、神社のイベント開発、ブランド開発、商品開発には可能性があふれています。

*有料メルマガj-fashion journal(543)を紹介しています。本論文は、2022.4.18に配信されたものです。リアルタイムでの講読をご希望の方は、http://www.mag2.com/m/0001355612.htmlよりお申し込みください。  

July 06, 2023

「親分の国」と「商人の国」 j-fashion journal(542)

1.力で支配する親分の国

 昔昔、世界の多くの国は親分の国でした。親分は特定の地域を自分の縄張りとして支配します。そのためには力が必要です。敵が攻めてきたら対抗して追い返す。縄張りの住民が親分に逆らったら、暴力、軍事力あるいは経済力を駆使して押さえつける。
 親分の国は力が全てなので、当然強い親分は尊敬されます。また、親分も自分を神格化、偶像化し、人々に尊敬するように働きかけます。
 勿論、親分も最終的には死期を迎えるので、支配は永遠ではありません。後継者問題が生じることもあるでしょうし、力のある挑戦者が現れることもあるでしょう。いずれにしても、親分は代替わりしていきます。
 親分の国は基本的に自給自足です。縄張りの中で取れる食料の量で縄張りの人口が決まります。豊かな土地なら住民は多くなるし、食料が不足している貧しい土地なら住民の人口は少ないままです。
 もし、人口が増えて食料がなくなれば、自然の人口調節に委ねるか、周辺の縄張りを侵略することになります。土地、家畜、食料を奪い、住民を殺すか、奴隷にします。
 親分は常に力で支配し、常に緊張し、戦っています。平和とは束の間の戦争と戦争の狭間に過ぎません。

2.お金で支配する商人の国

 親分の国も縄張りが広くなると、一人の親分のカリスマ性だけで統治するのが難しくなります。また、世の中の仕組みも次第に複雑になるので、それぞれの分野の専門家が必要になります。
 科学技術が発達し、食料が増産できるようになると人口が増えます。こうなると、組織化された官僚の集団が具体的な統治をするようになります。親分は力だけではなく、組織を統率する力が必要になります。企業で言えば、創業者から二代目、三代目の経営者になるイメージでしょうか。
 貿易が始まり、貨幣経済が支配的になると、自給自足経済圏から広域経済圏へと移行します。こうなると、次第に商人が力を持つようになります。
 商人はお金をコントロールすることで支配力を強めていきます。お金の力で親分に取り入り、影の支配者となります。あるいは、お金で国民を誘導し、実質的に商人が支配する国が誕生します。
 商人の支配は、親分のように個人が目立つ必要はありません。むしろ、目立たない方が安全です。商人は儲かる仕組みと組織を作って、それをコントロールします。
 例えば、お金の力で選挙をコントロールする。あるいは、お金の力でマスコミをコントロールする。
 お金の力で対立や分断を作り、互いの勢力を拮抗させることで、戦争や紛争で稼ぐ。
 人間の生活に欠かせない、エネルギーと貨幣をコントロールする仕組みを作って、それを支配する。
 
3.世界を不安定にする努力

 人をコントロールするには、不安な状態にしておくと効果的です。自然災害、疫病、戦争、経済危機等が起きると、人は国家や強い支配者を頼ろうとします。そして、政治家の支持率も上がります。
 いつでも不安な状態をつくり出すには、対立する勢力を育てることです。全く考え方が違う二つの勢力。交わることのない二つの原理に基づく国です。双方が別々の正義を持ち、それが対立する構図。一方から見れば、相手は悪役です。
 しかし、全く交わらない勢力で互いに独立すれば対立は起こらない。対立しているけど、相互依存している。そんな関係が理想的です。
 例えば、一方が貨幣をコントロールする国で、一方が食料や化石燃料の資源を持っている国。一方が組織で統治し、一方が親分が統治している。
 対立構造を維持することは以外に面倒です。油断していると共存共栄の平和な関係になってしまう。したがって、常に安定しないような工作が必要です。
 例えば、宗教上の対立。例えば、少数民族の弾圧。例えば、価値観の対立。例えば、反政府的なテロリズム。これらに対して、対立を煽るための資金提供や教育を行い、継続的にプロパガンダ活動を行う。
 こうした不断の努力により、世界は不安定な状態を維持しています。
 
4.商人の行き詰まりと世界の再起動

 親分の世界は消えようとしています。親分の国は、次々と商人の国になり、やくざ、ギャング、マフィア等の反社会的勢力は警察や軍隊によって淘汰されました。勿論、商人の国の中にも親分勢力は存在していますが、あくまで商人のルールで生き残っているのです。
 親分の行動原理がそのまま国家になったのが独裁国家です。数は少ないものの、世界には親分国家も存在しているのです。
 さて、問題は商人の国にもあります。あまりにも、貨幣や株式、相場で利益を追求したために、経済がバブル化してしまいました。さのままではどこかでバブルが崩壊し、世界は大恐慌に陥ります。それを乗り切るには、例えば、全ての借金をチャラにして、通貨を刷新して、古い通貨を使えなくしてしまう。そうすれば世界は再起動ができます。
 しかし、商人は責任を負いたくない。できれば、親分に責任を押しつけ、一度世界中を大混乱に陥れた後、親分に責任を取らせて、平和裡にに世界体制を刷新することを提案する。
 再起動した後は、再び発展途上国に投資し、成長の種と混乱の種を同時に植えつける。次の悪役も必要になるし、商人は常に世界が安定せずに変動を繰り返す構造を求めているのです。

5.成長を拒否する停滞と平和の国

 さて、平和を愛する我々日本人にとって、暴力的な親分を認めることはできません。しかし、一方の世界を不安定な方向に誘導する商人も許したくありません。
 日本人は縄文時代に1万年以上の平和な時代を経験しました。江戸時代も200年以上平和でした。
 明治になって、欧米の思想を導入した結果、戦争の時代に突入しました。戦争の時代とは、人口増加と経済成長の時代でもあります。
 平和な時代とは、人口横ばい、経済停滞の時代でもあります。世界で日本だけが経済成長せずに、貧しくなっています。逆に言えば、確実に平和を志向しているのです。
 親分にも与せず、商人にも買収されない。そして、武士のようにストイックに防衛力を磨く。
 富を独占せずに、世界に貢献する。その代わり、工作者、侵略者は徹底的に排除する。少なくとも、日本国内は平和を維持する。それが可能ならば、貧しく贅沢ができない国でも良いのではないか、と考える次第です。

*有料メルマガj-fashion journal(542)を紹介しています。本論文は、2022.4.11に配信されたものです。リアルタイムでの講読をご希望の方は、http://www.mag2.com/m/0001355612.htmlよりお申し込みください。  

健全な金権政治、健全な族議員を復活しよう j-fashion journal(541)

1.なぜ、親中議員が生れたのか?

 最近、親中政党、親中議員が増えたと言われます。昔は親中議員なんていなかったのに、なぜ、これほど多くの議員が親中になってしまったのでしょうか。
 それは親中になった方がお金が儲かるからです。例えば、日本の中小企業の成長を推進したとしても、政治家にはお金が入りません。それは、政治家や政党への企業献金が禁止されているからです。それと、企業が政治献金しても免税になりません。3割程度の寄付金控除が認められるだけです。
 欧米では、政党や政治家だけでなく、NPO、NGOへの寄付も免税になります。つまり、政府に税金で納めるか、それとも特定団体に寄付して使ってもらうかという選択肢があるのです。
 しかし、日本では選択肢はありません。全て、一度政府に納税して、政府がその中から補助金、助成金等を配布するのです。お金の流れを見ると、日本は全体主義国家です。
 したがって、中小企業の団体が、中小企業のための政策を推進してくれる政党に寄付することができません。
 一方、外国政府、諜報機関等には工作活動費があります。例えば、中国政府は中国企業や中国人に有利な法律を作ってもらうための予算を用意して、工作活動をしています。
 政治家のパーティー券を大量に購入したり、政治家を中国に招待して接待したり、名誉を与えたり、必ず儲かる商売を紹介します。つまり、中国のために働くと議員に個人的な利益を与える仕組みをつくり出すのです。
 日本企業のために働いても個人的に儲からない。でも、中国企業のために働くと個人的に儲かる。そうなると、日本の議員でありながら、中国の利益のために働くようになります。
 
2.アメリカは健全な金権政治?

 マスコミは常に「政治と金」問題に敏感に反応します。しかし、それは日本国内の利権に限定されています。海外政府の利権に関しては、「政治と金」と言わないのです。
 政治と金の問題が最も多く出てくるのは選挙の時です。もし、金の掛からない選挙の仕組みを作れば、政治と金の問題の相当部分が解決します。最近、流行っているデジタル技術を使って、選挙DXを行えばいいのです。
 まず、ポスターをデジタル化する。デジタルサイネージげもいいですよね。そうすれば、ボスターを人海戦術で張り出す必要がなくなります。それで、各政党、立候補者には共通のフォーマットの元に、政策を掲げてもらう。また、オンライン会議の仕組みを作って立会演説、討論会の画像を公開する。
 こうすれば、選挙の経費はかなり合理化できます。しかし、これは既存の議員にとっては困った事態です。ポスターを貼るには組織力が必要であり、ポスターをなくすと組織力を持たない立候補者と同じになってしまう。これは嫌なんですね。
 しかし、選挙費用を考えても、DXを実行すれば、税金の節約になるでしょう。既存議員の便宜を図るのか、それとも税金の無駄遣いを減らすのか。新しい技術に背を向けて既得権にしがみついている人を選ぶのか、それとも新しい仕組みを理解して、新しい政治を目指す人を選ぶのか、という選択肢です。
 米国の大統領選挙は、完全に金権政治です。お金を使って、広告を出し、大規模なイベントを開催します。お金が続かなくなって立候補を断念する人も少なくありません。
 それでも、アメリカのマスコミは「政治と金」を問題にしません。資本主義の世界では能力のある人が経済的な成功を収めるものだ、と考えれば、お金のある人がお金を使って運動するのは正しい行為なのです。
 但し、様々な規則と制約があります。例えば、敵対する海外勢力とつながっている人は立候補できないというルールもあります。つまり、国益を損なうような立候補者は法律によって排除するという考え方です。
 日本は「政治と金」というイメージばかりが論じられますが、国益を損ねることや、敵対する海外勢力との交流等については管理が甘いように感じます。それだけでなく、国防とかスパイ防止等についても多くの政治家は関心を持っていません。そんなことをしたら、自分の利益が損なわれると思っているのかもしれません。
 
3.族議員はスペシャリスト

 昔は、族議員と呼ばれる議員が多く存在しました。族議員とは、特定の政策分野に精通して関連する省庁の政策決定に強い影響力を及ぼし、関連業界の利益を擁護してそれらの代弁者の役割も果たす国会議員およびその集団の俗称だそうです。つまり、特定の業界を代表するロビイストが議員になったという存在です。
 日本でもロビイング活動が行われますが、多くは陳情と呼ばれます。陳情はその業界団体等の代表者が行うもので、陳情のプロは存在しません。するのかもしれませんが、一般的でないのは確かです。
 族議員も「政治と金」を代表する存在とされました。特定の業界と癒着して、便宜を図る存在だからです。しかし、日本の国益につながる産業が存在することは当然ですし、特定の産業の振興を優先する政治家がいるのも当然です。
 地方選出の議員は地元への利益誘導を要求されます。そして、特定の産業の利益を代表する議員もいるのです。族議員のメリットもあります。それは、特定の産業や業界に詳しいスペシャリストであるということです。
 族議員も金権政治と同様、その存在が悪なのではなく、活動のルールが必要だということです。
 更に言うなら、新しい産業が生れるなら、新しい族議員の育成が必要であるということです。族議員のデメリットは、国益に貢献しない業界、既得権のある業界だけが優遇され、新しい産業、ベンチャー企業の成長を阻害する可能性があることです。
 これを改善するには、国益にかなう産業、企業等を支援する政治家が評価されるような仕組みが必要です。あるいは、政治家自身が明確な産業ビジョンを表明して、それを有権者に問うことを義務づけることです。そして、特定の産業、企業からの献金を可能にしてそれを公開することです。
 政治献金が悪いのではなく、政治献金の仕組みがオープンでないことが問題なのです。政治資金の使い途を全て公開し、政治献金についても誰がどれだけの金額を寄付したのか、その献金については、どんなことを期待するのかを公開しても良いかもしれません。少なくとも個人的な利益、私利私欲を追求するような議員を見つけ出し、落選させる仕組みは必要でしょう。
 スペシャリストの族議員が消え、同族議員が増えました。あるいは、国内産業を支援する族議員が消え、海外企業を支援する外国族議員が増えてしまいました。
 政治を良くするには、金を否定するのではなく、健全な活動ができるようなルールを明確に設定しなければなりません。
 
4.国益優先の政治を!

 今となっては、「政治と金」の問題もカワイイものでした。所詮国内の問題であり、国内の金や力を競い合っていただけです。その頃は、海外に日本の利権を売り飛ばしたり、個人の利益のために日本の国力を削ぐようなことはなかったからです。
 その国内の金の流れを止め、政治と金の問題を煽り、政治資金を税金で賄うことで、政治家は特定の利益代表から外れていきました。そして、海外の工作資金が流れ込み、国益を損なう政治が蔓延してしまったのです。
 国益とは、江戸時代に生れた言葉で、領内の自給自足経済を基本にした考えだったようです。つまり、国益という言葉には、アンチグローバリズムの意味があります。
 日本経済が低迷を続けているのは、海外投資をあおるグローバリズムが普及し、国内投資が減少し、海外生産によるデフレスパイラルと製造業の空洞化が進み、更には金融健全化の名目で市場に流通する貨幣量を制限したためです。日本は世界で唯一経済低迷を続ける国になってしまいました。
 コロナでグローバリズムが行き詰まり、中国生産の見直しが始まりました。更に、ロシアの武力侵攻で世界のエネルギー需給バランスが崩れています。そして、ロシアへの経済制裁がブーメランのようにドル危機に跳ね返ってきました。
 世界は全てが変わろうとしています。そして、世界各国は次の時代に有利な位置に付こうと考えています。軍事力の強い国は軍事力で、製造業の強い国は製造業で、金融の強い国は金融で自国に有利な世界体制を構築しようとしています。
 その中で、日本はどうすればいいのでしょう。私は、コロナ禍で日本の強みが見えたような気がします。
 それは、日本は何でも作れるということです。自動車も飛行機もロケットも工作機械もワクチンもマスクも作れます。伝統工芸からハイテク製品まで全て作れるのです。問題は価格競争力ですが、逆に言えば価格だけが課題です。もしかすると、それは為替が解決してくれるかもしれません。
 もしかすると、天然資源も本気が開発すれば海外に依存しなくても良いのかもしれません。それだけのポテンシャルがあります。
 そんな日本を欧米は常に抑圧し、日本が本来の力を発揮しないように制約をかけていました。それでも、世界が混乱すればするほど日本の強みが出てくると思います。
 問題は、日本人がその能力を国益のために使うことです。日本が自給自足できるような方向で産業を成長させることです。
 そして十分に力をつけた上で、世界のパワーバランスをコントロールしましょう。

*有料メルマガj-fashion journal(541)を紹介しています。本論文は、2022.4.4に配信されたものです。リアルタイムでの講読をご希望の方は、http://www.mag2.com/m/0001355612.htmlよりお申し込みください。  

ファッションに「流行」は必要か j-fashion journal(540)

1.ファッションは金持ちが楽しむもの?

 ファッションを楽しむという行為、あるいは衣装を競い合うという楽しみは、もっぱら上流階級のものでした。
 ファッションは常に変化します。シーズン毎に新しいコレクションが発表され、それをお金持ちが注文します。
 高級注文服と訳されるオートクチュールがあるのは、オペラ座がある都市だそうです。オペラ劇場、オペラ歌手、オーケストラを支える富裕層が、一定以上存在するいうことです。
 かつて、多くのファッションデザイナーは、上流階級の一員でした。外交官の娘が、世界中を旅行して、世界中の文化や芸術に触れてコレクションを発表し、デザイナーとしてデビューする。こんなプロフィールを持つデザイナーが多かったのです。
 外交官は上流階級に所属しており、その親戚、友人、知人等も上流階級。上流階級が上流階級相手の商売をする。それがファッションビジネスの原点です。

2.大量生産による大衆ファッション

 西欧におけるファンションの大衆化は米国から始まりました。
 米国のアパレル産業は、パリでコレクションを買いつけ、それを大量生産し、安価な製品として販売することで成長しました。パリにとって、アメリカのバイヤーは最大の顧客であると同時に、パリのファッション産業と競合するアメリカアパレル業界の代表でもあったのです。
 米国の既製服業界のノウハウは、1970年頃に日本に伝えられました。それ以前、日本の繊維産業は対米輸出が盛んでした。しかし、日本からの輸入増加に危機感を抱いた米国政府は、日本に対して対米輸出の制限を要求し、数年の交渉を経て、日本が自主規制するという形で決着しました。
 日本の繊維産業は、輸出から内需への転換が迫られ、米国既製服産業のノウハウを導入したのです。
 ここから、日本のアパレル企業の成長が始まります。欧米のライセンスブランドを中心に、多ブランド戦略を展開し、百貨店の売場シェアを確保しました。
 欧米のコレクション情報、トレンド情報を元に、年2回のコレクションを、月毎の商品計画に組み直し、デザインバリエーションを増やし、週単位のきめ細かな商品展開計画に落しこみました。
 そして、消費者は、新しいシーズンの到来と共に、新しいデザインの商品を購入するという購買習慣を身につけたのです。
 この手法は、ファストファッションに引き継がれ、世界に拡大しました。その結果、世界的にアパレル製品の価格が下落し、人件費の低い新興国へと生産拠点が移動しました。
 これにより、国内生産のアパレル企業は淘汰され、グローバル企業による寡占化が進みました。画一的なトレンド情報に基づく同質化した商品が市場にあふれ、ファッションの魅力は希薄になりました。そして、生産数量の増加と大量廃棄が社会問題化したのです。
 
3.同じものを使い続けるスタイル

 現在のアパレル市場では、全てファッション化しているように見えます。しかし、ファッション化以前にも、アパレル製品は存在していました。
 1960年代までは、オーダーメイドが主流でした。男性はテーラーで背広を仕立て、女性は百貨店、洋装店でよそいきの服をオーダーしました。普段着は、自分で洋裁する人もいました。
 オーダーメイドでは、制作者と着用者が話し合って生地やデザインを決めます。流行よりも、顧客の嗜好が優先されました。自分の好きな色、自分の好きな素材、自分の好きなデザインの服を作ったのです。
 現在は、何も考えなくても、店頭に服が大量に並んでいます。簡単に流行の服が手に入るし、周囲から浮かび上がることもありません。
 オーダーメイドでは、最新の流行よりも、オーソドックスなデザインが選ばれました。
 男性は、常に同じメーカーの生地を選び、年に数着のスーツをオーダーしていました。
 これは家具や照明器具、食器等と同じ考え方です。壊れたら同じデザインのものを買い換える。老舗のメーカーは、変わることなく同じデザインの商品を作り続けることが求められたのです。
 消費者が同じデザインのモノを使い続ければ、メーカーも継続可能なビジネスが可能になります。オーダーメイドであれば、余剰な商品を作ることもないし、商品を廃棄する必要もありません。それが、サスティナブルな社会です。
 
4.グローバリストの発想

 貧困、貧富の格差、人権弾圧、環境破壊等々は、大量生産と市場競争から始まりました。資本力のあるメーカーは、大量生産のための大規模工場を建設し、規模の小さいメーカーは価格競争に破れ、淘汰されました。
 大量生産した商品は、大量販売しなければなりません。規格化された店舗を、多店舗化するチェーンストアの展開にも資本力が必要です。一方で、中小零細の商店と、そこに商品を卸していた卸商は淘汰されました。
 価格競争の結果、常に人件費の低い国に工場を移転することになります。工場が建設されれば、その国の所得が上がり、新たな市場が形成されます。
 その裏で、自給自足で自立していた地域も、現金収入がなければ暮らせない社会に変わっていきます。こうして貧富の格差が拡大していくのです。
 グローバルファッションが目指すのは、世界のアパレル市場を均一の市場に変え、共通のトレンド情報でコントロールし、少数の企業が世界市場を制覇することです。
 「世界が一つになる」ことは、美しい言葉のように聞こえます。しかし、それが格差を招き、環境や人権を侵害していくのです。
  
5.流行なんていらない

 コロナ禍で世界のサプライチェーン、市場、物流が止まりました。
 その中で、多くの人は、惰性のように購入していたファッション商品は本当に必要なのか、と疑問に思いました。1年間、新しい服を買わなくても困らなかったのなら、数年間は新しい服を買わなくても困らないのではないか、と。
 外出せずに、家にいると、不要なモノが見えてきます。断捨離して、シンプルな生活を取り戻したいと思った人も少なくないでしょう。
 最早、ファッションに対する憧れは消え、ファッションなんて必要ない、と考える人が増えています。
 ファッションとは変化ですが、時代が変化しないことを求めるのなら、変化しない商品を提案すべきです。あるいは、変わらないことを訴求するブランドの訴求です。
 例えば、白シャツだけのブランド。下取りを保証し、リメイクして再販するブランド。
 それらをオーダーメイドで販売する。価格は高くなりますが、少量の資源で大きな経済活動をするなら、価格は高い方が地球にも人にも優しいのです。
 既存の制度が壊れてこそ、新しい動きが出てきます。流行がなかった時代に戻ってもいいし、不変であることを訴求してもいいと思います。
 「流行を追いかけない」「流行なんて必要ない」というブランドが流行したとしても、それは良しとしましょう。

*有料メルマガj-fashion journal(540)を紹介しています。本論文は、2022.3.28に配信されたものです。リアルタイムでの講読をご希望の方は、http://www.mag2.com/m/0001355612.htmlよりお申し込みください。  

July 05, 2023

地域ファクトリーブランドの提案 j-fashion journal(538)

1.変化するアパレル流通と縫製メーカー

 アパレル流通が激変しています。百貨店、量販店、専門店等の問屋依存のチェーンストア業態は衰退しました。グローバルサプライチェーンに依存したSPA業態も、コロナ禍、中国の人権弾圧、ロシアの武力侵攻等によって、様々な制裁、行動制限等の影響を受けています。
 流通はネットが主流となり、「ネットで販売するための店舗」「ネットで販売するためのコミュニティ」「ネットで販売するためのSNS」等が求められています。しかし、現段階では、ネットと店舗が十分にリンクしていません。全てをネット中心に置き換える発想の転換が必要なのです。
 アパレル製品を生産する縫製メーカーも、時代の岐路を迎えています。問屋からの受注だけに依存していたのでは生産が安定しません。OEM生産だけでは海外メーカーとの価格競争に勝てません。設計・開発・提案等の機能を持つODM生産を行ってこそ、日本国内に立地するメリットが発揮できます。しかし、多くの縫製メーカーは企画提案ができないのが現状です。。
 OEMからODMの転換が成功すれば、次の段階として、自社のファクトリーブランド事業が見えてきます。
 ここまででも、十分にハードルは高いといえます。デザイン、パターンメーキングだけでなく、素材や付属の調達も必要です。それでアパレル製品を生産できたとしても、その製品を販売しなければなりません。
 これら全ての機能を備えて、初めてファクトリーブランドが動き出します。

2.アパレル市場は供給過剰

 さて、ここで消費者がどんなブランドを求めているかを考えてみましょう。
 世の中にはあらゆる種類のブランドが存在しています。各企業は、真剣にブランディングを考えています。自社の資産、時代のトレンド、競合他社の状況、消費者真理の変化等を把握した上で、ブランドコンセプトを組み立て、顧客ターゲットを設定します。
 売れる商品を作るためにデザイナーを雇用し、機能的で着心地の良い服を作るためにパターンナーを雇用します。
 そして、営業担当が売場を確保し、販売員が接客して、顧客に商品の魅力を伝えます。
 以上の業務は、アパレル企業として、特別なことではありません。多くのアパレル企業が当然のように実践していることです。それでも簡単には、商品は売れません。アパレル不況と言われていても、相変わらず供給過剰が続いているのです。
 市場にはブランドも商品もあふれています。既存のブランドや商品と類似した商品を新規に作っても意味がありません。市場が飽和している中でブランドを開発するなら、徹底した差別化が必須です。
 消費者にとって、小売店のブランド、問屋のブランド、縫製メーカーのブランドを見分けることはできません。消費者にとって、誰から商品を購入しても同じことです。
 そういう意味では、インフルエンサーが作るブランドも、デザイナーが作るブランドも大きな違いはありません。国内縫製にこだわるか否かは、ブランドの規模と小売価格の設定に関わります。もし、インフルエンサーがプロデュースする、ブランドの規模が大きくなれば、会社の経費も増大し、利益を確保するために海外生産に転換するかもしれないのです。

3.地域経済圏と地域ブランド

 現在、国内で流通しているアパレル製品の多くは海外生産です。生産者の顔が見えません。海外工場が環境問題、人権問題等について、どのような意識を持っているかを確認することもできません。
 国内生産であれば、「顔が見える商品」にすることは可能です。その場合も、国内生産に価値があるのではありません。企業の姿勢、経営者の哲学、地域における雇用の実態等に価値があるのです。その価値を消費者に伝えない限り、ファクトリーブランドの価値を訴求するのは難しいのです。
 グローバリズムは、持続可能ではなくなりました。いつどんな原因で、海外との人的交流や物流が止まるか分かりません。
 今後は、小さな自立した経済圏を構築することが持続可能の条件になるでしょう。言い換えれば、グローバリズムからローカリズムの転換であり、地産地消による地域経済の自立です。
 ファクトリーブランドが、地域ブランドとして機能し、地域活性化に貢献できれば、地元消費者がその商品を購入する意義が生じます。地域社会が地域ブランドを応援し、地域ブランドが地域に貢献する、という相互扶助的な関係が理想です。

4.地域ファクトリーブランド

 例えば、自治体は地域経済活性化のために、地域ブランドの商品を優先して使用するべきだと思います。公共ユニフォーム、地域スポーツチーム、地域コミュニティ等が地域ブランドを支持し、地域生産のアパレル製品を着用すれば、アパレル製品の地産地消が実現します。勿論、これはアパレル製品に限ったことではありません。食料品、工業製品等も地域ブランドで括ることができれば、地産地消の段階から、地域経済の自立につながります。
 また、ネット以外の販売チャネルとして、地域内の小売店に限定すれば、地域商業に貢献することができます。地域のアイデンティティをもとにしたブランドが注目されれば、地域イメージの向上にも役立つでしょう。
 私は、ファクトリーブランド構想の段階から、地域のブランディングと、地域活性化に貢献することを目的とする「地域ファクトリーブランド」を提唱したいと思います。
 地域内の異業種の工場、企業、教育機関、行政等と連携することで、ファクトリーブランドの社会的意義が訴求できるようになるからです。縫製メーカーが単独でブランド開発するだけでは、ビジネスの成功は難しいでしょう。商品を作るまえに、やるべきことがあるということです。

*有料メルマガj-fashion journal(538)を紹介しています。本論文は、2022.3.14に配信されたものです。リアルタイムでの講読をご希望の方は、http://www.mag2.com/m/0001355612.htmlよりお申し込みください。  

July 04, 2023

フェイクニュースと情報戦の行方 j-fashion journal(537)

1.単純に考えたい人々

 世界は益々複雑になりつつあります。複雑な状況になればなるほど、人々は不安に陥ります。特に、日本は同調圧力が強いので、集団ヒステリーのような状態に陥りやすいのではないでしょうか。
 不安を解消するには、複雑な事象を単純化することです。もし、正義と悪に分類できれば、正義を支持すればいいのです。しかし、現実は白か黒かに分けられません。見分けがつかないグレーで覆われています。
 それでも人々は、白黒をはっきりしたいと考えます。そして、マスコミはそのニーズに応えてくれます。
 複雑な真実を単純な二元論に置き換えた段階で、厳密には、フェイクな情報です。しかし、結論だけを欲しがる人々に対して、マスコミは単純な二元論と、感情的に不安を煽る報道を行います。
 前回の米国大統領選挙で、主流マスコミはバイデンは正常な人で、トランプは異常な人と断じました。ウクライナ武力侵攻ではプーチンが狂人であり、ゼレンスキーは正義の人と断じました。
 こうした二元論は、コロナ禍でも行われました。感染予防には、自粛、マスク着用、ワクチン接種、飲食店で酒の提供制限が正しいとされ、反対意見は科学的な証拠があっても、全て無視されました。
 一方で、経済を止めたことによる弊害についてはあまり報道しません。報道すると、正義が揺らぐからです。
 人々は、複雑な事象を正義と悪の二つに分類して、正義の行動だけを選ぶのだから、自分は悪くないと信じています。その単純な思考を利用して、様々な情報操作が行われるのです。
 
2.公平公正ではない報道

 新聞、テレビなどマスコミ報道が単純化され、結論を優先すると、次第に私たちも、結論の是非だけを問うようになります。それが、何らかの利害に基づく情報操作なのか、とは疑いません。
 しかし、マスコミも民間企業であり、株主やスポンサー企業の不利益になるような情報は流しません。政府の政策を批判するような情報もできるだけ回避します。
 前回の米国大統領選挙において、日本のマスコミは、民主党寄りの米国主流マスコミの情報をそのまま紹介し、米国マスコミと連携して、トランプ大統領の人格攻撃を行いました。
 中国に関する情報も、中国政府が発表するプロパガンダ情報をそのまま報道するのが常です。自社の中国支局があり、そこには特派員が駐在していますが、独自の取材や論評を見ることはほとんどありません。
 今回のウクライナ侵攻についても、ゼレンスキー大統領を賛美しているので、マイナスとなる情報は紹介されません。
 例えば、侵攻前のゼレンスキー大統領の政策は評判が悪く、支持率が20%代だったこと。今回の侵攻の原因となった「ミンスク合意」を反故にしたのはウクライナであること。ネオナチによるロシア系住民惨殺事件はヨーロッパでは周知の事実であること、などです。
 勿論、武力侵攻は非難されるべきです。しかし、その原因は一方的なものではありません。ましてや、プーチンの狂気による突発的事件ではありません。
 
3.真実は最後に明らかになる

 人は、常に真実を語るわけではありません。政治家も、経営者も、専門家も、自分の利益になることだけを語り、不利になることは語りません。
 例えば、総理大臣になった途端、主張が変わる人がいます。私たちには公表されない、様々な圧力が存在しているのでしょう。
 私たちは、真実を見極めるための情報を入手することはできません。重要な情報は全て機密情報であり、マスコミには漏らさないものです。また、マスコミの判断で、報道しないこともあります。
 私たちが入手できる情報は、結果としての情報に過ぎません。テレビに登場する専門家の予測は、まるで当たりません。むしろ、我々の良識を惑わせるような情報だけを発信するのです。おそらく、彼らにはそういう役割が与えられているのでしょう。
 私たちは、事実を自分で解釈し、自分なりのストーリーを組み立てるしかありません。。
 例えば、ウクライナ侵攻でも、プーチンの頭がおかしいと断定するのではなく、プーチンは理性的、戦略的に動いていると仮定することも必要です。一方的な見方ではなく、逆の視点も持つということです。
 全てのマスコミの情報を疑ってみることも必要です。例えば、原発やダムを攻撃したのは、ロシア軍とされていますが、まだ決定したわけではありません。ロシア犯人説がより多く報道されているだけです。
 戦争は情報戦であり、双方がフェイク情報をばらまくものです。したがって、一方が完全な正義で、一方が完全な悪ということはありません。正義と正義が戦っているのであり、第三者の戦略の上で踊らされているのかもしれません。

4.台湾有事の情報戦

 現段階で、日本人はウクライナ侵攻の直接的な影響を受けてはいません。しかし、私たちが直接影響を受けることは予測しておいた方が良いと思います。
 例えば、台湾侵攻、尖閣諸島侵攻、離島の武力制圧、北海道や沖縄への侵攻、原発をターゲットとしてテロ活動等は考えておくべきです。
 ロシアがウクライナを侵攻た当初、米国、NATOは動きませんでした。中国の台湾侵攻でも、同じことが起こるでしょう。侵攻が行われても、米軍が直ちに直接介入するかは分かりません。議会が承認しなけれは軍は動けないのです。
 台湾においても、ロシア軍の攻撃のように、ミサイル攻撃から始まるでしょう。台湾の軍事施設だけでなく、沖縄の米軍基地にもミサイルが飛んでくるかもしれません。
 中国政府は、「沖縄へのミサイル着弾は偶発的な事故である。中国は日本と戦争する意志はない」、と発言するでしょう。あるいは、「米国のサイバー攻撃により、ミサイル制御システムが乗っ取られた」と主張するかもしれません。
 ミサイル攻撃と並行して、無人機攻撃、サイバー攻撃も行われるでしょう。
 中国政府は、それらの攻撃を北朝鮮によるものと主張するかもしれません。
 現代の戦争に、正々堂々の宣戦布告はありません。台湾有事でも、台湾国内にいる国民党が人民解放軍に救援要請したとか、沖縄で生活する中国人からの救援要請があったと主張するでしょう。
 ミサイル攻撃以前に、小さなテロ活動を仕掛け、様々なフェイク情報を流し、日米の分断を図るかもしれません。
 こうした工作活動、テロ活動、攻撃があった場合、どの程度の時間で中国軍の攻撃だと分析できるのでしょうか。そして、日本政府はどのように対処するのでしょうか。
 「台湾の半導体産業を中国側に渡すわけにはいかない」と米国が考えれば、米国が半導体工場を爆破する可能性もあります。現段階で、米国が台湾を守らなければならない義務はありません。これは、日本も同様です。
 こうした仮説と対応策は、事前に組み立てておくべきです。実際に戦争が始まれば、情報戦が始まり、国全体がバニックに陥り、思考停止状態になる可能性も大きいでしょう。
 日本政府が、十分な予測とシュミレーションを繰り返し、有効な対策が検討されていることを祈るしかありません。

*有料メルマガj-fashion journal(537)を紹介しています。本論文は、2022.3.7に配信されたものです。リアルタイムでの講読をご希望の方は、http://www.mag2.com/m/0001355612.htmlよりお申し込みください。  

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