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August 16, 2016

オタクをファッションにできるか? j-fashion journal(216)

1.「オタク」はほめ言葉になった

 日本で「オタク」と聞くと、どこか一般人とは異なる変わり者というイメージがある。ヨーロッパで会った日本マニアの外国人は「私はオタクです」と胸を張った。彼らが語る「オタク」には、「一つのことに集中して興味を持つ純粋な人」という意味があり、尊敬に値するというニュアンスが含まれている。
 最近は、オタク的な趣味や嗜好が市民権を得ている。その理由は、就職しても、会社の付き合い等に時間を取られることが少なくなったこと、独身者が多いために、異性や配偶者に時間を取られることが少なくなったことが考えられるのではないか。
 自分の時間が増え、少年少女の頃から続いている興味や趣味を継続することが一般的になり、互いにそれを認める環境が整ってきたのである。
 かつては、子供の頃に好きだったアニメやマンガ、ゲームを大人になっても熱中することは恥ずかしいこととされた。子供のままでいることは恥ずかしい。大人は「大人として社会的に認知される行動をするべき」という価値観が支配的だったからだ。

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アパレルがファッションでなくなった年 j-fashion journal(215)

1.ファッションとは何か?

 私なりに「ファッション」を再定義してみた。これまでの、ファッションは流行、ファッションはラライフスタイルという定義には違和感を覚えていたからだ。

 私の「ファッション」の定義は以下のようなものだ。
 「ファッション」とは、「革新(イノベーション)とデザインにより、人々のライフスタイルに動き(ムーブメント)をもたらすモノやコト」の総称である。
 
 大昔、ショルダーフォンが出た時、真っ先に使った人や用例を紹介したメディアは、人々のライフスタイルに変化を与えた。当時のショルダーフォンはファッションだった。しかし、それが定着した段階でファッションではなく、単なる機能商品になった。
 携帯電話が小型化し、デザインバリエーションが増え、シーズン毎に新作が出るようになって、ケータイはファッションになった。現在はスマホがファッションであり、ガラケーはファッションの要素が減少している。

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August 14, 2016

シニアが持つビジネスチャンスを若者世代に j-fashion journal(210)

1.管理職が厚く、現場が薄い構造

 今から28年前、私は大手百貨店と契約していた。その時点で既に百貨店の組織は高齢化が進み、組織のバランスが崩れていた。部長や課長が多く、その下について実務を担当する主任クラスが不足していた。その結果、主任が複数の課長の下について仕事をしていた。通常は、多くの現場の人間を、少数の管理職が統括するはずだが、それが逆転していたのだ。
 現在はその状況が社会全体に拡大しているようだ。管理職ばかりが肥大し、現場で働ける人間が圧倒的に不足している。今回の杭打ち偽装問題も、根本的な原因はそこにあるのではないか。
 日本の企業組織は基本的に年功序列であり、高齢者ほど重要な役職についている。そして、重要な役職の人だけに重要な情報は伝わるのだ。
 そうした情報を持ったまま企業を退職したり、在職時の人間関係をそのまま維持している人も少なくない。しかし、彼らは部下や下請けを使うことができない。ビジネスをしたければ、自分で動くしかないのだ。しかし、起業はリスキーである。結果的に、自分の持っている情報やネットワークの話を周囲に振りまきながら、チャンスを探るしかない。結局、自慢話だけで終わり、ビジネスに結びつかないことが多いのである。

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定年起業(Retirentrepreneur)の勧め j-fashion journal(208)

1.起業は定年組の方が有望ではないか?

 「起業」というと、「若者が主役」と思われがちだが、本当だろうか。
 最近、起業家を目指す若者と会う機会も少なくないが、ほとんどは、情熱はあるが、それを実現させる知識やノウハウを持っていない。また、人的ネットワークもないし、資金調達の方法も分かっていない。そもそも「経営」を肌で感じていない人が多いのだ。
 多くの若者はアルバイトしか経験していない。仕事の報酬は時給であり、時給は相手が決めたものだ。
 先日、ファンドをしている友人から聞いたのだが、ある若い起業家が「私は年俸1000万にしますが、今の時代ですから売上は1500万ぐらいでいいですよね」とわけの分からないことを言ったそうだ。自分の報酬は企業の利益から出るものであり、企業の利益は売上から経費を引いたものだということが実感できないのだろう。投資家が予算と報酬を認定してくれれば、それでいいと思っているのである。

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August 13, 2016

働いたら負け?! j-fashion journal(204)

1.働かない人が勝ち組?!

 かつて日本企業の給与は、終身雇用、年功序列を基本としていた。「年功序列給」は、能力や実績に関係なく、年齢(入社年度)を基本にした給与であり、「終身雇用」は余程のことがない限り定年まで働くことができる制度である。
 定年まで一緒に働き、生活が保証されると、社員は家族のような関係になる。能力がある者は能力のない者をフォローする。みんなで助け合って、会社の業績を高めることで、みんなが幸せになるという構図だ。頑張って仕事をすることは、自分の幸せのためではなく、会社のためであり、会社のためとは国のためという概念につながっていた。
 90年代に、「リストラ」という「人員削減」が実行され、事実上終身雇用は崩壊した。しかし、年功序列給から実績給や能力給にはならず、正社員と派遣社員(非正規雇用社員)という社内身分制度が定着していった。同じ仕事をこなし、同じ実績を上げても、派遣社員は正社員以上の給与を受け取ることができない。また、基本的に派遣社員から正社員になる道も閉ざされている。

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ユニクロ大研究 j-fashion journal(203)

1.1998年はユニクロ元年

 私は、ユニクロ原宿店がオープンした1998年を「ユニクロ元年」と認識している。ファーストリテーリングの社史や経営戦略とは関係なく、一般消費者の生活の中にユニクロが入ってきた時期が1998年であり、ユニクロブームに日本中が沸いた年である。
 それ以前のユニクロは、中高生向けの安売りカジュアル専門店というイメージだった。それが原宿店で一気に変わる。まず、デザインの絞り込みが行われ、カラー展開、サイズ展開を優先させた。店舗の内装は高級感があり、まさに、「100ドルの商品を販売する環境で、10ドルの商品を売る」という80年代の米国SPA「リミテッド」が主張した戦略的VMDを具現化するものだった。
 当時の、量販店や専門店は、安価なハンガーラックと棚什器で構成されていた。床もクッションフロアやパンチカーペットが主流で、天井も基本照明を確保するに過ぎなかった。
 その中で、ユニクロ原宿店は、フローリングの床、オリジナル什器、演出照明が組み込まれた天井で構成されていた。これは、80年代のDCブランドショップの水準である。

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July 10, 2016

大人ファッションのビジネスを考える j-fashion journal(202)

1.大人ファッションメディアを創ろう

 新入社員として入社し、定年で退職するまで、多くの男性は企業組織にドップリと漬かってしまう。その間は、組織の秩序に基づいて、部下からは尊重させれるし、取引先の担当者からも持ち上げられる。
 しかし、定年と共に会社という看板が外され、スーツを着用することもなくなる。多くの男性は、アイデンティティを失い、企業に代わるコミュニティに所属することもできない。他人とのコミュニケーションが苦手で、家に閉じこもる。こうして、次第に「鬱」が忍び寄ってくる。
 60歳を越した男が自らの性格を変えることはできないだろう。変えられるのは外見であり印象である。身だしなみが必要になるのは、定年後だ。シニア男性にとって、ファッションは軟派なものでもないし、女々しいものでもない。自らのアイデンティティを確立するこめの重要なツールであり、新たなコミュニケーションとコミュニティに参加するためのスキルなのだ。

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ソーシャルウェアの発想 j-fashion journal(201)

1.大衆ファッションの行き着く先

 欧米社会は階層社会だ。服装は社会的な階層により規定され、一目観るだけでどんな階層に所属するかを区別することができた。
 まず、社会的階層の区別があり、その下位にブランドがある。ブランドは、勿論、特定の階層の顧客を対象にしている。そのため、好き嫌いだけで、着用するブランドを次々と変えることはほとんどない。自分に相応しいいくつかのブランドから服を選ぶのが一般的だ。
 戦後日本は一億総中流社会とされ、経済的格差が異常に少ない社会を実現した。年功序列、終身雇用という給与制度は、能力に関わりなく、身分を安定させた。
 職人の衣装などの伝統的な服装は、身分や職業を表し、スーツはサラリーマンのユニフォームとなった。サラリーマンの比率が上がるにつれ、ビジネススーツは会社勤めの男性の服装として定着した。

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June 18, 2016

ファッションは大人を救う! j-fashion journal(200)

1.リタイヤカジュアルの提案

 大学生が就職活動時に着ていくのがリクルートスーツ。なぜか、入社するとフレッシュマンスーツとなる。
 それから、年齢と立場が上がるにつれ、スーツも変化していく。大手企業になると、「部長になったらAテーラーでオーダー」「役員になったらSテーラー」のように決まっているケースもあるとか。
 サラリーマンにとって、スーツはビジネスユニフォームであり、会社のステイタスを表す看板であり、自分のアイデンティティを表現する名刺でもある。
 こうしたビジネススーツについては、それなりに勉強を重ねているのだ、定年後のファッションには無防備な人が多い。ある日、とつぜん定年となり、送別会が行われ、花束と共に帰宅する。
 翌朝、起きると愕然とする人が多いという。私は何を着て、何をすればいいのか。何日か何もしないと、奥さんに邪魔にされ、「何かすることないの?」「どこかに行ってくれば?」と言われる。

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BUからAU、ファッションビジネスの変化 j-fashion journal(199)

1.BU(Before Uniqlo)とAU(After Uniqlo)

 ユニクロ以前とユニクロ以後ではファッションビジネスの構造が全く変わってしまった。
 多くのアパレル企業は、ユニクロ以前の体制のままである。「ユニクロは凄いけど、自社とは関係ない」「ユニクロと比較しても意味がない」と思っている。
 確かにユニクロのような規模、資本力、商品開発力を持っている企業は少ない。しかし、ユニクロとて、最初から力があったわけではない。その意味でも、ユニクロに学ぶことは多いと思う。
 そこで便宜上、ユニクロ以前とユニクロ以後を比較するために、BU(Before Uniqlo)、それ以後をAU(After Uniqlo)という概念を提案したい。
 Just Uniqloは、ユニクロが原宿店をオープンした1998年としたい。ユニクロがフリースブームを起こし、郊外型店舗から都心型に初めて転換したのが原宿店だった。同時に、既存のファッション専門店、アパレル企業への挑戦状を叩きつけたとも言える。地方都市や郊外型の店舗だけなら、ロードサイド立地の大型専門店というジャンルでくくることができた。しかし、原宿店がオープンしたことから、都心立地の大型店開発が始まり、百貨店内にも出店するようになったのだ。 
 

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«SPAからRSPAへ j-fashion journal(198)